きれいになるための努力や忍耐になぜ批判が集まるの?
なぜ自分の働いたお金で自分の顔を変えただけで、外野から売名批判を受けたり、マウントを取られたりするのだろうか。
例えば、親であるならば怒られても仕方がないと思う。容姿の良し悪しに関係なく自分の子供にメスが入ることを悲しむ親はいるだろう。それはわからないでもない。
私の親は良かったのか悪かったのかはイマイチわからないが、私の顔の変化に全く気が付かなかった。私もわざわざカミングアウトはしなかったが、もし聞かれたら正直に答えていたと思う。
不思議なのは赤の他人からああだこうだと言われることだ。
整形をした人は整形をしたことがない人よりも劣った存在なのだろうか。
自分の顔や体のコンプレックスが、ダイエットやメイクで克服できたら、それが1番良いのかもしれない。でも、全員が全員その方法で満足がいく自分になれる訳ではない。
整形をするにはお金がかかる。下調べや手術、ダウンタイムなど時間もたくさん取られる。可愛くなっても偏見の目に晒されることもあるし、私のように失敗したら更にお金がかかり「整形したのに可哀想」と言われる可能性もある。
ダイエットやメイク同様、いやそれ以上に整形には“努力” や“忍耐” といったものが必要なのだ。
なぜ、整形をすることは未だに「特殊なこと」なのだろうか。なぜ、きれいになるために努力していることをカミングアウトすることで、批判されるのだろうか。その理由がわからない。
整形の経験を綴ったことで集まった批判やマウントの数々。実際に接したことで私は、整形することや整形の経験をオープンにすることに寛容な世の中になってほしいと心から願うようになった。