"リスクの伝道師"SFSSの山崎です。毎回、本ブログではリスクコミュニケーション(リスコミ)のあり方を議論しておりますが、遂に国内でもワクチン接種が始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関して、「差別」と「区別」を明確に切り分けることの重要性について考察したいと思います。なお、世界中でCOVID-19により亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、治療中の方々に心よりお見舞い申し上げます。
新型コロナウイルス対策のための「改正特措法」が、2月3日に公布、2月13日に施行されたので、まずは以下の記事をご一読いただきたい:
◎過料30万円、ついに施行「改正特措法」の注意点~実効性を高めるための強い措置が可能に
岩﨑 崇 ~東洋経済ONLINE 2021/02/16~
https://toyokeizai.net/articles/-/411873
先月の本ブログでも、まじめな日本人に対して刑事罰は必要ないだろうとの見解を述べたところだが、最終的に政府/自治体の感染拡大抑止対策の実効性をあげるため、行政による「命令」に従わない市民/事業者に対して「過料」という行政罰が科される法律が成立したということだ。
刑事罰を科すことにならなかったことは朗報だが、市民を法律で強制的に動かすのではなく、市民に公衆衛生上のリスクを丁寧に説明して、理解を促すこと(「自分の身は自分で守る」というリスク感覚)が本来の姿ではないかと思う。いずれにしろ法律や行政罰をちらつかせない限り、市民の正しいリスク低減活動が期待できないと判断されたことは残念だ。義務や法律で市民を縛ることにより、市民のリスクリテラシーはむしろ下がる可能性が高く、それは欧米のロックダウンの失敗で証明されていると筆者は考える。
ここのところの都市部における感染拡大抑制傾向がみえるのは、緊急事態宣言による飲食業者の午後8時までの時短営業によるところが大きいと思われるが、これも自治体からの飲食業者さんたちへの要請+手厚い補償金が効果的だったわけだ。すなわち、法律で義務化して罰則をもうけたからではなく、中小の飲食業者さんたちが手厚い補償金により自分の身を守ることが可能と判断し、店を閉めたことにより、サラリーマンたちが飲んで騒いでという場所を失ったということだろう。
興味深いのは広島県で、湯崎知事が広島市中心部の市民80万人に対してPCR検査を実施すると宣言したところ、急激に1日の新規感染者数が減少し、今では広島市内で新規感染者が発生しない日もあるくらいまで、新型コロナ感染拡大が止まったということだ。
すなわち、広島市民は皆、全市民にPCR検査と県知事から言われた瞬間に、「もし自分がPCR陽性だったら、自分や家族や会社にどんな悲劇が待っているんだろう」と恐ろしくなって、会食に行かなくなった(行動変容をもたらした)ということではないかと・・まさにタナボタか。
もしそうだとすると、行政の指示に従わない個人や事業者に過料などの罰則を科すよりも、「全市民にPCR検査を実施しますよ」と自治体が宣言して、市民に対してプレッシャーをかけた方が効果的ということかもしれない。ただPCR検査で陽性になっても、軽症もしくは無症状で2週間自宅療養すれば済む場合、本来まわりからの扱いも「区別」だけで済むはずなのだが、どうもPCR陽性になってしまうと、それだけでは済まない、すなわち国民は周囲からの「差別」を強く恐れている、ということではないか。
保健所が行う感染者に対する積極的疫学調査に対して、なかなか協力が得られないことから、今回の法改正で調査に協力しない感染者に対して過料を科すこととなったわけだが、本来、このような感染者に対する「差別」が起こる土壌が日本社会にあることが根深い問題のように思う。すなわち、日本社会において「区別」と「差別」の境界線が不明瞭だからではないか。
本ブログでも何度か議論したことだが、感染者や濃厚接触者は公衆衛生上のリスク低減のため(社会の安全のため)に、「区別」されることが必要だ(「濃厚接触情報の公表は区別のためで、差別のためじゃない」 BLOGOS 2020年03月08日)。すなわち、感染者・濃厚接触者が差別を受けないために秘匿されるべきは、あくまで個人情報であり、「〇〇市の感染者#100番さん」が感染した時期の行動履歴は、市民に詳しく公開されるのが理想だ。
自治体の積極的疫学調査の姿勢において、「区別」と「差別」の切り分けがきっちりできていれば、感染者や濃厚接触者も行動履歴などの公開に協力がしやすく、公衆衛生対策が効率よく実行できるものと思う。ところが、自治体や保健所の担当者が、感染者に対して「区別」のために必要な情報が何かを説明しきれないと問題だ。
「差別」というのは、あくまで個人情報や固有名詞から発生するものであり、個人情報(固有名詞)だけを非公開とすればよいはずだが、たとえば「性別」「年齢」「職業」「行動履歴」は個人が特定されるわけではなく差別につながらないですよ、と説明できていないのではないか。
感染者や濃厚接触者とその家族に対して、実際にSNSなどで「差別」が発生していることを身の回りで目にすると、どうしても感染による「差別」に対する恐怖心が大きくなるのはわかる。本来社会が感染者に求めることは「区別」=「隔離」だけのはずなので、そこを市民が明確に使い分けできなければならない。季節性インフルエンザにかかって「差別」をうけることはないので、まず新型コロナ感染症が5類に分類されれば解決する問題とも言えるだろう。