コロナ禍の生活不安をめぐり、菅義偉首相は国会で「最終的には生活保護」と答弁した。現在、生活保護は、そうした役割を果たせているのか。立命館大学産業社会学部の桜井啓太准教授は「コロナ禍でも生活保護の受給者数はまったく増えていない。これは人々にとって利用しづらい制度であることを示している」という――。
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生活保護を受けるハードルがとても高い
コロナ禍の影響が長引くなか、生活に不安を抱える人びとが増加しています。菅義偉首相が国会で「最終的には生活保護がある」(2021年1月27日)と発言したこともあり、生活困窮や生活保護の制度に注目が集まっています。
社会保障全体の制度体系からみれば、「最終的に生活保護がある」という発言は間違っていません。ただそれは首相が胸を張って発言できるほど、人びとにとって利用しやすく、安心を与えてくれる制度なのでしょうか。
生活保護で話題にあがるのが役所(福祉事務所)窓口で相談者を追い返す「水際作戦」です。『コロナ禍の東京を駆ける』(稲葉剛/小林美穂子/和田静香著 岩波書店)は、緊急事態宣言後の困窮者支援の現場を鮮明に描き、行政の水際的対応が印象的に語られています。また、生活保護制度の「要件」が人びとの利用を躊躇させていることも指摘されています(厳しすぎる資産基準、自動車保有の禁止、扶養照会など)。
このように最終的なセーフティネット(安全網)であるはずの生活保護制度は、私たちのいのちを守る最後の守護神というよりは、尊厳を投げうって丸はだかにならないと入らせてもらえないハードルの高い避難所のようにイメージされています。これはほんとうに不幸なことです。
保健所の混乱に見る、人員削減のツケ
「水際作戦」が話題になりがちですが、生活困窮・生活保護政策を巡る問題のひとつに職員体制の問題があります。ここでは語られることの少ない生活保護・生活困窮者対策の人員体制にスポットを当てます。
制度を行政組織の供給体制からみるというのは大切です。新型コロナの感染拡大によって感染症対策の最前線である保健所へ業務が集中し、対応に追われる職員の負担と人員体制の逼迫(ひっぱく)が注目されました。
これは保健所に割くべき職員を何年もかけて削減し続けてきたことが背景にあります。単に削減するだけでなく、正規職員を削り、非常勤職員に入れ替え、一部では外注(外部委託)する。コストカットを追求し続けたツケが一気に表面化した瞬間でした。
リーマンショック後に激増した生活保護開始数
図表1はリーマンショック(2008~09年)とコロナ危機(2020年)の東京都の生活保護の開始数の推移を表しています。
出所:東京都福祉行政統計(月報)から筆者作成
2008年9月のリーマンショックのあと、年末の年越し派遣村を経て2009年1月から保護開始件数が急増し、3月には4000件を上回るような状況となりました(前年同月比164%)。当時の生活保護の増加がいかに激しかったかがわかります(図表1上)。
一方、今回のコロナ禍では生活保護への影響がほとんど表れていません(図表1下)。緊急事態宣言が出された2020年4月にわずかに増えたものの、その後はむしろ減っているようにすらみえます。コロナ危機は国民経済や人びとの生活へたいした影響をあたえなかったのでしょうか。
——もちろんそんなことはありません。これを説明するのが、図表2の緊急小口資金(臨時の生活資金貸付制度。新型コロナウイルス感染症の緊急対策として、2020年3月に対象が特例拡大された)の貸付件数です。
出所:東京都福祉行政統計(月報)から筆者作成
コロナ以前は月10〜20件程度(リーマンショック時でも最大300件程度)だった緊急小口資金は、緊急事態宣言が出た2020年4月に1万6940件に跳ね上がりました。続く5月にはさらに3万5000万件、6月には4万件を越えました。6月の1カ月間だけで昨年度実績(184件)の200倍以上という桁ちがいの貸付処理を窓口で行ったことになります。受付窓口の職員の方々の混乱がいかほどだったかは想像にかたくありません。
緊急小口資金は生活保護の“身代わり”になっていた
緊急小口資金の激増は生活保護の“身代わり”でもありました(生活保護の数値が微動だにしなかったことがそれを物語っています)。政府は緊急小口資金などの貸付制度や家賃補助制度(住居確保給付金)の利用要件を大幅に緩和することで、経済的に苦しくなった人びとを、生活や住居、医療といった生活全般を保障する生活保護ではなく、期限付きの別の制度へ誘導したといえます。
生活保護への“防波堤”となった貸付制度や住居確保給付金の受付窓口となったのは、社会福祉協議会(社協)という地域福祉の推進を担う民間団体です(福祉資金貸付は社協、住宅確保給付金は自立相談支援機関が実施主体。後者は6割以上が業務委託であり最大の委託先は社協。他にNPOや株式会社なども受託)。
今般のコロナ危機による生活困窮者対応は、生活保護ではなく貸付(≒借金)と家賃補助制度が主戦場でした。それは供給体制の視点で見ると、自治体直営である福祉事務所ではなく、委託先の民間団体(社協)に業務負担が流れる構造です。コロナ対応の困窮者支援を外部(民間)にアウトソーシングしていたともいえます。
「1人で100世帯以上を担当」不足するケースワーカー
生活保護を扱う福祉事務所は自治体直営ですが、そこでの人員不足も非常に深刻です。朝日新聞の調査(※1)によれば、指定市・東京23区・県庁所在市・中核市の全国107市区のうち7割で、生活保護世帯の支援にあたるケースワーカー(CW)の担当数が、国の定める標準である80世帯(都市部)の水準を超過していました(2019年度)。
(※1)「ケースワーカー配置標準、7割満たさず 主要107市区」2020年12月18日 朝日新聞デジタル
1人のCWが100世帯以上を担当する自治体は32にのぼり、とりわけ状況がひどいのが大阪です。1CW換算で大阪市114世帯、堺市139世帯、東大阪市161世帯、豊中市188世帯という標準数の1.5〜2倍以上まで至っています。
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このような状況で通常業務をまわせるはずもなく、窓口での相談業務、保護のスムーズな審査、保護世帯への支援業務に支障が出てきます。2020年に大阪府八尾で生活保護を受給中の母(50代)とその息子(20代)が死亡した事件がありましたが、八尾市のCWの当時の平均世帯数は128世帯。亡くなった方の担当者は病気休職中だったと言われています(※2)。人手不足かつ多忙化する職場では職員が心身の調子を崩して休職が多発します。それをカバーする形で別の職員にさらなる負担がかかる。まさに負のスパイラルです。
(※2)「57歳と24歳、ある母子の死 かつお節と体温計残して」 2020年12月18日 朝日新聞デジタル