「太平天国の乱」をご存じだろうか。清朝後期、科挙に落第した知識人の洪秀全が、キリスト教の影響を受けて創始した秘密結社・上帝会を率いて1850年の末に蜂起。反乱軍はやがて大都市・南京を占領して首都「天京」とし、太平天国を建国する。反乱は約14年にわたって続き、清朝の屋台骨は大きく傾いた。
もっとも、事件の名前は知っていても、現代の私たちの社会にどうつながるのかピンとこない人も多いだろう。だが、実は太平天国の乱には、現代中国の習近平体制の本質や中国の覇権主義の理由、さらにはウイグル問題や香港デモの背景といったさまざまな問題を読み解くカギが隠れている。
太平天国研究の第一人者である菊池秀明氏(国際基督教大学教養学部教授)が昨年12月に刊行した新著『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)は、事件の概要とその背景をあますところなく描いた。今年2月に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)を刊行した中国ルポライターの安田峰俊氏が、太平天国から見える現代中国の姿を菊池氏に聞いた──。(前編/全2回)
格差に苦しむ反エスタブリッシュメントの反乱
——かつて上帝会が勢力を伸ばし、太平天国の乱の起点となったのは、中国南部の広西省(現在の広西チワン族自治区)です。地図を見ればわかりますが、広東省とベトナムに挟まれた広西省は、チワン族をはじめ少数民族が多く、中華であって半分は中華でない僻地(へきち)。なぜ、この土地から大反乱が始まったのでしょうか?
菊池秀明『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)
【菊池】強烈な格差社会だったんです。伝統中国では科挙(儒教の教養をテストする官僚登用試験)を通じて、誰もが社会的上昇を果たせる──というタテマエがありましたが、科挙の受験勉強は大変です。それなりに裕福で文化資本がある家庭の出身者でなければ、事実上は参入できなかった。社会におけるさまざまなコネや利権も、地位と財力のある人に集中していきます。
つまり、「誰にでも社会的上昇のチャンスがある」という幻想だけはバラまかれていたのですが、現実的にそれが不可能な人たちがいた。そんな、格差社会のなかで決定的に切り捨てられた階層の人たちが、当時の広西には特に多く存在していたんです。
広西チワン族自治区の場所(Google mapより)。地理的にはかなり南にある。
土地も財産も社会的地位も「持たざる者」だった
——格差社会において切り捨てられた層の問題は、現代の中国でも日本でも深刻です。しかし,清末の広西はさらに桁違いにひどい状況だったのでしょうか。
安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)
【菊池】はい。当時の広西は漢民族にとってのフロンティアで、移民社会でした。より早い時期に移住した人間は、いい場所の土地を握り、年月を経て宗族(父系の血族関係が発達して形成された大規模な相互扶助組織)を形成し、科挙合格者を輩出して──と、どんどん強くなっていく。いっぽう、1820~30年代になってから入ってきたような、客家(はっか)などの後発の移民たちは、土地も財産も社会的地位も、あらゆる面で「持たざる者」でした。
太平天国の広西出身の兵士たちは、長江流域まで攻めのぼるまで、銀貨を見たことがない者がいたという記録があります。当時の中国は銀経済なのに、貨幣として銀をやりとりする機会すらない生活水準の人たちが、太平天国軍に加わっていたのです。
太平天国揺籃の地、金田鎮の1989年の姿。市場に沿って流れる紫荊水をのぞむ。 - 撮影=菊池秀明
——現代風に言えば、格差に絶望した最貧困層による、反エスタブリッシュメントの反乱だったわけですね。だから儒教の礼拝施設を破壊するし、漢民族の理想の時代を「取り戻す」と、滅満興漢のスローガンをとなえた。
【菊池】とにかく自分たちの生存空間を確保する必要があったのでしょう。1852年に上帝会が用いていた祈祷文には「上帝のおかげで日々衣服と食物をえられ、災難をまぬがれることができますように」といった表現もあります。日々着るものもない、食にも事欠く、このままでは生きていけないほど貧しい人たちが、救いを求めて集まった部分があります。
キリスト教もマルクス主義も「中国化」される
——上帝会はキリスト教の影響を受けています。しかし、教義には中国南方の民間信仰やシャーマニズムが入り交じり、また科挙落第生である洪秀全の経歴も関係してか(儒教施設の破壊をおこないながらも)儒教の影響も大きかったようです。
【菊池】きっかけは外来の思想です。しかし、受容の過程で一種の「中国化」がおこなわれた。言い換えれば、中国的な土着のコンテキストのなかで読み替えられることによってこそ、中国の社会で幅広く受容される救済思想としての性質を持ちはじめるわけです。このように外来思想を中国化して読み替えることは、洪秀全に限った話ではなく、例えばもうすこし時代が下ってからの孫文にしても同様でした。
孫文。写真は台湾の中国国民党がタイ華僑の団体に寄付したポスター。 - 撮影=安田峰俊
——孫文は『三民主義』のなかで、中国南部の宗族が他の宗族と械闘(武力抗争)をおこなう際に見せる強固な団結ぶりを紹介したうえで、中国の国民は「『国族』を作るべし」と呼びかけています。これなども、欧米由来のナショナリズムを広東人の常識に読み替えているわけですね。
【菊池】孫文は共和や大同といった儒教の概念も盛んに持ち出しています。ところで、この手の中国的な読み替えを最もうまくやったのが毛沢東でした。毛沢東は非常に田舎くさい人物でしたが、それだからこそマルクス主義をあそこまで「中国化」することができたし、それゆえに人々から受け入れられたのです。
資本主義ですら中国共産党の管理下のままで成長してしまった
——洪秀全はキリスト教を中国化し、孫文はナショナリズムを中国化し、毛沢東は共産主義を中国化した……。
【菊池】中国的な文脈で物事を読み替えてこそ、初めて生命力が吹き込まれます。たとえば洪秀全の場合、「上帝(=神)」は外来の神ではなく、中国古来の神だと主張していました。明らかに誤ったキリスト教解釈なのですが、そうすることでこそインパクトを持ち得たわけですね。
太平天国の乱の指導者・洪秀全。科挙への落第を繰り返した末、自身がキリストの弟であるとする確信を抱いた。 - 撮影=菊池秀明
——洪秀全から毛沢東まで「中国化」の話が続きましたが、より最近の話を考えるなら、鄧小平や習近平は改革開放政策という形で資本主義を中国化したのかもしれません。本来、自由な民主主義社会でこそ健全に発達するとみられていた資本主義が、中国共産党の管理下のままで成長してしまいました。時価総額が世界トップ10に入る大企業の創業者(アリババ創業者のジャック・マー)すら、党の意向次第で葬られかねないのが「中国の特色ある」資本主義です。
【菊池】外国人が、中国を理解しようとしてなかなか迫り切れない理由も、このあたりにあ るように感じますね。