

今から50年前となる1971年は、「もはや戦後ではない」宣言から15年。あらゆる面で欧米文化の影響を受けた時代だった。暗い雰囲気が漂うコロナ禍の2021年とは、まったく異なるものだったに違いない。
【写真4枚】やや濃いクリーム色の包みにふわりと包まれた1971年当時の、出来立てのハンバーガー。他、当時のミスドのドーナツなども
アメリカ式の食文化を50年前の日本に運んできたのが、大阪・箕面で4月にオープンした『ミスタードーナツ1号店』と、東京・銀座で7月にオープンした『マクドナルド日本1号店』。素早く食事を済ませられるファストフードの先駆けだ。コラムニストの泉麻人氏はいう。
「その年の夏、銀座の『マクドナルド』で出合った商品に驚かされた記憶があります。ストローを使って、溶けたアイスクリームのようなものを飲む『シェイク』、“あんぱん”サイズで肉が挟まっている『ハンバーガー』、ともに未知の体験でした(笑い)。銀座三越店前のホコ天で、発売直前のカップヌードルの試食をしたのも覚えています。懐かしいですね」(泉さん)
1973年に銀座から上野までつながったホコ天で、ファストフードのハンバーガーを初めて食べたというのは、昭和のレトロ文化を研究している黒沢哲哉さんだ。
「マクドナルドのハンバーガーは手軽で安いイメージですが、当時は高級品で1個80円。食パン1斤が50円の時代でしたから、贅沢な食べ物でした」と語る。
ホコ天の銀座や、まだ静かな街だった原宿におしゃれな若者が出現
ファッション界にとっても1971年は特別な年だった。スタイリストの中村のんさんはいう。
「東京・原宿に若者が集まるようになったのは70年代後半から。1971年頃の原宿は、竹下通りもまだまだ静かな住宅街でした。故・山本寛斎さんがこの年にロンドンで日本人初のファッションショーを行いました。日本のファッション界では寛斎さんの存在が大きかったですね」(中村さん)
当時、原宿や銀座で歩行者天国が始まり、アーミールックやホットパンツなど、いままでなかったファッションで闊歩するのが最先端だった。50年前のファッションながら、いま見ても違和感のないおしゃれな時代だ。
※女性セブン2021年2月18・25日号