※この記事は、虐待被害者の実体験告白が含まれます。
スウェーデンの陸上競技選手(男子走高跳)パトリック・ショーベリは、若干14歳にしてテレビ番組に出演した。「ヨーテボリのスロッツコーゲン陸上競技場では、未来の世界チャンピオンが専属コーチのマッサージを受けています。昨年、彼は自己ベストを 13 cm更新しました」番組司会者が解説する。しかしショーベリは視線を落としたまま、カメラを見ようとしない。「ここはすばらしいコミュニティです。いつも楽しく過ごしてます」と答えながらも、その声には覇気も抑揚もなかった。
実は当時、彼は陸上競技のナショナルチームのコーチ、ヴィリヨ・ノウシアイネンから3年にわたり性的虐待を受けていたのだ。その関係はこのテレビインタビュー後もさらに1年続いたという。

ノウシアイネンが他界し、他の被害者が虐待を公表してショーベリも告白に踏み切った。
このテーマで2冊の著書を出している。Credit: Mario Prhat, photojournalism, Göteborgs-Posten.
寂しい子ども時代 ヨーテボリ市内のランベリの丘にあるキーラー公園でショーベリに話を聞いた。アネモネの白い花が咲き、海からの冷たい風が吹いている。ショーベリの愛犬ソトが私たちのあいだを走り回っている。本を出版した当時を振り返って、ショーベリは言う。「目がまわるほどの忙しさで、何もかも放り出したくなりました」

「セラピーも受けましたが、問題と向き合うのがめちゃくちゃつらかった。セラピーが終わると飲み屋に直行し、酒をしこたま買って帰り、一人ベランダで飲んでました。誰かと一緒にいるのが耐えられず、自分が哀れになり、常に酒を浴びてました。アルコール依存症や薬物依存症の人に囲まれて育ったけど、まさか自分もそうなるとはね......」
ショーベリは若い頃からよくメディアを賑わせ、パーティー好きで口も達者なトラブルメーカーというのが定評だった。1981年、16歳でスウェーデンの大会新記録を出し称賛を浴びたが、2006年にはヨーテボリ市のストラ劇場近くで元選手たちとコカイン使用の罪で逮捕。
メディアが伝える彼のイメージは、”尊敬を集める謙虚な精鋭アスリート”とはほど遠かった。しかし現在は、まじめで頑固、怒りっぽい人物で知られている。怒りの根源について「怒りがあったから生き延びられた」と認め、幼い頃から誰の助けもなく自分で生きていく必要があったと語る。幼い頃から鍵っ子で、靴ひもの結び方を教えてくれる人もいなかったと。
「私が抱えてきた問題はヴィリヨコーチのせいだと思われがちですが、実はそれよりも以前からはじまっていたのです。なぜ誰も気づかなかったんでしょうね」
両親はショーベリが幼い頃に離婚し、10歳で父親とは疎遠になった。「私たちのことなんてお構いなし。父の新しい家族にも全く歓迎されませんでした」。母親は仕事も勉強も他人の世話もしていたが、なぜか自分の息子にはおろそかだった。学校生活もうまくいかなかった。
著名コーチから“指導”という名の性的虐待
「小児性愛者のもとに届けられたんです」ショーベリは言う。「突然、誰かが僕の人生にやってきて、褒めて励まされしてるうちに何者かになっていった。レコードとか子どもが喜ぶプレゼントを持って近づいてくる。小児性愛者は子どもの扱いが実に上手いですから」その後、コーチはショーベリの母親と恋愛関係に。コーチもひとつ屋根の下で生活することになり、ショーベリが10歳から14歳まで性的虐待行為が続いた。コーチとして高い評価を受けていたノウシアイネンは、”栄養ドリンク”と称して睡眠薬入りの飲み物をショーベリに飲ませ、深夜にショーベリの部屋に忍び込んできた。
朝、ショーベリは下半身に痛みを感じて目を覚ます。コーチがショーベリの陰毛を剃り、トレーニングの効果が出ているか確認するためと"精子検査”をされたのだ。筋肉の測定だとマッサージもしてきた。
合宿先や大会出場の遠征先でショーベリとコーチは相部屋だったが、誰も疑問を持つものはなかった。コーチが夜中にドアを開けたら気がつくように、部屋のドアの取っ手に服などをぶら下げたこともあったが、虐待行為は止まらなかった。現在の法律では「児童レイプ」に分類される行為だ。
ショーベリの母親は「何も疑っていなかった」と言う。本の出版後、スウェーデンの日刊紙『Dagens Nyheter』のオピニオン欄で、息子の虐待経験について「私は衝撃を受けましたが、ショーベリの告白は褒めてやりたいです」と書いている。「私はこの事実を把握すべきだったし、いかなる方法を取ろうともそんな関係を終わらせるべきでした。パトリックが世界のトップレベルに立てたのは事実ですが、ヴィリヨコーチがいなければ、もっと平穏な人生だったでしょう。コーチは病的な行為から抜け出せなくなった難ありの人間でした」
当時を振り返って誰に一番失望するかとショーベリに訊くと、「母親です」と返ってきた。「事態を防げたのは彼女だけでしたから」
性的虐待を受けていた事実は、長年、ショーベリだけの秘密だったので、恥と罪悪感は膨らんでいった。虐待の原因は自分にもあったのではないかとも感じている。というのも、コーチと母親が別れた後も、ショーベリはコーチとの生活を選んだのだ。はたから見ると不可解かもしれない。
「それにはいろんな理由があったのだろう」ショーベリは著書で述べている。「それだけ彼に依存していたんです。トップ選手になるにはコーチが必要、そう思い込んでいました。彼のおかげで2メートル飛べる選手になっていたし、“あんなコーチについてもらえるなんて贅沢だな”ともよく言われました。虐待には目をつぶろうと思っていたのでしょう」
高校1年になる頃には、コーチに就寝中に陰毛を剃られる体験を4度も味わっていた。もうたくさん、そう思ったショーベリは、今度やったら警察に届けますよと強く言うと、虐待は少しおさまった。ショーベリの体が少年から大人へと成長している時期でもあった。
被害者はショーベリだけではなかった。だが、彼らが虐待経験を語り出したのは、ノウシアイネンが99年に他界してからのこと。最初に口を開いたのはヤニク・トレガロ。ノウシアイネンの指導を受け、将来を嘱望されるジュニア選手となり、後年はコーチとなった。ノルウェーの高跳び選手クリスチャン・スカールも被害者の一人。他にも大勢の被害者がいるに違いない、とショーベリはみている。
ヨーテボリ市にある屋内競技場フリードロッテン・ハスの隣には、ノウシアイネンの名を冠した遊歩道があったが、虐待の事実が明るみになるや「アスリートの遊歩道(The Athletics Walkway)」と改名された。