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- 2012年12月01日 10:38
日銀法改正を主張する政治家の勘違い
衆院選を迎えるにあたり各党の公約も出てきたが、そのなかには「日銀法改正」を盛り込んでいるものがある。もしこれが欧米であれば、さらなる独立性強化と受け止められようが、事もあろうにこちらは日銀の独立性が強すぎるので、それをあらためさせようとの動きのようである。
日本維新の会の橋下徹代表代行は11月29日の記者会見で「金融政策をやる時に、なぜ政府と日銀がうまいこと一緒になってできないのかという仕組みの問題だ」とし「(現行の)日銀法は日銀側の独立性があまりにも強すぎる」と指摘したそうである(ロイター)。
この発言には、たとえばインフレターゲットを導入している英国の中央銀行であるイングランド銀行などが念頭にあると思われる。しかし、歴史を紐解くと一時国有化されていたイングランド銀行にとり、これまでの歴史はいかに政府からの独立性を高められるかが課題になっていたのである。
世界で二番目に古い中央銀行であるイングランド銀行が設立されたのが、1694年である。第二次大戦後にイングランド銀行は、「1946年イングランド銀行法」によって国有化され政策運営の独立性を失った。政策金利である公定歩合と外国為替政策の決定権隈は事実上大蔵大臣に属し、イングランド銀行はその執行機関としての役割を担っているにすぎなかった。
1992年6月に英国ポンドがジョージ・ソロスらの投機筋により売り叩かれ、この結果、イギリスは1992年9月16日にEMRから離脱させられることになった。いわゆるブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)とも呼ばれたポンド危機である。ジョージ・ソロスはこれにより「イングランド銀行を破産させた男」とも呼ばれた。
ERM離脱により英国ポンドは変動相場制に移行し、ドイツマルクという大きなアンカーを失うことになる。さらに金融政策面ではインフレファイターとも呼ばれたブンデスバンクに追随することで間接的に得ていた物価安定の道標を失うこととなった。これはブンデスバンクからの楔から解き放たれたという見方もできるかもしれない。このため新しいよりどころを探る動きが英国の財務省とイングランド銀行に出てきた。
当時、イングランド銀行のチーフエコノミストとなっていたのが、マービン・キング氏(現イングランド銀行総裁)であり、キング氏はもともとインフレ・ターゲッティングに意欲的で、ニュージーランドの事例を研究していた。
ブラック・ウェンズデーから一週間もたたないうちに、導入の基本路線が固まり、時間を置かずに新政策が生まれた。1992年10月29日に当時のラモント財務相がインフレ・ターゲッティング導入に伴う新政策の内容を発表したのである。
このラモント氏に直接インタビューした記事があった(2012年11月23日の毎日新聞のコラム、発信箱:二つの「インフレ目標」より)。これによると「ただ、目標だけではうまくいかない。当時イギリスでは、蔵相に金利決定権があった。都合よく金利を操りたがるのが政治家。だから目標を決めたら、あとは中央銀行のプロたちに任せよう。インフレ目標と中央銀行の独立性はセットだったのだ。」とある。
つまり当時まったくと言ってよいほど独立性がなかったイングランド銀行にとり、インフレターゲットを導入することで、少なくとも金融政策そのものはイングランド銀行に任せるという仕組みを取り入れたのである。しかもそれを主導したのが政治家であった。
そのイングランド銀行に独立性をもたらしたのが1997年5月に誕生したブレア政権である。当時のブラウン財務相は就任わずか4日目に金融政策の大転換を行い、財務省から中央銀行であるイングランド銀行に金融政策の決定権を移し、独立性を高めるという大胆な改革に踏み切った。この際に、あらためてインフレ・ターゲッティングの土台も築かれた。インフレーション目標は政府が設定し、イングランド銀行はこれを達成するために必要な政策手段を決定するという役割となったのである。
つまりイングランド銀行は、このようにして独立性を強化させて、インフレターゲット政策もその手段であったのである。
この世紀の大改革のシナリオはすでに5年前に書かれていたそうで、その著者は当時25歳の若さでブラウン氏から顧問に起用された「フィナンシャル・タイムズ」の記者、エド・ボールズであった。「万年野党に甘んじていた労働党が政権党として信頼を得るには、経済界、特に金融市場の信用が不可欠だとボールズ氏は考えていた・・・金融政策を政治から切り離し、イングランド銀行に任せることで、労働党は独自の経済政策に専念できると訴えていた。訴えは、そのままブラウン氏の政策方針となった。」(2005年5/3・10週刊エコノミスト「ロンドンで見たイングランド銀行 華麗なる改革史」より)
このようにもしイングランド銀行を見習って、政府と中央銀行の在り方を探るのであれば、それは中央銀行の独立性強化に他ならない。このあたりの歴史を見ずに、日銀法改正を行うというのはまさに歴史に逆行する行為と言わざるを得ない。
キンドルの電子書籍にて書き下ろしました「超低金利時代の終わり -そして、日銀による国債引受のリスク-」(定価300円)にも日銀の国債引受のリスクについて書いてます。是非、読んでみてください。
「超低金利時代の終わり -そして、日銀による国債引受のリスク-」
日本維新の会の橋下徹代表代行は11月29日の記者会見で「金融政策をやる時に、なぜ政府と日銀がうまいこと一緒になってできないのかという仕組みの問題だ」とし「(現行の)日銀法は日銀側の独立性があまりにも強すぎる」と指摘したそうである(ロイター)。
この発言には、たとえばインフレターゲットを導入している英国の中央銀行であるイングランド銀行などが念頭にあると思われる。しかし、歴史を紐解くと一時国有化されていたイングランド銀行にとり、これまでの歴史はいかに政府からの独立性を高められるかが課題になっていたのである。
世界で二番目に古い中央銀行であるイングランド銀行が設立されたのが、1694年である。第二次大戦後にイングランド銀行は、「1946年イングランド銀行法」によって国有化され政策運営の独立性を失った。政策金利である公定歩合と外国為替政策の決定権隈は事実上大蔵大臣に属し、イングランド銀行はその執行機関としての役割を担っているにすぎなかった。
1992年6月に英国ポンドがジョージ・ソロスらの投機筋により売り叩かれ、この結果、イギリスは1992年9月16日にEMRから離脱させられることになった。いわゆるブラック・ウェンズデー(暗黒の水曜日)とも呼ばれたポンド危機である。ジョージ・ソロスはこれにより「イングランド銀行を破産させた男」とも呼ばれた。
ERM離脱により英国ポンドは変動相場制に移行し、ドイツマルクという大きなアンカーを失うことになる。さらに金融政策面ではインフレファイターとも呼ばれたブンデスバンクに追随することで間接的に得ていた物価安定の道標を失うこととなった。これはブンデスバンクからの楔から解き放たれたという見方もできるかもしれない。このため新しいよりどころを探る動きが英国の財務省とイングランド銀行に出てきた。
当時、イングランド銀行のチーフエコノミストとなっていたのが、マービン・キング氏(現イングランド銀行総裁)であり、キング氏はもともとインフレ・ターゲッティングに意欲的で、ニュージーランドの事例を研究していた。
ブラック・ウェンズデーから一週間もたたないうちに、導入の基本路線が固まり、時間を置かずに新政策が生まれた。1992年10月29日に当時のラモント財務相がインフレ・ターゲッティング導入に伴う新政策の内容を発表したのである。
このラモント氏に直接インタビューした記事があった(2012年11月23日の毎日新聞のコラム、発信箱:二つの「インフレ目標」より)。これによると「ただ、目標だけではうまくいかない。当時イギリスでは、蔵相に金利決定権があった。都合よく金利を操りたがるのが政治家。だから目標を決めたら、あとは中央銀行のプロたちに任せよう。インフレ目標と中央銀行の独立性はセットだったのだ。」とある。
つまり当時まったくと言ってよいほど独立性がなかったイングランド銀行にとり、インフレターゲットを導入することで、少なくとも金融政策そのものはイングランド銀行に任せるという仕組みを取り入れたのである。しかもそれを主導したのが政治家であった。
そのイングランド銀行に独立性をもたらしたのが1997年5月に誕生したブレア政権である。当時のブラウン財務相は就任わずか4日目に金融政策の大転換を行い、財務省から中央銀行であるイングランド銀行に金融政策の決定権を移し、独立性を高めるという大胆な改革に踏み切った。この際に、あらためてインフレ・ターゲッティングの土台も築かれた。インフレーション目標は政府が設定し、イングランド銀行はこれを達成するために必要な政策手段を決定するという役割となったのである。
つまりイングランド銀行は、このようにして独立性を強化させて、インフレターゲット政策もその手段であったのである。
この世紀の大改革のシナリオはすでに5年前に書かれていたそうで、その著者は当時25歳の若さでブラウン氏から顧問に起用された「フィナンシャル・タイムズ」の記者、エド・ボールズであった。「万年野党に甘んじていた労働党が政権党として信頼を得るには、経済界、特に金融市場の信用が不可欠だとボールズ氏は考えていた・・・金融政策を政治から切り離し、イングランド銀行に任せることで、労働党は独自の経済政策に専念できると訴えていた。訴えは、そのままブラウン氏の政策方針となった。」(2005年5/3・10週刊エコノミスト「ロンドンで見たイングランド銀行 華麗なる改革史」より)
このようにもしイングランド銀行を見習って、政府と中央銀行の在り方を探るのであれば、それは中央銀行の独立性強化に他ならない。このあたりの歴史を見ずに、日銀法改正を行うというのはまさに歴史に逆行する行為と言わざるを得ない。
キンドルの電子書籍にて書き下ろしました「超低金利時代の終わり -そして、日銀による国債引受のリスク-」(定価300円)にも日銀の国債引受のリスクについて書いてます。是非、読んでみてください。
「超低金利時代の終わり -そして、日銀による国債引受のリスク-」



