ともにサイボウズ社員である酒本健太郎・村川みゆ夫婦は、コロナ禍による働き方の変化を受け、10年住んでいた東京から、兵庫県明石市へ移住しました。
その移住の理由をつづったブログ記事が、なんと明石市長・泉房穂さんの目に止まり、移住したての夫妻の家へ訪問することに。
話し合ううちに市長の考えに感銘を受けた酒本・村川夫妻。「明石の魅力を伝えたい!」という気持ちからサイボウズ代表取締役・青野慶久との対談を提案します。そして、泉さんの快諾により、2人の対談が実現しました。
子育て支援や障害者支援などに力を入れ、人口や税収を大幅に伸ばしている明石市。前編では、そんな明石市のまちづくりとサイボウズの組織づくりの共通項を「わがまま」という観点から探っていきました。
1人ひとりの幸せは異なるからこそ、それぞれの「わがまま」を応援する社会をつくる

青野 慶久
わたし自身、子育て支援に関心が強く、かねてより泉さんを尊敬していました。もう取材前からずっと緊張していて(笑)。

泉 房穂
わたしも、いろんなところで「青野社長と考え方が似ていますよね」とよく言われていたんですよ。だから、お話できてうれしいです。

泉 房穂(いずみ・ふさほ)さん。1963年明石市二見町生まれ。82年明石西高校を卒業し、東京大学に入学。東大駒場寮の委員長として自治会活動に奔走。87年東京大学教育学部卒業後、NHKにディレクターとして入局。NHK退社後、石井紘基氏(後に衆議院議員)の秘書を経て、司法試験に合格。97年から庶民派の弁護士として、明石市内を中心に活動。2003年、衆議院議員となり、犯罪被害者基本法などの制定に携わる。11年明石市長選挙に無所属で出馬し、市長に就任。全国市長会社会文教委員長など歴任。社会福祉士でもある。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人

青野 慶久
本当ですか!? うわー、うれしいです。似ていると言われるのは、「1人ひとりの『わがまま』と向き合うスタンス」だと思っていて。
「社員はこう考えているだろう」という社長の勝手な思い込みで経営をするのではなく、現場の社員1人ひとりの要望に耳を傾け、コツコツと叶えていく。
おそらく1つひとつの施策が的確なのは、同じように明石市の市民の声に耳を傾けてきたからじゃないかな、と。


泉 房穂
それはすごく意識しているところですね。実は、今回の対談テーマである「わがまま」という言葉が大好きで。
いまから40年ほど前、わたしが20歳のときに「これからの時代はわがままが大切だ」とミニコミ誌(自主制作雑誌の総称)に書いていたんです。


青野 慶久
えぇー、すごい!

泉 房穂
要約すると、「1人ひとりの幸せは異なるから、それぞれの幸せをしっかり応援できる社会こそが望ましい。周囲に遠慮し、我慢して合わせるのは、かえって不幸を招く」という趣旨で。
まさにこれは、いまの明石市の街づくりのスタンスなんです。

青野 慶久
時代を先取りし過ぎているにもほどがある……。どうしてそんなふうに考えるようになったんですか?

泉 房穂
大きなきっかけは、わたしの弟ですね。弟は生まれながらに障害を持っていて、1人では歩けなかったんです。でも、家族で協力し合いながら長年リハビリをして、ようやく少し歩けるようになって。
それで、やっと弟といっしょに小学校に通えると思ったら、役所から「周りの子どもの迷惑になるので、養護学校(現・特別支援学校)に行ってください」と言われて。

青野 慶久
障害者が健常者と同じ学校に行きたいと願うのは「わがまま」だ、と。

泉 房穂
はい。多数派の意見や「当たり前」から外れる要望って、「わがまま」だと切り捨てられるんですよ。
でも、1人ひとり顔も体格も異なるように、本来は願いも異なるはず。当たり前から外れているだけで「わがまま」と切り捨てられるのはおかしい。
だから、小学生のときから1人ひとりの「わがまま」を応援できる社会をつくりたいと思うようになったんです。