『メキシコシティの人口900万人に対して、公営の救急車は45台未満しかない。ほとんどの救急業務を無許可の民間業者が請け負っている』
メキシコの民間救急車を扱ったドキュメンタリー映画『ミッドナイト・ファミリー』の、予告編や公式サイトなどで説明されているこの文章を読んでも、僕はまだこの映画の内容をよく理解していなかった。
「それは確かに公式には許可が出ていない民間活動なのだろうが、手の回らない公的機関を人命のためにサポートする民間の救急医療技術者たち、医療NGOのような人たちを扱ったドキュメンタリーなのだろう」と思っていたのだ。映画を見るまでは。
©FamilyAmbulanceFilmLLC Luke Lorentzen
子どもが救急車で遊んでる!
だが映画冒頭から雲行きは怪しくなる。救急服を着た若い兄ちゃん、ホアンがスマホで彼女と話している。「あんな骨折初めて見たよ。スゲーんだ」あんまりプロの医療関係者っぽくない会話である。救急車らしきワゴンの中には小学生くらいの肉付きのいい子供、ホアンの弟のホセがお菓子を食って遊んでいる。救急車の中にはぬいぐるみやらサッカーボールやらが転がっている。おい、ガキが救急車で遊んでるぞ。どういうことなんだよ。
通報が入り、現場に駆けつける。真夜中だというのに子供は降りる気配もなく、そのままついてくる。公営救急車を40分待っても来なかった事故の怪我人を担架に乗せ、病院に運ぶ。ここまでは立派な活動だ。運んでからしばらく、民間救急車は病院の前で待ち、みんな時間を潰している。いったい何をしているのか? 患者の支払いを待っているのである。
患者やその家族と交渉して金をもらう
しばらくして中で話していた1人が出てきてホアンに言う。「ダメだ、文無しで払えない」「親にも連絡したけど、感謝はするが金がないって」えっ、患者からその場で直接金取るんですか?
そう、1人運ぶたびに一件なんぼ、ケガをして息も絶え絶えの患者やその家族と交渉して金をもらうのである。仕事なのだ。しかも患者に金がないと言われたらそれまでなのである。冒頭に出てきたホアンが言う。「タダ働きどころか、マイナスだ。機材に絆創膏、生理食塩水だろ、酸素にガソリン……」たいへんである。
こんなシステムでよく回ってるな……自腹で無償の人命救助をしている人たちの志に感動していると、ホアンが言う。「交通事故も銃創もイカすよな。こういうの好きなんだ。ゾクゾクするんだ」うん? 「病気がなけりゃ医者はいらないし、誰も死ななきゃ葬儀屋は食えない。ゴミが出るから掃除屋はいる。真理だろ」うん。カッコいいセリフだが、なんだかギャング映画みたいである。
「警察に行かれたら終わりだ」
そしてやがて、信じられないセリフがとびだす。「強制はできない。警察に行かれたら終わりだ」終わりなのかよ。今なんて言った? 40分待っても来ない公営救急車の代わりに瀕死の重傷者を病院に届けているのに、警察に行かれたら終わりなの? これ無許可どころか非合法でやってるってこと?
そしてその言葉の通り、パトカーが登場して民間救急隊を取調べ始める。許可証があるんだかないんだか分からないオチョア一家はドタバタと探し始める。
『ミッドナイト・ファミリー』の公式サイトによれば、『民間救急車の存在はメキシコシティの人々にとって間違いなく命の綱だ。一方、わいろや規制により脅しをかける警察が普通に存在するような不正はびこる市場でもあるため、民間救急隊は「海賊」や「寄生虫」と言い表されることもある。
この現象の発端は、1985年のメキシコ地震後に北米・中米から救急車が流入したことにあると言われている。今日において、この“闇”救急救命事業は世界でも最大規模の最も混沌とした医療システムの必要悪となっている』とのことだ。「必要悪」。そう、これはNGOでもボランティアでもなく、犯罪として救急患者を輸送する人々の物語なのである。
ちなみに英語版の『ミッドナイト・ファミリー』の説明にはこうある。「Midnight Family is a 2019 crime documentary film」ミッドナイトファミリーは2019年の、犯罪ドキュメンタリー映画である。
患者を奪い合う前代未聞のカーチェイス
次々と描き出される衝撃的な状況以上に、目を引くのは登場する人々の強烈な個性である。
長男のホアン・オチョアは個性派若手俳優みたいなルックスで鏡に向かって髪を撫でつけるし、父親のフェルは、ロバート・デ・ニーロがデ・ニーロアプローチのやりすぎで30kg太り、ダニー・デヴィートとフュージョンしてしまったように味のある顔をしている。まだ子供のホセ君も、一家の中でなぜか一番金を持っていて、文無しの父さんの代わりに財布から金を出してツナ缶を買ったりする。『ハリー・ポッター』に子役出演できそうなくらいキャラの立ちっぷりだ。
彼らを締め上げるパトカーの警官ですらドルフ・ラングレンみたいないかにもという顔のやつが平気でカメラに映る。
警官に賄賂を渡して逃げ延びる彼らオチョア一家は、いつも金がない。入った通報に(いったい彼らがどうやって救急情報を傍受するのかは映画の中で不明である)「今度こそ金が取れる患者であってくれ!」と駆けつけるが、すでにライバルの民間救急車が前を走っている。向こうもバックドアが半開きのメチャクチャな車両だ。「抜くぞ!」民間救急車どうしの、患者を奪い合う前代未聞のカーチェイスが始まる。
あまりに衝撃的でドキュメンタリーに見えない
この映画について多くの人がすでに書いていることだが、僕ももしこの映画を世界で初めて見る試写室の観客だったら、「いくらなんでもこれフェイクドキュメンタリーで、出演しているのはみんな俳優の再現ドラマじゃないの」と疑っただろう。
あまりにもメキシコの現実が衝撃的で、それに対比して映像と音声はあまりにもクリアで美しく(これはおそらくデジタル機材の進歩により、コンパクトなマイクやカメラで鮮明な映像を撮れるようになったこともあるのだろう)、人々の個性は強烈で、救急車と赤と青の光が患者と隊員を照らし、血みどろの患者が担架の上から手を祈るように真上にあげるショットはあまりにも映画的だからだ。
だがこの映画の公式サイトを見ればわかるとおり、名門・サンダンス映画祭米国ドキュメンタリー特別審査員賞受賞、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ショートリスト選出など、この映画はここに書き切れないほどの多くの賞を勝ち取っている。オチョア一家はサンダンス映画祭にいくための飛行機に乗る前日にようやくアメリカ行きのビザが降りたという。これは本物のドキュメンタリーであり、これはメキシコの現実なのだ。
まともに救急車を回すことのできないメキシコ
『可哀想なメキシコ、神からあまりに遠く、アメリカにあまりにも近い』。メキシコの19世紀の大統領、ポルフィリオ・ディアスが言ったとされる有名な言葉がある。人材も富も隣接するアメリカに吸い上げられ、アメリカ人の消費する麻薬によって流れ込む莫大な金によって政府ではなく犯罪組織が肥え太る国。
公営救急車がまったく機能せず、民間救急車が走り回るこの状況もその一部だし、ある意味ではこの作品の監督、ルーク・ローレンツェンがハーバード大学の同級生から話を聞いたことをきっかけにメキシコの現状を知り、4年かけて撮影したこのドキュメンタリーで一躍その名を轟かせることだって、メキシコの現実がアメリカ、そして世界で消費されていると言えなくもない。だが、彼が撮らなければいったい誰がこの現実を知っていただろうか?
メキシコの新型コロナ感染者数は180万人で世界13位だが、新型コロナによる死者数は現在、今にも人口13億5000万人のインドを抜いて世界3位になろうとしている。感染者数に対する死者の割合が、他国に比べて異常なまでに高いのだ。その一因が、まともに救急車を回すことのできない公的医療体制であることは想像に難くない。
このドキュメンタリーはまだ、新型コロナが猛威を振るう前に撮影されたものである。フェル、ホアン、ホセ。ドキュメンタリーに登場するパワフルで、魅力的なオチョア一家の人々は、今どうしているのだろうか。彼らの状況を他人事と思えるほどもはや僕らの国も、アメリカから遠くもなければ、神様に近くもないのだが。
(CDB)