秋田には、「伝説」と呼びたい百貨店がある。
その名は「木内百貨店」だ。
秋田出身の知人は言う。
木内はかつて「秋田の三越」と呼ばれていて、家族で「ハレの日」におめかしをして出かける特別な場所であったと。
子供は親に連れてってもらえば自慢になり、買ったことを証明する包装紙や紙袋はもてはやされ、贈答品はここでと誰もが決めていた。
誰にとっても“憧れ”の場所だった
さらに、木内の従業員ともなると社会的地位があり、容姿端麗の秋田美人しか採用されず、秋田の女性は高校を卒業して木内に就職し、ハタチそこそこで寿退社することがゴールデンコースだったという。
修学旅行では必ず訪れる重要なスポットであり、主要の路線は木内前のバス停にもれなく停車する。

秋田を代表するステータスのかたまり、キラキラと輝く誰しものあこがれ、それが木内百貨店だ。
消費税を取らず、お釣りはピン札!?
そんな木内には、令和時代とは思えない耳を疑う話がある。
それは、今でも消費税を取らず、お釣りがピン札で返ってくるというのだ。
平成元年に消費税が導入されてから30年以上経っているのに一体どうゆうことなのだろうか。今どきお釣りがピン札で返ってくるなんてことが、本当にあるのか。そしてそんな百貨店が、はたして今でも営業しているのだろうか。
全国各地いろんな場所を訪れている私でも、にわかには信じがたい話である。
これは実際に行って確かめなければという衝動に駆られ、わたしは木内を目的地として北へ向かった。
気品を感じるひっそりとした見た目
木内は秋田駅から1kmほど離れた、久保田城跡である千秋公園の南にある。秋田空港から秋田駅へと向かうリムジンバスに乗ると、30分ほどで木内の目の前で降りることができる。
時刻は開店10分前。
木内は、知らずに訪れたら見逃してしまうような、周りの景色と馴染む見た目をしていた。外壁は茶色と白のツートンカラー。1階は全面ガラス張りのショーウインドウ、上階には大きな窓がいくつも並んでいる3階建てだ。
広い道路側から眺めるとこぢんまりとした印象だったが、側面にまわると100mはあるであろうとんでもない奥行きを有していた。
木内の創業は明治22年。秋田久保田藩、武士の家柄だった木内俊茂が木内商店をはじめた。明治43年には秋田で初のショーウインドウ付の店舗を開き、昭和7年に木内雑貨店を設立して法人化。昭和26年になると百貨店の営業を始め、昭和30年に鉄筋コンクリートの3階建てに増築。昭和32年には県内初のエスカレーターが誕生すると、エスカレーターガールまでいたという。昭和47年になると売場面積が2倍に拡大され、秋田県内から多くの買い物客を集め活況を呈した。現在木内は百貨店協会を脱会しているため、正確には「百貨店」ではないようだが、令和の時代も営業中だ。
かつての開店時には従業員が並び最敬礼で盛大な挨拶が行われていた
「おはようございます。本日はご来店いただきまして、ありがとうございます。ただいまから開店いたします。」
ピンポンパンポーン
ジリリリリリリリ……!
牧歌的な女性の声で開店を知らせたあと、開演ベルのような懐かしい音がけたたましく鳴り響いた。
いよいよ念願の木内へと入ることができるのかと思うと、緊張と興奮で胸が高まる。
かつて開店時には入り口両側に従業員が並び最敬礼で盛大に挨拶が行われたのだと聞くと、より一層この時間は特別なものだったに違いない。
買物客が特別感を感じられる営業形態
木内には定休日がある。シフト制にしないのは「いつ行っても同じ従業員がいる安心感」からという話だ。
以前は毎週木曜日であり、それにあわせて周りの店も木曜日休みにしていたほどだとか。しかしいつしか水曜、木曜休みになり週休2日制に。さらに最近では水木に加え、日曜日までも定休日になってしまった。
さらに営業時間は10時から17時までという限られた時間というのも、訪れるものに特別感と緊張感を与える。