一ヶ所に留まることなく、常に世界を旅しながら人生を送る人たちがいる。
2020年11月に、7年間の旅の軌跡を綴ったエッセイ集『地上に星座をつくる』(新潮社)を上梓した、写真家の石川直樹さんもそんな旅人の1人だ。
今回、石川さんにインタビューできる機会を得た時、真っ先に筆者の頭に浮かんだのが、これまで世界各国を回り続けてきた人たちは、この新型コロナウイルスの感染拡大によって余儀なくされた「移動の制限」という事態に苦しんでいるに違いない、という考えだった。
取材のなかでその考えを伝えてみると、石川さんからは「ネガティブな気持ちは全くない」という意外な答えが。
緊急事態宣言下でも、これまでと変わらず「旅」を続ける石川直樹さんから「不自由を楽しむヒント」を探った。
1年の3分の2は家にいなかった旅人の7年間

1977年生まれの43歳。十代の頃、冒険や探検にまつわる本の世界にどっぷりとはまったという石川さんは、中学生の頃の四国1人旅を皮切りに、旅を続ける道として写真家という生き方を選んだ。
エッセイ集『地上に星座をつくる』は、石川さんが36歳の時に開始した文芸誌『新潮』での連載を書籍化したものだ。福島県の原子力発電所や富士山など国内の旅から、ネパール、シベリア、ノルウェー、そしてヒマラヤなど海外での日々の様子が綴られている。
旅のなかで見聞きし、感じたことを文章にしてきた7年間を振り返り、石川さんは「かけがえのない旅ばかり。特に30代の時は1年のうち3分の2は家にいないという状況で、最も濃密な時間でした」と語る。
コロナ禍は大きな変化だったけれど…
多い時には月に7〜8ヶ所の国や場所を訪れていたこともあるという石川さん。コロナ拡大による影響について聞くと、「確かに、旅が日常だったこの20年のなかで、身体の移動ができないという意味では一番大きな出来事かもしれません」と答える。しかし、「気持ち的にはそんなに大きな変化はない」と続ける。
「海外には行けなくなってしまったけれど、例えば今日、この取材場所の渋谷に歩いてくる途中でも、写真を何枚か撮ってきました。こうした移動もいわば“旅”の一つですよね。海外の国々も、渋谷まで歩くのと同じような感覚で旅してきたので、自分の生活や気持ちが今までと180度変わった、という感じではありません」
石川さんにとっての旅の定義とは「新しいものに出会うことや、未知の風景を見出すこと」。
人と直接出会う機会や新しい場所に赴く機会は減ってしまったが、石川さんが旅のなかで最も重視している「驚きと発見」は、現在でも多くの場所で出会うことができると話す。
ネズミが渋谷でタピオカを飲む姿に出会うのもヒマラヤの雄大さに触れるのも同じ「旅」
昨年4月に発出された1回目の緊急事態宣言後、石川さんは新しい「旅」をすべく、夜の渋谷に通っていた。
被写体は人のいなくなった渋谷センター街に大量発生したネズミたち。

「アルベール・カミュの『ペスト』の冒頭で、主人公が死んだネズミを見つけて異変を察知するシーンがあるんです。それを読んだのと時を同じくして、渋谷でネズミが増加しているというニュースを目にして、実際に行ってみたことがきっかけです。歩いてみると、本当にあちこちにネズミがいて。自分が持っていたこれまでの渋谷のイメージが大きく更新されて、面白くなって、写真を撮り始めました」
普段からフィルムカメラを使用している石川さんが、動きの速いネズミの姿を捉えるために選んだのは、富士フイルムの『写ルンです』。夜な夜な通い続け、撮影台数は100台以上にのぼるという。

「歩きまわって、ネズミの住処と呼べる重点的なポイントを3ヶ所くらい見つけましたよ」と石川さんは笑う。
「そろそろ渋谷で撮ることに一区切りをつけたいと思っていたのですが、再び緊急事態宣言が東京に出たので、まだ撮り続けています。渋谷の街とネズミを通じて、ぼくはコロナ禍を身体で実感し、その変化を観察し続けてきたという感覚がある。自分にとってはヒマラヤに行って山の雄大さに驚くのも、渋谷という見慣れた街でネズミがタピオカドリンクをストローで吸っているのを見て驚くのも、全く同質の驚きなんですよね」