Kindle版もあります。
「誰もが、この沼に落ちる可能性がある」
「普通の人が、ある日突然、加害者にも被害者にもなるんです」――平凡な男がマルチ商法によって家族を失うまでをリアルに描き、noteでの記事が大反響となったノンフィクションを書籍化。
小さなほころびからもろくも崩れ去った日常と、「マインドコントロールされた夫」「母親が信者」「100個の夢を持つ恋人」など、多様な被害者像から社会の現状を描く。自身の体験と、7年かけて集めた被害者たちの声。
いま、ブラックボックスの蓋が開けられる!
「マルチ商法」なんて、冷静に考えれば、幹部以外は儲からないのはわかるはずなのに……
僕も以前はそう思っていたのです。
でも、半世紀くらい生きていると、人間は常に冷静な判断ができるわけではないし、新興宗教やマルチ商法というのは、「否定的に接してくる他人をうまく丸め込み、信者にしてしまうノウハウを長年蓄積している集団」だということもわかってきました。
芦田愛菜さんが主演していた『星の子』という映画を観たのですが、劇中では、主人公一家に生まれた赤ちゃんの病気がきっかけで、家族は「信仰」に引き込まれていったのです。
溺れる人は藁をもつかむ、というのは、いつの時代でも変わらない。
この本を読むと、マルチ商法の勧誘は、「困っていて、助けを求めている人」に忍び寄ってくるだけではなく、むしろ、日常や健康に漠然とした不安を抱いている人に、ここまで、さりげなく近づいてくるものなのか、と愕然としたのです。
僕の妻も、地域の民生委員を務める平泉さん(仮名)という身近な60代の女性から勧誘された。
その頃僕と妻は30代半ば、3歳の娘と陽当たりの良いマンションで平和に暮らしていた。だが困っていたことがあった。同じマンションの住人に、自転車置き場にとめていた電動自転車にいたずらをされていたのだ。自転車を斃されたり、かごにゴミを入れられ成り、サドルを汚されたり、いたずらは日に日にエスカレートしていき、そのうち娘に危害が加えられるかもしれないという恐怖から新たな自転車置き場を探さなければいけなくなった。
そこで妻から「平泉さんなら持っているマンションの自転車置き場を貸してくれるかも」と提案があった。妻が平泉さんに頼みにいくことにした。帰ってきた妻に「どうだった?」と聞くと、平泉さんと玄関先で顔を合わせるなり、「子どもに何食べさせてるの?」と聞かれ、食や健康のことについて「あれ食べさせちゃだめだよね~」などという話で1時間ぐらい盛り上がったと聞かされた。「自転車もタダで置いていいって言われたよ~」と、うれしそうに話していた。
後日、平泉さんに料理教室に誘われたから行ってくるね!」と、妻は僕に娘を預けて出かけていった。帰ってきた妻に「どうだった?」と聞いたら、「今まで行ったなかで一番立派な家だった」と興奮気味に話していた。
「騙されるほうに隙がある」「もともとの家族関係に問題があったのではないか」と、ネットでは厳しい意見が突きつけられることもあるのです。
でも、僕は思うんですよ。
「家族」とはいえ、自分が仕事をしているときや、一緒にいないときに配偶者や子どもが何をしているか、きちんと「知っている」と自信を持って言える人って、どのくらいいるのだろう?って。「完璧に把握している」と言い切る人がいたら、そのほうが怖い気もします。
病気や悩みをきっかけにハマっていった、というのなら、「理解しやすい」けれど、こんな日常のささいなトラブルや出会いがきっかけで、人はマルチ商法にハマり、家庭は崩壊していくのか……
この「平泉さん」が、「X社」という有名なマルチ商法をやっている人だったのです。
配偶者が「お世話になった人(友達)が紹介してくれた料理教室(あるいは友人同士の集まり)に行きたい」と望んだときに、「それはマルチ商法の勧誘じゃないのか!身元を確認する!行っちゃダメだ!」と諫止することができますか?
結局のところ、落とし穴はそこらじゅうに開いていて、落ちるかどうかは運次第、なのかもしれません。
しかも、マルチ商法というのは、基本的には「合法」なのです。
強引な勧誘や勧誘目的を隠して人を自宅に招く、などという行為は違法になるのですが、現実には、そういうことをやっている人は大勢いますし、相手が身内や知人などであれば、それで警察に訴える、というのもやりにくい。それで壊される側の人生に比べれば、たいした罪にもなりませんし。
「白砂糖は麻薬だから子どもに食べさせてはいけない」「薬はリスクだから飲んではいけない!」「放射能や農薬まみれの野菜を買ってはいけない」、そういう話を平泉さんがしてきて、もともとそういう話に強い興味があった妻は意気投合したらしい。でも、「X社の製品を買っていい?」と妻に聞かれた僕は、瞬間的に「やめろ! そんなの買ったら離婚だから!」と言ってしまった。それは僕自身、驚くぐらいの強い口調だった。すると妻は拗ねてしまった。
それから数週間後、「平泉さんがX社の空気清浄機を貸してくれるっていうから家に置きたい」と妻が言いはじめた。「花粉症も治るし、空気の質が良くなると健康にもいいんだって」と。僕はやめてほしいとお願いした。製品を買い込むことになるのではないか、と警戒心もあったのだと思う。結局「タダなんだよ」「なんか違うと思ったら返せばいいんだから」と押し切られ、しぶしぶ2週間の約束で置かれることになったが、妻が2週間で空気清浄機を返すことはなかった。
正直、著者の元妻は、「マルチ商法とか新興宗教にハマりやすい素養」はあったのではないか、と感じました。
ただ、僕の家でも、東日本大震災の直後に「水道の水が放射能で汚染されている」ことを心配して、ペットボトルの水を使っていたことがありました。
僕は「ここは九州だし、これだけ多くの人が水道を使って生活していて、現時点では健康被害は報告されていない。それに、水道局ではモニタリングも行われている」と「理論的に」説明したつもりだったのですが、「大人はだいじょうぶでも、もし子どもに何かあったらどうするの?あなたは責任とれるの?用心して悪いことはないんじゃない?」と言われ、それ以上の説得は諦めてしまいました。
人を「理屈で説得する」というのは、本当に難しい。というか、ダメなときには、どうやってもダメなのではなかろうか。
ふだんは理性的な人であっても、病気だったり、小さな子どもの育児への不安があったりすれば、新興宗教やマルチ商法は、そこに乗じてくるのです。
相手は「洗脳」のプロなので、一度つかまってしまったら、そう簡単に逃れることはできません。
人は、一度何かを強く信じてしまうと、それを否定することは難しいのです。「それまでの自分やそこで生じた人間関係」を失うことにもなりますし。
この本を読みながら、僕は著者に関しても、「こういうのって、運が悪い、というか、どうにかしようと思っても、どうしようもなかったんだろうな、辛かっただろうな」と思わずにはいられませんでした。
その一方で、娘さんのことに関しては、父親としてできること、助けるチャンスがあったのではないか、という苛立ちもあったのです。
離婚のとき、自分が引き取る、あるいは、引き取るために争う、という選択肢はなかったのか?