日韓関係を揺るがせている徴用工問題というのは、日本統治時代に戦時動員された朝鮮半島出身労働者に対する補償問題だが、これは1965年の日韓国交正常化の際のいわゆる「請求権協定」で本来は解決済みの話である。それを韓国の裁判所が否定し、今になって日本の関連企業に補償しろと言い出したことからおかしくなった。
「請求権」というのは、過去の統治時代にかかわるお互いの資産や財産などについて相手側に補償を求める権利のことで、それには戦時労働者の未払い賃金などの補償も含まれていた。請求権問題は国交正常化交渉で大いにモメたが、相手への要求となるその対象や額などをめぐって話が進まないため、最後は日本側が提供する「経済協力資金」を韓国側が「請求権資金」として受け取ることでケリがついた。

協定の正式名称が「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」となっているのはそのせいである。経済建設を急いでいた韓国側の事情を背景にした政治的解決だった。この時の資金は韓国政府がまとめて受け取ったため、いわゆる個人補償は別途、韓国政府が国内的に処理することになった。事実、韓国政府は朴正熙政権の1970年代と盧武鉉政権の2000年代に個人補償を実施している。
請求権交渉では、日本統治時代について支配にともなう「収奪論」が強い韓国側は当然、膨大な額を要求した。しかしこれに対し日本側にも終戦時、朝鮮半島からの撤収に際し残してきた膨大な資産、財産のことがあり、韓国側の一方的な請求権要求には承服できなかった。
日本が残した数千億ドルの資産
日本側は最終的には自らの請求権を放棄するかたちで「経済協力資金」方式によって問題を解決したのだが、この背景には朝鮮半島に残した日本資産に関して米国(連合国)から強いられたある約束(?)があった。1952年、敗戦後の米国による日本占領が終わる際の対日講和条約上の解釈で「請求権は主張できない」とされていたからだ。
もっとも韓国は対日戦勝国ではなかったため、この講和条約の当事者ではなかったが。
結局、日本は朝鮮半島に残してきた膨大な日本の資産については請求権を放棄したことになるが、その資産がその後、韓国でどうなったかについては、ほとんど知られていない。そして徴用工補償問題が表面化するなか、朝鮮半島に残された日本資産を考えれば、今さら日本への要求、それも日本企業の在韓資産に対する差し押さえなどとんでもないといった感情が日本側に生まれてもおかしくない。
朝鮮半島に残された日本資産がいかに形成され、それがどのように処理されたのかを研究した李大根著『帰属財産研究―植民地遺産と韓国経済の進路』(2015年、イスプ社刊)は、その埋もれた歴史を掘り起こす貴重なものだ。
この研究書は700ページに近いもので、日本資産の形成過程と処理過程に分かれているが、前者については韓国で定説になっている収奪論を否定し、日本による投資・開発の結果としている。そしてこの日本資産が日本統治時代はもちろん、解放後の韓国経済の発展にも大きく寄与したと結論付けている。
著者の李大根教授はソウル大商学部出身の経済学者。最近、日韓でベストセラーになった李栄薫編著『反日種族主義』の執筆グループが依拠する「落星台経済研究所」の初代所長で先輩格になる。したがって、その歴史認識や定説への挑戦にはお互い共通するところがある。共に日本統治時代がもたらした肯定的な側面を評価する、広い意味でのいわゆる「植民地近代化論」に属する。
1945年の敗戦・撤収で日本が残した資産は当初、南朝鮮(韓国)についていえば進駐米軍(米軍政司令部)によって接収され、後に韓国政府(1948年発足)に譲渡される。「帰属財産」とは米軍の用語(vested property)からきているが、韓国では「敵産」といわれた。
その総額については学問的に確定した数字はないが、李大根教授は当時の米軍の推定として「52億ドル」をあげている。日本の経済実務者に推計してもらったところ、現在の貨幣価値では最低で1000億ドル、計算方法によっては数千億ドル以上になるという。総督府や軍関係などの公的資産のほか、接収された民間企業は2300社以上に上り、個人経営の商店などは数え切れない。