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サンスティーンという固有名を超える!――めんどうな自由、お仕着せの幸福第6回(最終回) 成原慧×那須耕介

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那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、ついに最終回です。トリをとっていただくのは、九州大学の成原慧さん。プライバシーやAI、ロボットといった、今をときめくテーマで各所に引っ張りだこの成原さんに、そもそものところからうかがい、やっぱり出てくるサンスティーンとレッシグの対比をしつつ、視点は「意識高い系」までジャンプ! どうぞお楽しみください。(勁草書房編集部)

那須 ここまで5人の方々にリバタリアン・パターナリズムやナッジをめぐってお話をうかがってきたのですが、私の人脈の狭さもあり、法哲学や政治理論の研究者が中心でした。今回はじめて、実定法分野の先生のお話をおうかがいすることになるわけです。そこでまず、成原さんご自身の研究についてお聞かせいただけますか。ご存じない方もいると思うので、できれば、情報法がどういう分野なのかについてもお願いできますか。

成原 法学には憲法、民法、刑法を中心とした伝統的な領域がありますが、情報法、環境法、消費者法、労働法、知的財産法あたりは比較的新しい分野です。これら新しい法分野は、それぞれ固有の対象に着目していて、情報法ですと情報という対象に着目した法分野ということになります。

従来の法学では民法を中心として、典型的には不動産にせよ動産にせよ有体物を権利の客体としてとらえて、取引のあり方などを議論してきたのに対して、情報法は、形のない、見えない情報が対象です。そういう、とらえどころのないところがあります。

情報法は、こうした捉えどころのない情報がつくられて、流れて、享受されていく過程にかかわる法的な問題を総合的・体系的に研究する分野です。

成原慧氏

情報法の2つの文脈

成原 日本の情報法の歴史には、2つの文脈があります。1つはメディア法の文脈で、印刷メディアや放送メディアを通じてさまざまな情報が届けられる、その過程で生じる法的な問題を扱うものです。新聞記事による名誉毀損やプライバシーの侵害、あるいは引用と著作権との関係などです。従来多くの情報の生産、流通、消費のプロセスを担ってきたのは、マスメディアを中心とするメディア企業でした。新聞社、テレビ局、あるいはその担い手であるジャーナリストに関する法のあり方を問うてきたわけです。

もうひとつの源流は、情報公開、個人情報保護という分野です。情報の保護や公開に関する問題が扱われてきた分野で、日本では、1970年代から80年代にかけて、一部の先進的な地方公共団体が先駆けて個人情報保護法条例や情報公開条例を定め、やがて国レベルでも情報公開法や個人情報保護法が整備されました。

ただ、これらの法律はスタート時点ではマイナーな分野で、情報法がこれだけインパクトをもつようになったのは、やはりインターネットの発展が大きいですね。それまでの情報法は、行政機関やマスメディアといった一部の主体にしか関係ない、業法に近いところがあったのです。

「一般人」にも法律問題が発生しはじめて……

成原 ところが、90年代にインターネットが発展すると、一般の個人もネットで簡単に情報を発信できるようになりました。そうすると、個人が表現の自由を実質的に享有できる環境が実現した反面で、掲示板に人の悪口を書いたり、私生活に関する情報を書いてしまったりして、名誉毀損やプライバシー侵害といった法的問題が顕在化しやすくなったんです。こうして情報法が注目の的になってきました。

また、従来のメディア以外にも、いろいろな企業が、個人情報を取り扱うようになるなど、情報法にかかわるようになり、ビジネスの場面でも注目を集め始めました。

那須 インターネットの登場は情報法の関心のあり方自体を変えたんですね。

成原 当初は、インターネット上に「サイバースペース」という仮想空間が広がる中で、「サイバースペースは現実の世界となにが違うのか」ということが議論されていました。現実の世界であれば、法的に規制したり、あるいは共同体の社会規範により規制していくことができる。ところが、インターネット上では、情報流通の越境性や匿名性の高さなどにより、法や社会規範による規制が困難となる一方で、問題のある投稿をする人をブロックしたり、著作権を侵害するような振る舞いを不可能にしてしまったり、子どもが有害なサイトを見られないようにフィルタリングをしてしまったりとか、そういう物理的・技術的手段を用いて人々の行動を制約することが増えきたんです。

アーキテクチャ論が開いた新しい自由観

成原 そうした時に、ローレンス・レッシグをはじめとする当時のサイバー法学者が、「アーキテクチャによる規制」という概念を提示して、問題を可視化しはじめました。私が情報法を研究しはじめた際の問題意識は、アーキテクチャという新たな権力によって我々の行為が制約されるようになった際に、我々の自由のあり方はどのように変わるのか、ということでした。具体的にはインターネット上のフィルタリングやブロッキングなどによる有害情報の規制、著作権侵害コンテンツの排除といったことに関心をもって研究をしてきました。

那須 成原さんもアーキテクチャ論を入り口にしてこられたんですね。

成原 アーキテクチャは我々の自由を制約するものとして警戒されてきました。しかも、法とは違って、私たちの行為の可能性自体を制約してしまい、逆らえない。見えないところで環境が操作されて、私たちがその制約を認識することも困難です。企業が開発した場合には民主的な統制も難しい。

とくに日本では、アーキテクチャ論が、実定法学者以上に、法哲学者や哲学者、社会学者の方に広く受容されたところがあって、哲学的な問題、あるいは現代思想的な問題意識のもとに議論されることが多かったんです。

そうした議論にも一定のシンパシーをもっていたので、「我々の自由を制約するものとしてのアーキテクチャ」にどう対峙していくかという問題意識は、やはり強かったと思います。

那須 情報法という分野が、専門的な実定法学者だけではなく、いわゆる現代思想に関心のある人たちにも強くアピールした背景には、「そもそも自由とは何なのか」という問い直しがそこで進められていたからでしょうね。

我々の自由は自然に与えられるものではなくて、生活上の環境を組み替える権力作用を通じて人工的につくり出されるものだということが、情報法の世界にとてもわかりやすい形であらわれた。

しかし、その仕組み自体は我々にはまるでわからないし、その仕組みをつくり出すのも我々ではない。そんな状況から、「自由を制限しているものは何なのか」という問いと、「そもそも、自由を可能にしているものは何なのか」という問いとが、一体となって立ち上がってくるような経験があったのではないかなと思います。

那須耕介氏

「アーキテクチャに先立つ自由」は考えられるのか?

成原 おっしゃるとおりで、アーキテクチャには、自由を制約するだけではなくて、構成する側面もあります。レッシグにもそういう問題意識はあるんですけれど、後者の側面を明確にしたのがサンスティーンの議論でした。そこが彼の功績だと思うんですが、アーキテクチャによる自由の構成を語った瞬間に、「アーキテクチャに先立つ自由」のようなものを観念することが困難になってしまった、という問題があります。

サンスティーンは法についても似たようなことを以前から語っていました。我々のさまざまな自由が、国家による法的規制によって成り立ち、構成されているのならば、「法に先立つ自然な自由」の領域は、少なくとも我々のように高度に制度化された社会生活を送っている文脈では想定しがたい。

アーキテクチャについても同じことが言えて、インターネットははじめから人工的なので、なにがベースラインなのかが明らかではなく、どこまで行動できるかもアーキテクチャにより決められています。たとえば、「ここまでしか移動できません」というのは、自由の制約なのか、あるいは、そこまで自由が可能になっているといえるのか。ペットボトルに半分お茶が残っていたら「半分も残っている」と思うのか、「半分も飲んでしまった」と思うのかというのと似たようなものですね。

私も含めて、情報法ではアーキテクチャを「自由に対する制約だ」と素朴に語ってきたところもあったんですが、サンスティーンの問題提起を真剣に受けとめると、そういう素朴な語り方が許されなくなってしまうんですね。たしかにアーキテクチャは、その設計のあり方ゆえに我々の行動を制約するかもしれないけれども、そもそも我々の行動が可能になっているのも、アーキテクチャの設計のおかげだ、と。

インターネット上の人工的な空間はもちろんのこと、我々の現実の世界にしても、都市をはじめ大部分は人工的に設計されている。「どこまで歩いていけるか」といったこともアーキテクチャによって決められているとすると、「それに先立つ自由はどこまであるのか」という難問にぶち当たるんですね。

古いタイプの自由観と「選択肢集合としての自由」

那須 古いタイプの自由論は「政府の力の行使が減れば個人の自由が拡大する」という単純な「消極的自由」の構図で考えられてきたけれども、J・S・ミルは、圧政の解除によって即座に自由になれるわけではなくて、さまざまな社会的権力と対抗することも重要だと強調しました。しかし、この社会的権力を排除するにはしばしば国家権力が必要になる。

またさらに、「積極的自由」の問題もあります。人が実際に選べる選択肢の幅が実際どれくらいあるか。これもまた、「圧政の除去」だけでは実現されない自由です。自由の問題は、この三つ巴の構図をとることによって解きにくくなりました。

大屋雄裕さんはかつて、「アーキテクチャなし」の状態はありえないんだから、これをどう設計するか、という形でしか我々の自由の条件は考えられない、というサンスティーンのレッシグ批判を紹介して、これがアーキテクチャ論の一つの転回点になった、と指摘されました。しかし成原さんは、「サンスティーンの批判以後もレッシグの問題関心は生きていて、両者は互いの盲点を補い合う、相補的な関係にあるんじゃないか」という仮説をとっておられるように思うんです[成原「アーキテクチャの設計と自由の再構築」松尾陽編『アーキテクチャと法』弘文堂、2017年]。どうでしょうか。

成原 ご紹介いただいた拙稿でも論じたことがありますが、「レッシグとサンスティーンの視点の違い」というのはおもしろい話ですね。その前提として、サンスティーンの自由観は、人が実際に選べる選択肢の幅という意味での「積極的自由」を想定しているんじゃないかというお話がありましたけれども、たしかにそういう面があって、アマルティア・センの言う「潜在能力としての自由」に近い気もします。制度なり、アーキテクチャを構築することを通じて、我々の選択肢の集合を増やす。サンスティーンの「選択アーキテクチャ」の議論には、そういう側面が確実にあると思います。

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