出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記
作者:宮崎 伸治
発売日: 2020/11/19
メディア: Kindle版
Kindle版もあります。
出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記
作者:宮崎 伸治
発売日: 2020/11/19
メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)
30代のころの私は、次から次へと執筆・翻訳の依頼が舞い込み、1年365日フル稼働が当たり前だった。その結果、30代の10年間で50冊ほどの単行本を出すに至った。が、そんな私もふと気がついてみれば、最後に本を出してから8年以上も経っていた。―なぜか?私が出版業界から足を洗うまでの全軌跡をご紹介しよう。出版界の暗部に斬りこむ天国と地獄のドキュメント。
僕にとっては憧れでもある出版業界って、こんな状況だったのか……と、がっかりしながら読みました。
「良い本を出す」という行為を通じて、社会に貢献するという意欲がある一方で、「売れる本を出す」ことで、そこで働いている人たちが食べていけるようにしなければならない、という厳しさがあるのは理解できるのです。
良い本=売れる本、であれば、悩む必要はないのでしょうけど、現実はそんなに簡単ではない。
逆に、「売れる本が良い本なのだ」と考えている業界人も多いみたいです。
出版というのを安定して続けていくためには、お金になること、従事するひとたちが食べていけることが大事ではあるし、稼ぐことを否定するつもりはありません。
でも、なぜその負担が、弱い立場である著者や翻訳者にばかり押しつけられてしまうのか。
著者は、「まえがき」で、自らの出版翻訳家としてのキャリアをこう述べています。
ひと昔もふた昔も前、私は「売れっ子」だった。
当時の私には次から次へと仕事が舞い込んできていたため、怒涛のごとく訳して訳して訳しまくった。10年近くは休みらしい休みもほとんど取れないくらい忙しく働いた。かくして私は約30冊の翻訳書を出すに至り、その過程でさまざまなことを経験した。自分の名前が載った翻訳書が書店に並ぶ、胸がキュンとするくらい装丁が綺麗に仕上がっている、翻訳のクオリティーを褒めたたえたファンレターが来る。講演の依頼が来る、著書の執筆依頼が来る、ベストセラーになる、新聞広告がドカンと載る、印税がガバガバ入る……そういう数々の成功体験ができた。
しかし、8年前、私はその世界から完全に足を洗った。
なぜか? 経験したのは良いことばかりではなかったからだ。怒りとやるせなさで一睡もできないまま夜を明かしたことも幾度もあった。
約束していたはずの印税が突然カットされる、発行部数もカットされる、出版時期をずるずる何年も遅らされる、印税の支払いもそれに連動して遅らされる、編集者から知名度の低さを小馬鹿にされる……。この程度のことは日常茶飯事だった。自分には何の落ち度もないのに出版が中止されたことも何度かあった。1冊のすべてをまるまる訳した後になってからの出版中止だ。
出版業界って、契約や報酬の支払いに対して、こんなにいいかげんなのか……と、呆れるような話が満載です。
そして、著者は「お金の話」だけではなくて、「翻訳者として、本にちゃんと名前が記載される」ことを重視しているのです。
お金さえもらえれば良いんじゃない?というわけじゃなくて、自分が訳した本は、自分の仕事として、ちゃんと名前を残したい。ところが、出版社の側は、「翻訳者の知名度」が売上に大きく影響すると考えていて、まともに読む時間すらなさそうな有名人を、突然「監修者」にしたり、実際に翻訳した人の名前を表紙から消したりしようとするのです。
私が翻訳書担当の編集者についてもっとも驚いていいることは、彼らが翻訳のクオリティーに対する関心があまりにも薄いことである。彼らにとって最大の関心事は売れたか売れなかったかであり、売れない翻訳書は翻訳のクオリティーに関係なく「失敗作」なのである。
私に翻訳の依頼をする場合も、私が超特急で訳文を仕上げてくれるからという理由で頼む編集者がほとんどである。私は「困ったときの宮崎先生」というフレーズを複数の編集者から何度となく聞かされたが、これは出版できる原稿がなくて「困ったとき」に超特急で原稿を仕上げる「宮崎先生」に頼むしかない、という意味のようである。
SFとかミステリ、文芸書の翻訳のクオリティーについては、けっこう出版社も読者もこだわりがあると僕は感じています。著者の場合は、「ビジネス書」「自己啓発書」が主戦場だったのも、「売上至上主義の出版社・編集者」に出会ってしまった理由なのかもしれません。ビジネス書というのは、売れる本はものすごく売れるジャンルですし、売るためには出すタイミングも大事です。