
インターネットが普及し、さまざまな情報に触れる機会にあふれた21世紀。加えて、SNSなどのサービスを通じて、自らも言葉を世に発することのできる社会に変化した。私たちが使う「言葉」とはどういったものなのか。言語学者である金田一秀穂氏に、言葉の性質と、それを扱う私たちへの問題提起をしていただいた。
取材・文/木村光一 撮影/タカオカ邦彦
言葉は新陳代謝を繰り返す生きもの
みんなの介護 根本的な質問です。「若者言葉」のように、なぜ言葉は変化するのでしょうか。言葉が意思を伝達するためのツールなのだとすれば、あまり変化しないほうが世代間に認識のずれも生まれず好都合なのではありませんか。
金田一 今、日本の人口は約1億3,000万人。言葉が話せない子どもを除外したとしても、総人口に近い数の人間が話している言葉を統一することなんて不可能なんです。常に日本のどこかで新しい言葉が使われ始めたり、特定の言葉が本来の意味とは違う使われ方をしたりしています。それらが共感を得て広がる場合もあれば、逆に全然理解されず消えてしまう場合もある。言葉というのは生きていて、絶えず新陳代謝を繰り返しているのです。変化は誰にも止めらない。むしろ、変化しないような言葉は死んでいるとも言えるかもしれません。
みんなの介護 では、金田一さんが危惧している日本語の問題などはありますか。
金田一 現代の日本語で一番懸念されるのは、マスコミが多用する言葉です。例えば「絆」。この言葉があらゆるメディアで濫用されたことにより、本来の意味がだいぶ薄れてしまった。「絆」という言葉が誠実に使われなかったということにほかならず、悲しい思いです。本当にその言葉を使うのに相応しい場面なのか。あるいはその状況を「絆」という一語でなければ表現できないのか。これらについて真剣に考えて言葉を選択していく必要があると思います。
詩人の谷川俊太郎さんのような方は、考えに考え抜いた言葉を使って表現を行っています。だから同じ言葉でもずしりとした重みがある。それに比べるとマスコミの言葉の選び方は「みんなが使ってるし、とりあえず絆って言っとけば間違いないんじゃない」といった安易さを感じます。広告のキャッチコピーでも目にする機会が多く、見たものは「またか」とうんざりしてしまったのではないでしょうか。一時期流行った「癒し」もそうでしたが、言葉に対する態度が不誠実なのだと思います。
日本の近代化には日本語の構造の簡単さが影響している
みんなの介護 よく日本語は世界的に見て特殊な言語だと言われます。それ故、日本人は外国語の習得が苦手なのだといった意見も耳にしますが、それは本当なのでしょうか。
金田一 う〜ん。僕は“特殊”という点において、日本語もほかの国の言語も同じだと思います。もし、本当に日本語だけが特殊であるなら外国人に教えることはできません。他者に理解させることはできないはずなんです。 むしろ発音に関して言えば、日本語は簡単。他言語話者にとって学びやすい言語の一つだと思います。文法についてはごく普通で、英語の方が遥かに複雑にできています。例えば、同じく漢字を用いる台湾人や中国人であれば、日本語の文章の意味を理解できないということにはなりません。文法も日本語、朝鮮語、モンゴル語はほぼ同じ。だからモンゴル出身のお相撲さんは日本語の上達が早い。ただ、日本語の「書き言葉」と「読み」は非常に難しいので、その点だけ見れば特殊と言えるかもしれません。
みんなの介護 では視点を変えて、日本語の長所と短所を教えていただけますか。
金田一 まず長所は音が少ないこと。一文字一音対応になっている。そして英語などに比べてスペリング(綴り)が簡単です。
いまだに文字を読めない人は世界中にたくさんいます。しかし、一文字一音の平仮名があるおかげで日本人のほとんどは読み書きができる。ふりがなを振れば小学一年生であっても、多少の難しさはあれど基本的にどんな文章でも読めてしまいます。これはあまり指摘されていないポイントなのですが、僕は明治政府の近代化が恐ろしいスピードで達成されたのは日本人の勤勉さというより、そういった日本語の構造の簡単さが教育を行ううえで有利に働いたからだと考えています。
一方、日本語の短所は文章を書くときに漢字や平仮名やカタカナが混在していること。それと音が少ないため同音語が多くてややこしい。例えば「こうてん」は、「好天」なのか「荒天」なのか。その違いは漢字にしないと理解できないため、覚えなければならない漢字がどんどん増えて難しさが増していきます。 日本語の長所と短所は表裏一体の関係にあることが日本語のおもしろいところ。それがあるからこそ、日本人は「語呂合わせ」や「駄洒落」のような言葉遊びを楽しむことができるんですよ。