どうすれば少子化は解決するのか。文筆家の御田寺圭氏は「リベラルな人々が求める自由で寛容な社会に近づくほど、子どもは生まれなくなり、リベラルな価値観を持つ人も減っていく。今、先進各国はパラドックスを抱えている」という——。
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ネットで話題になった「逃げ恥」スペシャル
「2016年に放送され、女性からの絶大な支持を集めていた大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の続編が、2021年1月に新春スペシャルとして放送され、大きな話題となっていた。とりわけ話題を集めたのは、ドラマの方向性が2016年の本編放送時のコンセプトよりもさらに「ポリティカル・コレクトネス」に先鋭化していた点だ。
「逃げ恥」は、2016年の放送当初から、フェミニズム的な文脈でよくいわれる「女の価値を若さに求めるのは『呪い』だ」とか、ブラック企業問題における「やりがい搾取」など、どちらかといえばリベラルな人びとにウケのよいコンセプトを多分に含んでいた。
今回のスペシャル版はそれに輪をかけて、ツイッターランドでよく目にする「社会正義」「ポリティカル・コレクトネス」を肯定した脚本に仕上げられていた。たとえば、育児について「サポート」すると申し出る男性側に対して、その言葉尻を捕らえて「サポートってなに?(なぜ男はいつも手伝う側で平等に責任を持たないのか?)」と返す女性側、といったシーンがあった。これはインターネットで人権問題に敏感な人びとがテンプレのように使い古した「ジェンダー揚げ足取り」を髣髴(ほうふつ)とさせる。
そのほか、「選択的夫婦別姓」「男性/女性の育休・育児」「産まない自由」「少子化問題」「ハラスメント」「ルッキズム」「ジェンダーバイアス」「同性愛」「男らしさ/女らしさ」など、「近年のSNSで話題の論点チェックリスト」をわずか1回の放送という限られた時間内で大急ぎで埋めていくような「ポリコレ欲張りセット」とでも言うべき出来栄えであった。まさしくSNS時代におけるドラマ制作の新しい可能性が提案された形であるだろう。
案の定、本ドラマを視聴して「現代の日本社会の問題点を網羅している! これを観て多くの人が考えるきっかけとするべきだ!! 社会を変えていくべきだ!!!」といった感想を表明している人が多く見られた。
しかしながら他方では、ポリティカル・コレクトネスに信心深く帰依している人でもないかぎり、正月早々のドラマでいきなり「ツイッターのケンカ」を題材にした説教臭い小芝居を見せられているようなコンテンツは、必ずしも快いものであるとは限らない。新垣結衣さんの可愛さだけではさすがに中和できないほどの「こってり感」に胸やけを起こし、最後まで視聴することができなかった一般視聴者も少なくなかったようだ。
「批判」と「批判を許せない人」の声
むろん筆者も個人的にはこのようなドラマを好んで観ることはまったくないが、だからといってこのようなポリコレ・ファンタジーやそれを楽しむ人びとがいることにはなんの問題もないと考えている。ここは表現の自由が擁護された国である。それぞれが好きな作品を大いにエンジョイすればよいだろう。
同ドラマに「ポリコレ推しがウザい」「ストーリーが説教臭い」「リベラルに偏ってしんどい」といった批判や落胆の声が寄せられていることに、ポリコレ・ファンタジーを愛する人はたいそうご立腹のようだ。しかしながら、それこそが、自分が愛するコンテンツに対してポリコレ・マニアから「人権感覚が遅れている!」「性的搾取!」などと激しい非難やソーシャル・スクラムを受けている人たちが平時に味わっている気持ちと同じものなので、この機会に相手側の気持ちを存分に味わっておくのもまた一興だろう(※1)。
(※1)プレジデントオンライン『「不快なポスターを許せない」保守化するリベラルの末路』(2020年2月19日)
「ポリコレ」は「権力」を持っているから嫌われる
エンタメとして楽しむ分にはどのようなものであれ自由ではあるものの、しかしながら、この手の「ポリティカルにコレクトなコンテンツ」に付随しがちな問題があることもたしかだ。
すなわち、こうしたポリコレ・ファンタジーを真に受けて「現実もこうあるべきだ」と喧伝するような人が大勢現れ、しかもそうした人びとが実社会で一定の政治力を担保してしまうことである。
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「(たとえ創作の物語であろうが)これは社会への重大な問題提起なのだから、多くの人が耳を傾け、真摯に反省し、実際に行動し、社会を変革していかなければならない」などと真顔で言いだしてしまうし、またそれに従わない者に「社会悪」のレッテルを貼る――「ポリコレ表現」というジャンルには「ポリコレファンの押しつけがましく攻撃的でさえある社会正義しぐさ」が緊密にワンセットになっている。こうした点こそが「ポリコレ」という表現ジャンルが持つ重大な特異性である。
ポリコレファンたちの押しつけがましさや攻撃性に加え、他の表現ジャンルとは比較にならないほどの「政治権力」をすでに持っているからこそ「ポリコレ」というジャンルは、単なる表現としての批評の枠組みを超え、社会思想的な範疇の論争を巻き起こし、はげしい毀誉褒貶(きよほうへん)をつくりだしている。
「生まれてこないほうがよかった」と考える人々
「逃げ恥」で取り上げられたような論点――「ジェンダー平等」「産む自由/生まない自由」「少子化問題」など――あるいは、さらに先鋭的な「反出生主義」といった議論が大真面目に展開されているのは、なにも日本にかぎった話ではない。「人権」や「リベラリズム」の価値観を共有する先進各国では、こうした議論はいま同時発生的にみられている。
「生まれてこないほうがよかった」……。そんな「反出生主義」という思想が静かなブームになっている。海外では数年前から反出生主義の言論が目立ち始め、日本でもコロナ禍の今、関連書籍が売り上げを伸ばしているという。
(中略)
最近ではインターネットを通じて世界に拡散されています。南アフリカの哲学者、デイビッド・ベネターが有名ですが、地球環境問題の悪化を深刻に受け止め、子どもを作らないことを推奨したり、人類絶滅を目指す運動もあります。2019から20年にかけて、反出生主義は世界的なカウンターカルチャーのトピックとして浮上しています。
毎日新聞『「生まれてこないほうがよかった」 世界で注目「反出生主義」とは何か』(2021年1月2日)より引用