
バブル経済の崩壊を受け、経営破綻した住宅金融専門会社(住専)。6兆7800億円にも及んだ不良債権を回収するため、政府は国策会社「住宅金融債権管理機構(住管機構)」を設立した。巨額の税金が投じられることに国民の怒りが収まらぬ中、“怪商”“不動産王”と呼ばれる悪質債務者からの回収を担当したのが特別回収部(通称・トッカイ)だ。与えられたのは、失政のツケを負いつつも国民の税金を守るという厳しくも尊いミッションだった。
WOWOW開局30周年を記念した本格社会派大作『連続ドラマW トッカイ ~不良債権特別回収部~』(毎週日曜夜10時放送中/全12話)は、主人公であるトッカイ・リーダー役の伊藤英明ら数々の実力派キャストを迎え、不良債権回収に奔走した苦闘を描き出す。
原作者で元読売新聞記者のノンフィクション作家・清武英利氏は、ジャーナリストの田原総一朗氏を招いた対談で、トッカイに関する3年半の取材を振り返り、過去に何を学ぶべきかを語った。バブル崩壊後の社会を鋭く見つめてきた2人に共通したのは、理不尽や不正に対して怒りをあらわにしない今を生きる人々への疑問だった(以下、敬略称)。
その努力が誰にも知られていない だからトッカイを描きたかった
清武が住宅金融債権管理機構(現・整理回収機構)の取材を始めたのは2015年の秋。設立から20年近くが過ぎてなお、住管機構が債権回収を行っている事実を知った驚きからだ。設立時の社長を務めた中坊公平氏(元日弁連会長)をはじめ、債権者、債務者、関係者らへの3年半に及ぶ取材を続け、単行本『トッカイ バブルの怪人を追いつめた男たち』(講談社)にまとめた。
田原:『トッカイ』、面白かった!この問題は、前から取材してたの?
清武:読売新聞社会部にいたときに中坊さんに取材した経験もあり、不良債権の問題だけではなく他にも様々な経済事件を扱ってきました。“社会経済部”みたいな役割で、『トッカイ』で取り上げた整理回収機構も住管機構時代から担当していました。
トッカイは時間の経過とともに火が消えたようだったが、その業務が続いているところに大変驚きました。国民の批判と応援が入り混じった整理回収機構がいまだに回収を続けている。中でも一番苦労をした特別回収部の人々を描きたいと考えました。
田原:清武さんがトッカイのどんな点に興味を持ったのか。まず、それが気になるんだ。
清武:2015年にWOWOWで『しんがり 山一證券 最後の聖戦』(※1)のドラマが放送されました。それからしばらくして、「しんがりの人々を描いたなら、整理回収機構も描かないと」と言われて気付かされたのです。
※1=1997年に自主廃業した山一証券に残り続け、真相究明と清算業務を進めた"しんがり"社員たちの姿を描いた清武のノンフィクション。2013年11月に単行本が発行され、講談社ノンフィクション賞を受賞した。
ライターには2つの道がある。一つは、トップランナーを描きたいというもの。一方の私は、ノンフィクション作家になってから、後ろのほうの人、講堂に例えたら後ろに立っている人々を描いてきました。トッカイはその努力が誰にも知られていない典型的な人々だと感じました。

田原:トッカイの面白いところは何か。バブルがはじけたとき、貸した金が返ってこなくなった。トッカイは誰にも喜ばれず、みんなに憎まれる存在で、身の危険すらある。なのに、彼らは最後まで頑張って回収しようとした。一方の悪質債務者はバブルのときに金をがんがん借りて、とても返せない状況になってしまった。
清武:末野はぎらぎらと輝いて、黒曜石って表現したらいいのでしょうか。光る石炭みたいな男でした。あんなふうに今も元気でエネルギッシュな人間あんまり見たことがない。
田原:彼らは「金を借りることの何が悪い」と考えているから。
清武:末野本人が言うには、「向こうからぽんと貸したい、借りてくれという時代だった」と盛んに言うのです。自分の才覚でバブル前に土地を買っていたとも言っています。這い上がる意欲、気力といったものは、やはり面白いなと思いました。
命も危ない職を引き受けた中坊公平氏は「公」の意識を備えていた
田原:そういう人間と対峙するトッカイの一番のトップは、中坊公平という男だった。住管機構の社長になる前は国民的英雄で、弱きを助ける弁護士だ。彼はどんな男だった?
清武:あれほど「公」「パブリック」の意識を持った人は少ないと思います。社長として給料、退職金をもらわなかった。面倒で命も狙われる仕事のトップに就くわけなのに、それらを辞退したわけです。
田原:誰からも褒められずに嫌がられ、命も危ない職を中坊はなぜ引き受けたのか。僕にはそれが分からないんだ。
清武:中坊さんは引き受けざるを得なかった。つまり「他に誰がいるのか」ということでしょう。「奪り駒」(※2)の親分という一番嫌な役を引き受ける人間はいなかった。あるいは、もしいたとしても、あのように人を黙らせるような、公的な存在になり得なかったのではないでしょうか。
※2=住管機構では、破綻した住専の社員を採用して債権回収に充てる人材活用手法が採られた。住専の社員を取られた“駒”に見立てたことから、「奪り駒」とも称されたという。
田原:今回のドラマを見る人のほとんどがバブルなんて知らない。バブルがはじける前の1989年には、世界の時価総額トップ50社の中に日本企業が32社入っていたのが、トヨタ1社だけになってしまった。バブル期とバブル崩壊というのはどんな時代だったんだろう。
清武:私の小さい頃に「堅気」という言葉がありました。いわゆる「やくざ」の反対語ではなくて、まっとうな人々を指したと思うのです。その代表は、銀行、銀行員であり、一方で役所だったと思うのです。
バブルがはじけて一番失墜したのは、「まっとうに生きる」という堅気の意識だと思います。「あの人は堅気の人だから」ということだけで価値を持った時代があったのに、だんだんと崩壊して、大企業や銀行でさえも「儲かればいい」、という考えに汚染され、官僚も黙認するようになってしまった。大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶに象徴される接待汚職、外務省の機密費の巨額流用事件も起きて、全体の役所というその権威も失墜し、質も落ちました。
田原:僕のよく知っている大蔵省の幹部も当時は「ノーパンしゃぶしゃぶの何が悪い」っていう感じだったよ。
清武:私のいた社会部記者は現場の人々の自宅を夜討ち朝駆けすることが日常で、役所を取材するにしても、ノンキャリアの役人と親しかった。そのなかで、彼らの上司であるキャリア官僚も回ります。
盆暮れになると、キャリア官僚の玄関に山のように贈り物があった。それを隠そうともしない彼らを見て、なんか恥ずかしかったのです。いろいろなところに置き切れない贈り物がそこに氾濫しているわけです。象徴的に言うと、接待汚職の呼び水です。

トッカイを動かしていた「やらざるを得ない」の意識
田原:僕は、政府から金もらったりするキャリア官僚に「なんで断らないんだ」と言ったことがある。そうしたら、断ることは先輩を、同輩を裏切ることだと。こんなことをしたら村八分になるって言うんだ。
清武:いっそ、村八分になればいいと思うのです。
田原:そこがポイントだ。トッカイの人々が面白いのは、村八分になることを承知でやっている。トッカイには住専の老舗である日本住宅金融にいたメンバーもいた。彼はなぜトッカイに加わったんだろうか。
清武:自分自身がいろんなところに融資していて、大口の客に悪質債務者がいたのです。住専がつぶれて、住管機構ができるなかで、誰かがそれを取り返さなくてはならない。融資をした自分は加害者だという意識から、どうしても自分が回収せざるを得ないと考えたのです。
もう一つは、貸した本人が相手のことを一番知っているわけです。この点を踏まえると、監督官庁の大蔵省はうまく住管機構を作ったと思いますよ。一番知っている人間を投入して、一番汚い川に飛び込ませて、そこで取ってこさせようとした。自分が融資したものを取り返す闘いですから。非常に高邁ですが、泥の中に浸かっているような大変な闘いですよね。
『しんがり』のときも思ったのですが、破綻した山一証券でも普通ならば真っ先に再就職に走りますよね。トッカイの人々も、早く再就職に進んだほうがいいはずです。しかし、取材した人の多くが「やらざるを得ない」という強い意識があった。心を打たれるところでした。
田原:都市銀行から出向した者もいる。彼もなんでわざわざトッカイに入るのかが理解できない。
清武:僕もそう思います。本人に聞くと、やっぱり生涯賃金、退職金などでかなりの損であると。一方で、生きがいという点で見ると、住管機構に送られてまた銀行に帰って働く人生か、住管機構で公のために働き続ける仕事とで比べることもあったのでしょう。
人間には、生きがいのために働く人々もいる。幸福というのは、必ずしも所得や生活レベルの高いところにあるわけではなく、自分にとって楽しい仕事をすることだという気持ちもあると思うのです。

田原:ところで、トッカイの彼らはなぜ、あれほどまでに中坊さんを信頼したのだろうか。
清武:先ほども話しましたが、やはり中坊さんには公私の「私の心」のほうが少ないからでしょう。彼はある一面で非常に厳しい人で、言葉の暴力というか、今で言えばパワハラに該当する言葉も盛んに言うわけです。これは借金を負う立場からすると、鬼より怖い。
それほど怖い人が時にはいろんな励ましをして、社員に手紙すら書く。演説もなかなかうまい。そんな人が、報酬ももらわない、退職金も要らないと言っている。非常に真っすぐな生き方に映るでしょう。
不良債権にまつわる人の記録を集め続けた3年半 「清武氏はすさまじい」
この問題が大々的に取り上げられたのは20年ほど前のこと。清武は3年半もの時間を費やして、トッカイのメンバーや債務者への接触を試みながら丹念に事実を聞き取る取材を進めていった。
清武:関係者の証言を取りながら、一方では当時のドキュメント、資料を集めていきました。新聞記者時代に入手した若干の資料はありましたけども、一から集めていく作業で、3年半ぐらいかかったわけです。
取材した人には「その頃のメモ、手帳とかありませんか」と尋ねていった。「何月何日に強制ガサ」とか書かれた当時の手帳が一番良いわけです。不良債権回収の問題というのは、ガサを受けた人間がガサを打つ立場になったのです。そういう人たちの記録、ドキュメントを集める作業でした。

田原:こんな難しい取材をよく3年半も続けたね。トッカイの連中もすさまじいけど、それを取材した清武さんもすさまじい。当事者に会ってきちんと話も聞いている。
いわゆるバブルが崩壊し、住管機構が設立されたのは1996年9月のこと。現在の若者の多くは、バブル期はおろか、その後続けられた不良債権の回収に馴染みがない。当時を知る意義はどのような点にあるのか。そして、我々は何を教訓とすべきなのか。
清武:文章で伝えることにあれほど苦労したにもかかわらず、映像では「このセリフだけで分かっちゃうのか」ということも多い。脚本の一部を見ていると「これで分かるのかな」と思うものが、映像を通して見てみると「なるほど」と思える。文字だけで生きている私たちにとって、映像の不思議な点です。
田原:映像にとって、目の力や勢いなどもあるし、言葉はいろいろある表現のうちのone of themなんですよ。
清武:伊藤英明、イッセー尾形、仲村トオルといった名優、怪優だからこそでしょうが、セリフが立ち上がってくれるのですよ。一生懸命工夫して書いたセリフでも、映像では一瞬のうちに感動が込み上げる。燃え上げるものすらあって、これが映像の魅力なのでしょう。

怒らない今の若者 ドラマを観て20年前から学ぶべきことは?
清武:私は、このドラマが誰の人の心にもある芯を見つけ、それを信じるきっかけになれば良いと考えています。
中坊さんをはじめとして、トッカイの面々は自分たちが不良債権の泥沼に浸かったときに、パブリック、公のためという気持ちを強く持った。国民みんなが6,850億円の税金投入に猛烈に怒った。説明が不十分なものに対して、国民が一斉に怒った。
これは個人の感想だけど、今は、「国があんなくだらないことに税金を使っている」というときに、燃え上がるもの、怒りが少ないような気がしています。
田原:今は特にそうだ。若い人は、国がやっていることに疑問も反感も持たない。
清武:そういう意味では、20年前のほうが感覚としてまっとうだったのかもしれないという気持ちを抱いてもらえれば。ドラマでは、住専について強く国民が怒って批判するシーンがある。今になって「早く税金を投入すればよかった」という人がたまにいるけど、その人は当時の国民の怒りを分かっていない。
田原:清武さんはトッカイが、なぜこんなに怒って、なぜ命懸けで正義のために頑張ったのかを取材したということですね。
清武:当時は、損を承知で火の中に手を突っ込む人が多くいた時代だったんです。
今という時代は、田原さんもいぶかしく思っているのでしょうが、僕も若い人たちを見ていて、「なんでもっと怒らないのかな」という気持ちになることがある。だからこそ、『トッカイ』をドラマでやる必要があると思っているのです。
WOWOW開局30周年記念『連続ドラマW トッカイ ~不良債権特別回収部~』は毎週日曜夜10時より放送中。全12話。WOWOWへの新規加入はこちらから。

清武英利(きよたけ・ひでとし):1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、読売新聞社入社。警視庁、国税庁などを担当。読売巨人軍球団代表兼GMを経て、ノンフィクション作家に。『石つぶて 警視庁 二課刑事の残したもの』(講談社文庫)では大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を受賞した。

田原総一朗(たはら・そういちろう):1934年滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)入社。77年にフリーに。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。著書に『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)など。