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市民社会とコモン

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1月11日にコープ自然派事業連合・憲法連絡会主催の講演会が神戸国際会館であった。そこで標題のような話をした。

 1月6日、アメリカでトランプ大統領支持者たちが連邦議会議事堂に乱入し、5人が死亡するという事件がありました。これを承けて13日、下院は大統領罷免の弾劾訴追を可決しました。二度も弾劾訴追されたのはアメリカ史上トランプが初めてです。

 トランプ支持者たちは今回の大統領選を不正な「盗まれた」選挙だとして、バイデンの勝利を否定しています。トランプはその前に開かれた集会で「みんなで議事堂に行こう」と煽りました。トランプ自身も行進に加わるつもりでしたが、側近たちがセキュリティを理由に止めたそうです。日本では総理大臣が市民を煽って、国会議事堂を襲うというようなことは想像もできませんが、アメリカはそういうことがあり得る国だということを改めて思い知らされました。それはアメリカでは「市民的自由」の意味が日本とはまったく違うからです。

 アメリカは理念の上に構築された人工国家です。そういう意味では、ソ連やイスラエルと似ています。ふつう、国民国家というのは、長い時間をかけてしだいにかたちづくられるものです。言語や宗教や生活文化を共有する同質性の高い国民たちが集って国民国家は形成される。少なくとも「そういう話」になっている。しかし、アメリカは違います。イギリス本国から逃れ出た過激なプロテスタントたちが新世界に「聖書にもとづく理想社会」を建てようとしてつくった植民地です。

 独立戦争のとき、1776年に「独立宣言」が発せられ、その11年後の1787年に「合衆国憲法」が制定されました。宣言から憲法までの間にアメリカ合衆国をどのような国にするかをめぐってはげしい論争がありました。13州それぞれが強い独立性を持ち、連邦政府の権力を限定的なものにとどめるか、それとも連邦政府に権力を集中して、州政府の権限を抑え込むか。「強い州政府」を求める分離派と「強い連邦政府」を求める連邦派が争いました。でも、結論が出なかった。その結果、憲法は双方の主張を採り入れた「玉虫色」のものになった。大統領選における選挙人制度のような外から見ると意味のわからない制度がありますけれども、それはこのときの妥協の産物です。

 常備軍を持つかどうかもこのときに論争になりました。分離派は連邦政府が軍を占有して、州の独立性が侵されることを嫌がりました。一方の連邦派は連邦政府の指揮下に強固な常備軍を整備しなければ他国からの侵略に迅速に対処できないと訴えました。それでも、建国の父たちは、英軍が国王の私兵として植民地市民に銃を向けたことの苦痛を独立戦争のときに身を以て味わっていたので、最終的に合衆国憲法は第8条第12項に「陸軍のための歳出は2年を超えてはならない」という規定が入りました。

つまり、国難的状況に遭遇したら、武装した市民が集まって軍を編成して戦う。危機的事態が去ったら、軍を解散して再び市民生活に戻る。常備軍は持たないということにしたのです。現に、植民地人たちは独立戦争をそのようにして戦って、独立を勝ち取った。そのやり方を「間違っていた」と総括するわけにはゆかなかった。だから、「武装した市民」が建国した国という物語を温存することにしたのです。

 独立宣言は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っています。そして、その権利を守るために、「政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立する」権利があると明記されています。市民には武装権、抵抗権、革命権がある、と。しかし、11年後に起草された合衆国憲法にはもうそのような文言はなくなっていました。

 憲法修正第一条には信教の自由、言論出版の自由と「国民が平穏に集会する権利および苦痛の除去を政府に請願する権利」が保証されています。でも、そこには「平穏に(peacefully)」という副詞が挿入されています。

 抵抗権・革命権を明記することを嫌ったのは連邦政府に強大な権力を付与しないと国は守れないと考えた連邦派の人たちでした。たしかに独立戦争は偉大な実践であり、アメリカ市民の誇りだけれど、同じような武装市民による政府の廃止を「不必要に何度も繰り返すことはあまりに危険である」(『ザ・フェデラリスト』)と考えたのです。ずいぶん歯切れの悪い言い方ですけれども、要するに原理的に革命権は与えるけれども、それを濫用してあまり無茶なことはしないでくれということです。

 アメリカは建国のときから、統治理念のうちに「政治権力は暫定的なものであり、市民が不都合と考えたら廃止、変更可能である」という原則を含んでいました。それゆえに、アメリカでは「市民である自分が納得できないような政府には従う必要はない」という考え方が深く根付いています。

 アメリカには「リバタリアン」という人たちがいますけれど、これは政府の利害よりも市民個人の利害を優先させようとする立場です。日本でしたらたちまち「非国民」と言われるところですけれども、アメリカでは建国理念のうちにそのような考え方が正統的なものとして含まれている。

 トランプは典型的なリバタリアンです。リバタリアンにとって最も大切なのは「自由」」です。公権力が介入してきて自分たちの考えや行動を規制することに徹底的に抵抗する。ですから、リバタリアンは徴兵に応じず、税金を払いません。自分の命は自分で守る。政府に保護を求めない。だから軍隊には行かない。自分の金をどう使うかは自分で決める。政府に委ねない。

だから、税金は払わない。その代わり、どんなに経済的に困窮しても公的支援を求めない。トランプは4回徴兵を忌避して、2016年の大統領選のときには連邦税を払っていないことが暴露されましたが、平然としていました。トランプ支持者はそのことを批判するどころか拍手喝采を送りました。つまり、トランプ支持者たちというのは彼のリバタリアン的な生き方のうちに「リアル・アメリカン」なものを見ているということです。

 だから、トランプ支持者たちが議事堂に乱入したことについてとりわけ違法なことをしているという認識がなかったのは、彼らが主観的には「人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立する」市民の権利を行使していると思っていたからです。

 アメリカでは建国以来、統治原理そのもののうちにある種の矛盾を抱え込んでいます。それは連邦派と分離派の対立であり、リバタリアニズム(自由原理主義)とコミュニタリアニズム(共同体原理主義)の対立であり、統治原理で言えば自由と平等の対立です。それが形を変えて繰り返されています。

 近代市民社会では、「自由と平等」は並列的な概念のように扱われていますけれど、よく考えてみると、自由と平等はトレードオフの関係にあります。自由をひたすら追求すれば平等の実現は遠のき、平等をひたすら追求すれば個人の自由は阻害される。

世界の多くの国がデモクラシーを導入して何百年経っても、いまだに繰り返しデモクラシーの危機に遭遇するのは、デモクラシーが本質的に不安定な政体だからですが、それはデモクラシーの根本理念であるところの「自由と平等」が実はたいへんに相性が悪いからです。自由を優先すれば、平等が犠牲になり、平等を優先すれば自由が犠牲になる。

巨大な公権力が存在して、市民生活に強権的に介入すれば自由は抑圧される。でも、公権力が私権を制限し、私財の一部を徴収して、公共財を豊かにして、それを弱者・貧者に再分配するしくみをつくらなければ平等は実現しない。自由主義者は「小さな政府」を求め、平等主義者は「大きな政府」を求めます。

 アメリカの南北戦争も、一面から見ると、自由か平等かを選択する戦争でした。政策的に最も対立したのは奴隷制度廃止です。リンカーンは人種差別を廃して人種間平等を実現しようとしたのですが、そのためには「人種間の平等なんか不要だ」と主張する人たちを一方の政府が軍事的に制圧して、制度を強制するしかなかった。南部連合の「自由」を尊重していたら、奴隷制撤廃による「平等」は実現できなかったということです。

 でも、奴隷制支持者の側にも大義名分はあったのです。「独立宣言」には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と書いてあるからです。創造主はすべての人を平等につくった。誰もみんな平等に生まれた。だったら、それから後は自由競争です。

個人的な努力によって、ある者は強者になり、ある者は敗者になる。ですから、勝者と敗者、強者と弱者、富裕な者と貧しい者の格差は、もともとは平等に創造された人間たちのそれ以後の人間的努力の差に過ぎないという説明が可能になる。平等の実現は神さまの領域の仕事であって、人事にはかかわらない。そこに公権力が介入して、無理やり平等を実現することは、人間の分際で神さまの領域を侵すことに等しい。それは許されない。そういうふうにリバタリアンは考えます。

だから、公権力が制度的に平等を実現することにあくまで反対する。努力しなかった人間、才能がなかった人間を公権力が税金を使って救済することはアンフェアである、と。リバタリアンたちは「自由を求める人間は強者であり、平等を求める人間は弱者である」というふうに考えます。そして、人間はすべからく強者たらねばならない。この考え方はアメリカ社会には深く根付いています。

 アメリカの保守思想家の中にはユダヤ人が多く含まれています。ユダヤ人は19世紀末や20世紀はじめにロシアや東欧で反ユダヤ主義の暴力を逃れてアメリカに大挙して移住してきました。でも、新大陸でも彼らはまったく歓待されなかった。先に定着した移民集団から排斥され、はげしい差別を受け、既存の産業分野のドアは鼻先で閉じられ、ユダヤ人には就くべき職業がなかった。しかたなく彼らは金融とジャーナリズムとショービジネスというまったく新しいニッチビジネスを開発した。自分たちで雇用を創出する以外に働き口がなかったのです。でも、この三つは20世紀アメリカで最も成功したビジネス分野になった。

 移民第一世代がそうやって刻苦勉励して金を稼ぎ、子どもの世代には高等教育を受けさせて、社会的成功を収めた。そういう被差別状態から這い上がった成功体験を重く見るユダヤ人たちは黒人に対する人種差別に対してしばしば冷淡です。なぜおまえたちはわれわれのように努力しないのか、というのです。最初はわれわれも激しい差別を受け、暴力的に扱われた。けれども、必死に努力してこうやって差別を乗り越えて、社会的威信を獲得した。黒人がいまだに差別の対象であるのは努力していないからだ。そういうロジックです。平等が実現したければ、公権力の介入を当てにせず、自己努力でなんとかしろという主張はなかなか反論することが困難です。

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