中国の巨大IT企業、アリババの創業者ジャック・マー氏が姿を消している。一部では中国当局を批判したため逮捕されたとの見方もある。だがジャーナリストの高口康太氏は「おそらく姿を隠しているだけだ。中国ではたびたび企業家が逮捕されているが、IT系は対象外。今後も逮捕される可能性は低いだろう」という――。
2019年5月16日、中国電子商取引最大手、阿里巴巴(アリババ)集団の創業者、馬雲(ジャック・マー)氏(フランス・パリ) - 写真=AFP/時事
逆風が吹くアリババと、失踪したジャック・マー
中国EC(電子商取引)大手アリババグループの創業者である馬雲(ジャック・マー)の“失踪”が話題となっている。
ここ数年は経営の第一線をしりぞき、積極的に講演の舞台にたってきたが、昨年10月に上海で開催された外灘(バンド)金融サミットを最後に公の場から姿を消している。
12月31日付の英紙フィナンシャルタイムズは、1月1日に配信されたネット番組「アメリカの創業ヒーローを探して」ではもともとジャック・マーの出演が予定されていたにもかかわらず、出演がキャンセルされたことを報じている。
昨秋以来、ジャック・マーと彼の会社には強い逆風が吹いている。11月3日にはアリババグループ系列の金融企業アント・グループが当局の指導によりIPO(新規株式公開)中止を発表した。上場予定日のわずか2日前という、急転直下の決定は世界的にも大きな衝撃を与えた。
アント・グループの従業員にはストックオプションの収入を見こしてマンションや高級車を予約していたのに、キャンセル料を支払う羽目になった人までいたという。
さらに中国最大のネットセールである、11月11日の「独身の日」の前日には、「プラットフォーム経済分野に関する独占禁止ガイドライン」(パブリックコメント稿)が発表された。プラットフォーム企業が優越的地位を濫用し他社を排除することや、収集したデータを悪用して消費者に不利な値付けをすることなどを禁止した内容だ。
名指しされたわけではないが、中国を代表するプラットフォーム企業であるアリババグループを念頭に置いていることは間違いない。
中国当局に拘束されているという疑惑があるが…
実際、12月24日には中国国家市場監督管理総局がアリババグループに対する独占禁止法違反を立件、調査することを発表し、浙江省杭州市のアリババ本社に立ち入り調査を行っている。
こうした一連の経緯を見ると、ジャック・マーの“失踪”について、さまざまな憶測が広がるのも無理はないことだろう。中国メディアにはジャック・マーの“失踪”に関するニュースはないが、中国当局がジャック・マーとアリババグループに関する独自報道を禁止していることが、メディア関係者のリークによって明らかになっている。
中国では有力な企業家が取り調べを受け、逮捕される事例は少なくない。しかも、経済犯罪のみならず政争に巻き込まれてという展開も多い。ひょっとして中国を代表する企業家であるジャック・マーまでもが、と想像が広がるのは無理からぬところだろう。
はたして真相やいかに。筆者はジャック・マーが当局の厳しい取り調べを受け、今後逮捕される可能性は低いと分析している。なぜ、このように考えるのか。それを知るためにはこれまで逮捕された有力企業家とジャック・マーの違いについて知る必要がある。
逮捕や失踪が続く中国有名実業家
2017年6月、中国当局は安邦保険集団創業者の呉小暉(ウー・シャオフイ)を拘束した。翌年6月には詐欺、職権濫用などの罪で懲役18年の判決が下されている。呉は2004年に創業し、保険業を中心に銀行や証券会社を抱える金融コングロマリットを一代で築き上げた、まさに立志伝中の人物だ。
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有罪判決によって没収された個人資産はなんと850億元(約1兆3600億円)を超える。
呉の成功、その影にあったのは妻の存在だった。かの鄧小平(ダン・シャオピン)の孫娘と婚姻関係にあり、その影響力を駆使したという。投資型保険商品で金をかき集め、大型買収を繰り返すというハイリスクの経営を続けていたが、孫娘との離婚後に当局は態度を一変し、規制へと方向変換している。
明天系と呼ばれる投資企業グループを率いた肖建華(シャオ・ジエンホワ)は2017年1月に香港で失踪。顔を覆われ車椅子に乗せられた状態でホテルから連れ出されたとの証言もあったが、3年が過ぎた今も失踪の真実も、肖の行方もわからぬままだ。
2020年7月、中国当局は明天系の企業を政府の監視下に置くことを発表した。本当の企業支配者と持ち株比率をごまかしたためと説明しているが、納得できる人はそう多くはないだろう。
肖は賈慶林(ジャー・チンリィン)元全国政治協商会議主席をはじめ、上海閥の政治家と太いつながりを持っていたとされる。習近平体制発足後、危険を感じ取ったのか、肖は香港に拠点を移していたが、そこで謎の“失踪”を遂げたというわけだ。
“消えた”企業家たちの「政商」という共通点
2012年3月に逮捕されたのが大連実徳集団の徐明(シュー・ミン)だ。徐は薄熙来(ボー・シーライ)重慶市委書記の後ろ盾によって会社を成長させてきた。同年2月に薄が失脚すると、汚職容疑の捜査のために周も逮捕された。
その際、薄熙来とつながる周永康(ジョウ・ヨンカン)中国共産党政治局常務委員の支持で動いた武装警察隊と人民解放軍が、徐の身柄をめぐって、北京市であわや銃撃戦という一触即発の事態に陥った。
呉小暉、肖建華、徐明という、代表的な“消えた”企業家を紹介してきたが、彼らはいずれも政商という顔を持っている。
拙著『現代中国経営者列伝』(星海社新書)では1980年代以降の中国経済を「明治維新と高度経済成長が一緒にやってきた」お祭り騒ぎの経済として論じている。高度経済成長はともかく、なぜ明治維新か疑問に思う方もいるだろう。
それは社会主義経済から自由経済への移行にあたり、国有企業の払い下げや新たなビジネスの認可のため、政治と太いつながりを持った企業が成長したことを意味する。お上主導で民間企業を育成し、政界とパイプを持った者が大企業を作り上げていくさまは、明治維新と類似しているからだ。
中国には「保護傘」「白手套」という言葉がある。前者は自分とつながりがある企業家を守り育てる、後ろ盾となる政治家を意味する。後者は背後に隠れた政治家の蓄財を助ける表の顔となる企業家を指す。「保護傘」と「白手套」はセットとなる存在だ。
こうした大きくなった「白手套」は「保護傘」が権力を失う、あるいはその怒りを買って庇護されなくなれば、失脚し財産を失うという末路をたどる。こうして“消えた”企業家は中国では量産され続けてきた。