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ヴィトルト・ピレツキ『アウシュヴィッツ潜入記』

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 まもなくアウシュヴィッツが解放された記念日(国際ホロコースト記念日)である1月27日である。

私はアウシュヴィッツで危険なゲームをやっていた。いや、この文章は現実を正しく伝えているとはいえない。実際、私の経験は世間の人々が考える危険をはるかに超えるものだったのだ……

 本書の冒頭に掲げられている著者ヴィトルト・ピレツキの言葉(本文p.145に登場)である。

 本書を二度読み直して、この本をどういうものとして伝えようかと考えた時、確かに「私はアウシュヴィッツで危険なゲームをやっていた」という規定がしっくりきた。

アウシュヴィッツ潜入記

  • 作者:ヴィトルト・ピレツキ
  • 発売日: 2020/08/18
  • メディア: 単行本

 なぜか。

「危険なゲーム」

 本書の著者ヴィトルト・ピレツキは第二次世界大戦期のポーランドの将校(大尉)である。同国は独ソに分割され消滅してしまっていた。ピレツキは抵抗組織に身を投じ、「地下運動からあたえられた任務を遂行するため」(本書xlvii)、その任務に志願し、「みずから進んで身柄を拘束され」(同)アウシュヴィッツに囚人として潜入したのである。*1

 「地下運動からあたえられた任務」とは、収容所に組織をつくり、

  1. 外部からのニュースと物資をその組織員に届ける
  2. 収容所の情報を外に報告する
  3. 武装蜂起の準備をする

という3点である(xli)。そして1940年に投獄され、1943年に脱走する。つまりアウシュヴィッツの内情を探り組織をつくるために、自分から拘束されてアウシュヴィッツに入り、脱走するのだ。

 ちょっと考えただけでもわかる。

 数百万人が殺害されたあの収容所に、自分から捕まって潜入し、脱走しようとするなど正気の沙汰ではない。いくら抵抗運動のための目的があったとはいえ、もっと効果的で効率的な方法があったのではないか。それはまさに「危険なゲーム」としか言いようがないのである。

 なるほど、ピレツキの精神と肉体の強靭さは驚くべきものがある。なおかつ、初期の頃は人種の絶滅を目的としたものではなく(ガス室もガスによる大量殺害もなかった)、ピレツキはユダヤ人ではなかった。だから、ある種の「アドバンテージ」があったとも言える。

 しかし、それでも本当にすぐそばに死があったことは本書を読めばすぐにわかる。

 例えば初期の頃、脱走者が1人出るたびに10人の収容者が銃殺された。(p.147)

 その選別はどうやら脱走者が出たブロック(棟)から行われるようなのだが、「10人」の選別の基準は全くわからないものだった。

 ポーランドのかつての祝日には「やや多め」に銃殺対象が選ばれた。ピレツキの組織の同志の一人もそうやって突然選ばれた。

 三〇分後、朝の点呼の場で、ほかの大勢の者の名前とともに彼の名前が読み上げられた。

 彼は私に温かく別れを告げ、母親には自分が意気軒昂なまま死んでいったと伝えてくれといった。

 数時間後、彼は死んだ。(p.150)

これはほんの一例だ。そんなふうに自分がすぐ死ぬかもしれず、しかもそれはそれを避けようとする自分の努力とは関係なく押し付けられるのである。「危険なゲーム」ではないか。

 ピレツキがアウシュヴィッツに自ら飛び込んでいったのだから、ピレツキが収容所で味わった苦痛や恐怖には(その不条理が他の囚人たちに押し付けれたことには心が痛むが)あまり同情できない。

 …と言いたくなるほど、2021年の日本に生きるぼくにはこの行為(自ら志願して潜入すること)の意味は理解しがたい

 だが、別の考え方もある。

「危険なゲーム」を冒す理由

 そもそもピレツキがアウシュヴィッツに潜入したは抵抗運動のためである。ナチスドイツがポーランドを侵略したからピレツキは抵抗運動に立ち上がらざるを得なかったわけであり、抵抗運動という危険に追い込んだのはピレツキの責任ではなく、ナチスドイツの責任である。もちろん「いや、抵抗運動の中でもなぜほとんど死地とも言えるアウシュヴィッツに飛び込むのか。あまりにも非合理な判断だ」という批判はできよう。

 しかし、それは後知恵かもしれない。潜入して初めてわかったのかもしれない。

 また、後世のぼくらから見たらわからない事情がまだあるのかもしれない。

 あるいは、「ならば、国内に残って軍事的抵抗をすることは収容所に入るのと同じような危険ではないのか? なぜ国外に亡命してそこで戦わず、あまりにもリスクの大きい道をすき好んで選んだのか?」という批判もありうる。収容所に入ることはダメで、国内で抵抗運動をすることはOKだとは言えまい。

 ぼくには直ちに理解はできないのだが、アウシュヴィッツに潜入するという目的への違和感は、当時を生きておらず、侵略者との生死をかけた闘いを何ら経験していない後世のぼくが今の段階で審判できることではない。むしろ侵略者への抵抗の一つとして、ピレツキの意識的潜入をきちんと理解すべきことなのだろう。

 本書への、この最大の違和感については、このように納得しておくしかあるまい。

 本報告の最後にあるピレツキの言葉を、読者であるぼくはとりあえず胸に刻むしかないのだ。

 私がこれまで数十ページかけて描いたものは重要ではない。スリルを味わうためだけにこれを読む人々にとってはとくにそうだ。だが私はここで、遺憾ながらタイプライターのどの文字よりも大きな字で強調したい。きっちりと分けられた髪の下には、役立たずのおがくずしか入っていないすべての愚か者たち。そのおがくずが染み出るのを止める形のいい頭骨をあたえてくれたという唯一の理由で母親にまちがいなく感謝できそうな能なしの輩ども。彼らに少しの時間、自分の命について考えさせよう。周囲を見まわすようにうながし、自力で闘いを始めさせるのだ。有意義であり真実であり、さらには大いなる大義ですらあるかのように巧妙に見せかけた虚偽、嘘、利己主義との闘いを。(p.380)

(1)アウシュヴィッツの客観的記録として読む

 このようにして、「潜入」という行為への違和感をとりあえず納得というか留保した後で、この記録を以下の3つの角度で読むことができる。

 一つは、アウシュヴィッツで起きたことの客観的記録としてである。

 アウシュヴィッツは1940年の当初はドイツの占領地ポーランドの政治犯の収容施設であり、ピレツキはそこに収容されたのだが、その施設目的が全ヨーロッパのユダヤ人絶滅施設へと変わり、ピレツキは1942年にその変貌を目の当たりにする。

 そしてその変貌を遂げる過程で、ソ連軍の捕虜が収容され、国際法規に反して大量に殺戮されていく状況も記録されている(p.182)。

 初期は管理者による原始的な暴力が蔓延していた。

 例えば過酷な体操(大きな練兵場をカエル跳びで回る)をさせ、できないものは殺された(p.44)。あるいは「懲罰隊」といって、懲罰のための過酷な労働を与えられた者には、点呼の際に整列で前に出過ぎた者、後ろに下がりすぎた者に対して、班長は怒りを爆発させ、

その男の胸の上に馬乗りになり、腎臓のあたりや急所を蹴りつけ、またたくまに命を奪った。われわれはそれを見ながら、黙っているしかなかった。(p.34)

 点呼は殺人の方法なのである。

 ところが、このような原始暴力の蔓延は、ユダヤ人の絶滅のための施設建設が始まり、減っていく。

 前述の脱走者への大量報復もなくなり、収容者を殴ることを禁じる命令が出たりした。

 …いずれにせよ、もう殴られることはなくなった。

 少なくとも、中央収容所にいるわれわれの状況はそうだった。

 四〇—四一年の収容所の印象と比較すると、おなじ壁のなかでおなじ顔ぶれが残っているが、以前はあんな状況だったことがにわかに信じがたかった。(p.321)

一部の「暴君」たちが君臨した収容所初期の光景がもはや適切でなくなったため、収容所当局者はクランケンマンやジグドロを含めて多くの囚人班長を別の収容所に移すことにした。(p.188)*2

 そしてこのような原始的暴力が後ろに退いた代わりに、「スマート」な大量殺人システムが前面に出てくる。

 最初の何年かは一日に三回も点呼があった。ほかの残酷な方法でひどく原始的な殺害方法に加えて、点呼と長い懲罰も、われわれを死にいたらしめる静かな方法だった。

 その後、殺害方法に変化があった……より文明化された方法がとられるようになったのだ……ガス室やフェノール注射で毎日数千人が殺害された。(p.320)

 1942年に点呼は廃止される。

 アウシュヴィッツで行われていた暴力は無数に記述されているが、絶滅収容所となった1942年秋にピレツキが知った「人体実験」の記述は強烈で、朝日新聞書評で本書を取り上げた藤原辰史もそれについて触れている

 人種的絶滅を目指す実験であろうが、不妊にするために外科手術をし、生殖器に放射線をあてる。その上で、生殖機能が失われるかどうかを確かめるために精子を(道具で)女たちに注入する。妊娠が判明したために、放射線量をさらに増やす。当然性器が焼けただれ、女性たちは苦しみながら死んでいく。実験が成功しても失敗しても、被験者の男も女も全員殺された。

実験にはあらゆる人種の女たちが参加させられていた。ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人、そして後半になるとジプシー〔ロマ、シンティ〕がビルケナウから移送されてきた。ギリシャから連れてこられた数十人の若い女たちもこの実験の犠牲となった。(p.292)

驚くべきことに「ドイツ人」も入っている。

 ここでは「二級市民」とカテゴライズされた「民族」「人種」、人間には何をしてもよい、という思想が行動となってはっきり出ている。差別を構造化してしまうとここまで行き着いてしまうのだ。

 ヘイトスピーチや差別的言辞は言論の分野で起きている問題だが、「何をしてもいい」という精神構造を作り上げていく一つの有力な手段はまさに言論である。

 ヘイトスピーチはじわじわと、あるカテゴリの人間を「人間扱いしなくていい」として丸ごと捨象していくことに恐ろしさがある。そう考えると、街頭でわかりやすく「ゴキブリ」「出て行け」と叫ぶヘイトスピーチだけでなく、通常の言論の皮をかぶって「〇〇の人はどう扱ってもいい」という差別の思想を頭の中に構築していくことこそが実はステルスであり、恐ろしいと言える。そういう人が例えば道で倒れていても「なんだ〇〇の人か」として見捨てるような精神構造である。

 ぼくはその規制にはきわめて慎重だが、それらがもたらす凄惨な結果について学べばやはり絶対的に規制してはならないということにはならないだろう。

(2)ピレツキという人間の精神の強靭さ

 この本の二つ目の読み方は、ピレツキという人間の精神の強靭さについてである。

 収容所に入ってすぐにピレツキは次の体験をする。

 私はここで前歯を二本折られた。この日の〈浴場監督〉が命じたとおり、収容者番号の書かれたカードを歯でくわえるのではなく、手に持っていたからだ。

 重い棒であごを殴られた。

 私は二本の歯を吐き出した。もちろん、血も少し混じっていた…。

 この瞬間から、われわれはただの番号になった。(p.20)

 他に残酷・過酷な体験は無数にあるがこれがとりわけぼくの心に重くのしかかってしまうのは、いかにも自分の身の上に起きそうな、想像可能な暴力である上に、永久歯という回復不能な身体器官がたちまち欠損させられるからであろう。入所すぐにこんな暴力でやられてしまえば、ぼくなどはたちまち精神を支配されてしまうだろう。

 このような収容所に入れられて、そもそも正常な精神、人間らしさを保っていられるのか。それらは『夜と霧』をはじめ『アウシュヴィッツは終わらない』など数々の記録で問われているテーマでもある。

 しかし、ピレツキの場合は、そうした「一般」状況を超えている。

 いかに彼が自覚的にここに潜入したとはいえ、精神と肉体を保って広範な組織を作り、やがて脱出までしてしまうというのはまったくぼくの意表に出ている。

私はやがて、肩を寄せ合って立つポーランド人たちのあいだに一つの考えがかけめぐり、最後には全員がおなじ怒りと復讐心で団結するのを感じた。私は、自分の仕事を始めるのに最適の環境だと感じ、心のなかに幸福感にも似た感情がわき上がった。(p.35)

 「幸福感」…?

 そのとき、私のなかで反撃の意欲がむくむくと頭をもたげてきた。

 それは強烈な闘争の目覚めだった。(p.51-52)

 「反撃の意欲」? 「強烈な闘争の目覚め」?

 ピレツキというキャラクターをどう理解すればいいのか?

 それは、「政治に携わる、ぼくと同じ人間」としてどう理解するか、という意味である。

 正直に言えば、ぼくは彼を「手の届かない超人」のように今眺めている。こんな精神の在りようは到底無理だ。

 しかし、だからといって異星人を眺めるほどには隔絶してはいない。

 遠く、距離がかけ離れていても、やはり同じ政治闘争をする人間としてピレツキをみる。

 生き延びて任務を遂行する、ということをピレツキは鋭く考える。

 まず生き延びる。そのために欲望に負けず、不要なことを排除する。

 例えば、朝コーヒーもどきのお湯を求めて多くの収容者が争う。しかし顔と足にむくみが出ている仲間を見て、それが「水分の取りすぎ」だと知る。「水分しか摂取せずに肉体労働で体を酷使した結果だ」(p.28)と判断したピレツキはそのような「コーヒーもどき」争いには加わらず、煮出汁とスープだけを摂取するようにする。

 そして、当面の任務のための必要なことを考える。

 脱走は利己でしかないから絶対に加わらないものの、すでに収容所に残ることは組織化にとって意味がないと理解した瞬間に、ピレツキは脱走の計画に集中する。

 このように目的を明確にしてそのために無駄なことを削ぎ、状況が変われば鮮やかに、こだわりなく転換する、政治機械とも言えるピレツキの行動は惚れ惚れする。

 政治闘争に身を置くぼくとして、ピレツキは、異星人ではなく、遠いけれど「憧れ」なのである。

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