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「思考停止」としての新自由主義/批判  経済学と政治哲学の対話(前編)  飯田泰之×小川仁志

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かつてない不況下、失業とデフレを前に、専門知はどこまで有効か? 
専門領域を横断して繰り広げられるシノドス・クロス・オーバートーク
政治哲学者と経済学者による真摯な対話、前編

◇「道具」にすぎない経済学

飯田:以前から小川さんのお話を一度聞いてみたい、というよりも話を聞いて欲しいと思っていたんです。まず簡単にぼくの方から、この対談の目論見のようなものを話します。

経済学という学問は道具主義的です。つまり、「目標」については外部からオーダーを受ける。その上で、オーダーを達成する最善の「手段」を考える。これがぼくの考える経済学の本来の姿です。

ところが、経済学コミュニティ自身がそうしたあり方を忘却してしまった。昨今、経済学に対する風当たりが強いですが、その原因の一端はここにあると思う。経済学がその適用範囲を忘れて、あたかも「目標」が論理的に導出されたものであるかのように振る舞いはじめた。つまりは、経済学の「前提」にすぎないものを社会に押し付けようとしたことが失敗の始まりなんではないかと。

もともと経済学にはふたつの流れがあります。ひとつはヨーロッパ各国の官僚たちによってかたちづくられた官房学の伝統。これは外から目標を与えられて、それを達成しようとするものです。もうひとつが、アダム・スミス以来のもので、これは自由主義・個人主義哲学を経済問題に応用しようとした。経済学の歴史はこのふたつが混然一体となっているのですが、どうもここ二十年ほどは、自由主義や個人主義哲学が前面に出てきてしまい、そのような哲学や価値観が目指すべき目標であるかのように経済学者たちが語りはじめた。しかしこれは、明らかに越権行為です。

小川:越権行為だという点には賛成です。わたしの基本的立場を最初に明確にしておきたいと思うのですが、じつは経済学の力をあまり信用していないのです。こんなことをいうと飯田さんに怒られそうですが、どこまでいっても経済学は道具に過ぎないと思うのです。道具は目的になってはいけない。ところが、いまそれに近いことが起こっている。それが飯田さんのいわれていることだと思うのです。その原因はどこにあるとお考えですか。

飯田:学界の事情としてはアダム・スミスから新古典派へと受け継がれていく主流派経済学の、分析ツールとしての優位性があきらかになったことでしょう。統計処理やシミュレーションといった技術の面で主流派以外の経済学は大幅に遅れをとっている。

社会的な環境としては社会主義の崩壊です。かつて社会主義陣営というカウンターパートがあった頃は、社会主義よりも自由主義経済が優れていると証明することが、経済学のひとつの大きなタスクでした。ところが冷戦崩壊後、社会主義がダメになると、自由主義経済の仮置きの前提にすぎないものが、唯一絶対の真理のごとくみなされるようになってしまった。

現代的な意味での経済学には「客観的な価値」を正当化するための内的なロジックがないというのがぼくの理解です。というよりも価値の正当化をあきらめたからこそ高い分析能力を得ることが出来たといってもよい。にもかかわらず新たな価値観を打ち立てようとして、やはり失敗したということなのではないでしょうか。

では、経済学をどう立て直していくべきなのか。ここ二十年の経済学の失敗は、思想の失敗でもあるわけですから、ここは思想に立ち返って根底から考えてみたい。政治哲学者の小川さんと対談したいと思った理由はこうしたものです。

◇政治哲学の復権

小川:飯田さんは経済学の位置づけについて、非常に謙虚ですよね。目標を与えられ、その実現に向かってサポートするのが経済学の任務だと。それについては非常に望ましいと考えますが、実際にはご指摘のように、そうはなっていないわけですね。

では、社会の目標を与えるのは誰なのか? 政治哲学者はそうした仕事を担うべき存在のひとりですね。政治哲学が扱うのは理念です。ところが、理念「だけ」を語るのは抽象的で、抽象的なものは役に立たない、という風潮がある。ロールズなんかは、うまく政策にもつながる話をしたので、当時は「政治哲学の復権」などといわれて、非常に注目された。ただこれは一九七〇年代のアメリカの話であって、日本ではまったくでした。

それが昨今、だいぶ風向きが変わってきている。サンデルがきっかけで一般的にも政治哲学がブームになり、非常に抽象的な議論であるにもかかわらず、何か実感をもって受け入れられている。「政治哲学、使えるのでは」と。背景には日本社会が行き詰まっているというのがあると思います。そうしたなか、深いところから考え直そうという機運が高まっています。まさにいま、二十一世紀における政治哲学の復権がなされつつあるのかもしれません。

社会制度の設計をしていく上では、やはり背骨となるものが不可欠です。その背骨を提供するのが政治哲学であるべきだし、また背骨だけでも成り立ちませんから、人間でいえば手足や臓器のようなものも必要になる。さらに歩けるようになるためにはそれなりのサポート、ここでの文脈だと経済学の知恵も必要になってくる。

そうした意味で、これから行う経済学者と政治哲学者の対話は、何らかの示唆を与えることができるかと思います。ただ、わたしは非常に理想主義的で、もっといえば数字なんかなくても生きていけるような世界を構想しているので、この対談が大団円を迎えるとは保障できませんが。

◇諸悪の根源としての「新自由主義」?

飯田:ではまず、小川さんから口火を切っていただけますか。人文系サイドから経済学、あるいはここ二十年の日本の行き詰まりを観察したときに、「新自由主義」が批判の槍玉にあげられるのが常ですね。

小川:新自由主義という言葉が人口に膾炙してから結構な時間がたちます。普通の人の口からも聞かれるようになっている。それだけいまの世の中が、この言葉によって象徴されているのだと思います。ではそれはどこから始まったのか? もちろんさかのぼれば、八〇年代中曽根政権による臨調路線、あるいは九〇年代橋本政権の行財政改革などがありましたが、一般の人々にとってもっともインパクトをもったのは小泉政権の構造改革だったでしょう。そこでは新自由主義は、日本の閉塞を打開してくれるよき思想でした。

ところが、郵政民営化を筆頭に規制緩和が叫ばれるなか、庶民の生活感覚としてはどんどん足元が揺らいでいった。「ああ、こうして世の中がバラバラになっていくのが構造改革であり、そしてこれが新自由主義なんだな」という実感が広まった。そしてメディアで、「格差」や「貧困」の増大が報道され始めると、新自由主義というのはじつはものすごく負の副産物を生み出しているとして、悪の権化のようにみなされるようになっていきました。

そこで、新自由主義をもたらした小泉構造改革への批判と反省を背景に、「コンクリートから人」へというフレーズを掲げた民主党へと政権交代が起こったわけですが、新自由主義的な傾向に歯止めがかかったとはとても思えません。結局、わたしたちは市場を重視し、また市場でのプレイヤーとしての個人をもっとも重要な単位ととらえて、日々生活している。これは政権うんぬんよりも、現代の人間にとってもっと深い、本質的な次元に関わっていることだと思います。

◇「下部構造」としてのデジタルデバイドの進行

飯田:何らかの思想が社会に普及し定着しているとしたならば、そこにはその思想を求める「下部構造」があるからではないでしょうか。経済環境に適合する形で思想的な共有がかたちづくられる。格差の問題は計量的には八〇年代から次第にデジタルデバイドが進行していったことが大きいです。パソコンやインターネットなどの情報技術を使いこなせる者と使いこなせない者のあいだに生じる待遇や貧富、機会の格差の増大ですね。

労働形態を三つに分けると、「シンボル創造労働」(ビジネスをつくる人——経営者・上級管理職)、「シンボル操作労働」(管理する人——事務労働者やブルーカラーの管理者)、「マニュアル労働」(ブルーカラー)となります。このうち、シンボル操作労働に携わる人々が中心となって、分厚い中間層をつくってきました。日本でのイメージとしては「サラリーマン」ですね。こういった中間層の税収をもとに福祉国家が成立していたし、またそうした環境はコミュニティとしての会社にも親和的だった。あるいは、思想としてはケインズ主義とマッチしていた。しかし、情報技術が発達してくると前提そのものが崩れていきます。

どういうことか。コンピュータ処理が容易になると、典型的にいえば経理課長がいて、ベテランの年長者がいて、女性社員がいてと、三〇—四〇人必要だった経理課という組織が、経理課長と、パソコンのメンテナンスをする人と、入力だけをする人が二〇人、という構成をとることができるようになる。そうなると中間層の分解が起こりやすくなるわけですね。

新自由主義はこうした環境にマッチするんですね。「中間層が分解しても、それは能力の問題だからよいのだ」という思想として、格差を促す状況を正当化してくれる。つまり、新自由主義という思想が広まることで社会が解体したのではなく、中間層が解体されていくような技術変化に対して適合的だったのが新自由主義だったのではないでしょうか。

だから、政権の交代などによって経済の基調的な動きが左右されることはない。現にアメリカをみても、表看板から裏看板までいかにも新自由主義的であったブッシュ政権から、少なくとも表看板は新自由主義に批判的なオバマ政権に変わっても、状況が変わらない理由はそれではないかと思います。……(つづく)
小川仁志(おがわ・ひとし)
1970年、京都府生まれ。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。哲学者・徳山工業高等専門学校准教授。米プリンストン大学客員研究員(2011年度)。商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。専門は欧米の政治哲学。朝日放送「キャスト」レギュラーコメンテーター。『はじめての政治哲学—「正しさ」をめぐる23の問い』(講談社)、『アメリカを動かす思想—プラグマティズム入門』(講談社)等著書多数。
飯田泰之(いいだ・やすゆき)/記事一覧
1975年東京生まれ。エコノミスト、駒澤大学准教授、シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

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