大坂なおみに「君はキャンドルだ」と声をかけたら…松岡修造が語る、トップアスリートの素顔 から続く
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テニス選手として類い稀な功績を持ち、“日本一熱い男”として知られる松岡修造。 「根は消極的で弱くてネガティブな人間」と語る松岡にとっての転換点や、一世を風靡した日めくりカレンダー「まいにち、修造!」の今後について聞いた。(全3回の2回目/1回目から読む)
松岡修造さん
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テニス選手だった頃より、今のほうが楽しい
ーー松岡さん自身のお話もお伺いします。ほぼ日刊イトイ新聞で行われた糸井重里さんとの対談企画「松岡修造のポジティブ道」で、「今、ぼくがテニス選手として行動するのは一年を通しても本当に短い時間、ジュニア選手の強化をしている時だけなんですよ。それ以外は自分をテニス選手だと思ってもいないし、失礼ですが戻りたくもなくて」とおっしゃっていますが、この真意についてお聞かせください。
松岡 ジュニア合宿や解説などでテニスに関わるのは喜んでさせていただいています。今の僕があるのはテニスのおかげですし、僕は日本人のなかでは一応パイオニアと言われていたからこそテニスについては自信を持って話すことができるので。
ただ、他の分野に関しては自信を持って話すことは基本的にないんです。だって、やったことがないですし、他の人の言葉を聞いて、「僕はこう感じました」と言うことしかできないですから。そういう場では、テニスはまったく関係ないですし、持ち込んでもしょうがない。
現役を退いてからは、人を「応援する」ということを自分自身の明確な目標にしています。だから、自分自身がいままで成し遂げてきたことなんてどうでもいいと思ってしまうんですよね。テニスを教えることも“応援”の一つとして考えていますから。テニスについてはいろいろ言えますが、他の場ではテニスというものを通さなくても表現できるという感覚なんですね。
ーーテニスをされていたときは競技にまつわるスランプがあったと思いますが、現役を退いてからはスランプに陥ったことはあるのですか?
松岡 テニスをやっていた時には結果がすべてだったので、勝っていないことがスランプですよね。いまのポジションではどのような状況がスランプなのか、ちょっと僕のなかではわからないです。ストレートに言ってしまうと、スランプを感じたことはないです。
ーーテニス選手だった頃よりも、現在のほうが楽しいという感じでしょうか。
松岡 楽しいです。いまの生き方のほうが向いています。もともとテニスの才能がないと言われていましたから。それなりに活躍はしましたが、それでも錦織選手を見ているとその才能が羨ましくなってしまいますし、こういう人こそテニスプレーヤーなんだなと思い知らされる。
錦織選手の中で共感できるのは、メンタルサイドのものだけ。それは、僕がどうやったら自分の弱い部分を前向きにとらえられるかというところをずっと研究していたからこそなんですね。そういう弱さを前向きに変換する方法を“応援”を通じて多くの人に伝えていくことが、いまはとっても面白いです。
実は、もともとはネガティブな性格だった
ーー今回の本で驚いたのが、《根は消極的で弱くてネガティブな人間》とお書きになっていることです。「根は」とありますから、ベースでネガティブ。それを変えた、もしくは表に出さないように心掛けたのはいつぐらいからですか?
松岡 実践的な面でいうと、テニスでプロになって海外のメンタルトレーナーと交流をするようになってからですね。弱い部分を持っていても、それを前向きなものに変換というか表現してしまう。
でも、これはみなさんもやっているはずだと思います。たとえば、受付の人なんて、まさにそうじゃないですか。どんなに疲れていても、笑顔で「おはようございます!」と言う。遊園地のキャストの方々は、それを極めている。
僕からしたら完璧なポジティブ思考法ですね。いつも心のなかがあんなに元気なわけがないですもの。でも、その時は元気だし、彼らと触れ合った人たちも元気になる。それはすごく大事なことだと思います。
ーーいまや「熱い男」といえば松岡さんの顔が思い浮かびます。そうしたパブリック・イメージが、どのあたりから定着したとご自身で思いますか。
松岡 “熱い”というものが“応援”だとすると、1996年の第36回フェドカップで伊達公子さんを応援した時ですかね。伊達さんが、世界ランキング1位だったシュテフィ・グラフに勝利した大会です。まだ僕は現役でしたけど、あの頃からそうしたイメージがついてきたのではないかと思います。
ただ、“応援”に関しては昔から同じです。メディアに出ることが多くなったことによって、そもそも僕が持っていた“応援”の表現が皆さんに“熱い”ものとして伝わっていったのではないでしょうか。