正直、たけしさんは「昔気質の芸人」であると思いますし、今の時代の感覚としては、「芸人って、ちょっと面白いことが言える、感じのいいひと」なのかな、という気もするのです。
世の中の人々は、けっこう本気で「もう、笑いに『毒舌』みたいなものは必要ない」と考えているのではなかろうか。
昔のドリフ番組の美術さんとかはすごくて、いかりやさんが、いちいちセットに文句をつけて「直せ、直せ」って言えば、美術が全部直してた。だけど、今俺らが「このセット直してよ」って言っても「予算がありませんよ、これでやってください」だもの。
お笑いっていうのは、要するにムダなことっていうのがお笑いであって、2000万円かけたセットが一瞬で消えたりするところにお笑いの真髄があるわけ。2000万円のものを2000万円分見せようとしても面白くはならない。
基本的にお笑いって「落差」だから。オチをつけて「落とす」わけだから。
とんでもない高いものが一瞬で粉々になって、もうダメだっていう顔を撮って笑うようなもので、それを大事に拾って集めているようなお笑いっていうのはありえないんだ。
「コンプライアンス」と「予算」の問題、この二つを同時に解決するには、テレビも有料にするべきだと思う。完全有料にして、タレントにきちんとお金を払って週一の番組1本で食えるようにする。ひな壇に芸人やタレントが10人も15人も座って、ゴチョゴチョ顔だけ出して、はした金もらって終わりみたいな番組が多いからうるさくてつまらない番組が多い。
企業のスポンサーが不要になるから、「嫌なら見るな」というだけで、いろんな会社の悪口も自由に言えるようになる。「この映像には過剰な演出が含まれております」とか「あくまで個人の意見です」とか、テレビでは注意書きみたいなテロップが出るけど、俺だったら「この番組はバカな人は見ないでください。なお、自分は利口だと思って見てもわからなかったら、貴方はバカです」ぐらいのテロップを入れて、それで番組を始めたほうが面白いんだけど、これも有料テレビなら可能になるだろう。
東浩紀さんが、『ゲンロン戦記』という本のなかで、「ネット配信の有料化によって、収益を得るのと同時に、炎上予防の効果もある」という話をされていました。
たけしさんも、「有料化」に言及しておられるのは、「無料で、より多くの人に観てもらい、広告で稼ぐ」という現在の地上波テレビの収益構造に限界を感じている言論人・タレントが少なからずいるということなのでしょう。
ネットフリックスやアマゾンプライム限定の番組も最近はかなり増えてきて、そこではむしろ「過激さ」「表現の自由度の高さ」がセールスポイントになっているのです。
これは、たけしさん自身への「弔辞」であるのと同時に、地上波の、みんなが観て、学校や職場で共通の話題にしてきたバラエティ番組への「弔辞」なのかもしれないな、と思いながら読みました。
志村けんさんが突然亡くなってもテレビは、お笑いは続いているのですから、たけしさんでも、いつかは「思い出」にされてしまう存在であり、たけしさん自身も、そのことは承知しているのが伝わってくるのです。だからこそ、言い残しておきたいことが、まだ少なからずあるのだろうな、ということも。