1月7日、首都圏の1都3県を対象に発令された緊急事態宣言。そんな中、大学入試センター試験に代わり今年はじめて実施されようとしているのが、大学入学共通テストだ。1月16、17日に第1日程が予定され、約53万5千人が志願している。
英語民間試験や記述式問題の導入見送り、さらに実施の直前の緊急事態宣言と、波乱の連続だった今回の改革。現場の混乱が予想されるが、新刊『超進学校トップ10名物対決』を上梓したおおたとしまさ氏は「超進学校ほど振り回されなかった」と指摘する。その理由とは……。

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大学入試改革が先行き不透明さを招く皮肉
いわゆる「2020年度の大学入試改革」の産物としての第1回「大学入学共通テスト」がまもなく実施される。試行テストの問題を見る限り、たしかに出題傾向は変わるし、英語のリスニングの配点が大きくなるなどの変更はあるが、当初の目玉であった英語民間試験や記述式問題導入は実現しなかった。
念のために述べておくが、そもそもの大学入試改革議論は、センター試験を変えることが目的ではない。あくまでも個別の大学による選抜のあり方を「脱ペーパーテスト化」していこうという狙いがあった。その先鞭を付けるべく始まったのが、東大や京大における推薦入試である。
欧米の有名大学は入試会場に受験生を集めてペーパーテストを配って一斉に「試験開始!」なんてやらない。代わりに小論文や学習履歴などの文書を提出させておき、場合によっては面接を行って合格者を決める。大雑把にいってしまえば、日本もそうしようというのが大学入試改革のもともとの狙いだ。
大学入学共通テストはセンター試験の衣装直し程度のものになってしまったが、個別の大学における入試の多様化は今後も進むだろう。その意味では大学入試改革も無駄ではなかったのだが、英語民間試験や記述式問題の導入にまつわる混乱に振り回された現在の高校3年生はたまったものではない。
しかも共通テストの直前に緊急事態宣言。文科省は緊急事態宣言下でも共通テストは実施するとの方針を示してきたが、それにしても今年の受験生は、高校入学時から最後まで、先行き不透明な状況で大学入試に備えなければならなかった。先行き不透明な社会に備えるための大学入試それ自体が、先行き不透明な社会を生き抜く実地訓練となってしまったとは皮肉である。
超進学校ほど大学入試改革の趣旨を先取り
私の記憶では、大学入試改革の雲行きが怪しくなってきたのは2015年の年末あたりからだった。新テストのサンプル問題が発表されるやさまざまな疑問が呈された。さらにそのころから、高校によって大学入試改革へのスタンスがはっきり二極化したというのが私の印象である。
英語民間試験や記述式問題の導入への対応を前面に打ち出す学校と、「なーんだ、この程度の変更なら、いままで通りにやっていればいい」と構える学校だ。にべもないことをいってしまえば、超進学校としての地位を確立している学校は後者であり、進学実績を伸ばすことに一生懸命な学校ほど前者になる。
当然ながら、前者の学校ほど今回の改革には結果的に振り回された。2013年に大学入試改革の大風呂敷が広げられたときには、「これで開成や灘などが現在の地位を保てなくなる」と言うひとたちもいたが、常に現場を見ていた私からすればナンセンスな指摘だった。こういう学校ほど時代を先取りしていたからだ。
なぜそうなるのか。理由は単純である。華々しい大学進学実績が出ているからこそ学校として余裕がある。その分、目の前のテストの点数を上げることではなく、もっと長い時間的視野での教育に力を割くことができる。最難関大学合格者数ランキングで上位にある学校ほど、教育的「余白」が大きい。
その「余白」を利用して、大学受験勉強の範囲に留まらない探究的学習にも未来の社会を見据えた先進的な教育プログラムにも取り組むことができる。「お上」の「お達し」を待つまでもなく、現場の教員たちが主体的に常に半歩先行く教育を実践しているのだ。その様子を私は新刊『超進学校トップ10名物対決』に著した。
2021年4月から中学校で、2022年度からは高校で、新学習指導要領が実施されるが、拙著を見ていただければ、その趣旨すら先取りした教育がすでに行われていることがわかるはずだ。印象的なエピソードをいくつか紹介しよう。
大学受験勉強以上のことを学ぶ生徒たち
奈良県の東大寺学園では、生徒たちが常に不規則発言を行いそれを片っ端から教員が拾うので50分間で教科書の1行分しか進まなかったが、結果的にそのやりとり自体が教科書の1行の意味を深く理解するためのアクティブ・ラーニングになっているという神業的な国語の授業を目撃した。
兵庫県の灘の数学研究部の部長は「僕たちがやっている数学は、数学の世界を広げること。そもそも高校までの教科書の範囲は数学のごく狭い部分にすぎない。数学オリンピックだって数学という広大な世界のなかにある狭い村のようなもの」と語ってくれた。
愛知県の東海の演劇部の部長は、「もともとは医学部進学のためにこの学校を選んだが、演劇部の活動を通していろいろな世界があることを知り、迷いが生じた」と告白する。それに対して教頭は、「思惑通り。どんどん迷ってほしい」とほくそ笑む。
東京都の筑波大附属駒場(筑駒)の文化祭実行委員長は、「基本的に筑駒の文実(文化祭実行委員会)は主役になってはいけない。あくまでも縁の下の力持ち。高圧的なひとはダメだし、ルールで縛るのもダメ。どうすれば気持ちよくひとが動いてくれるかを考えられなければいけない」と、サーバントリーダーシップを説いていた。
鹿児島県のラ・サールの英語ディベート部の前部長は、相手を打ち負かすことが目的ではなく、論理的な英語を身につけることに意味があるという。そして「僕は将来、国連や国際的なNGOに勤めて世界中のひとたちが同じ立場で議論ができるような教育を広める活動をしたい」と語ってくれた。
京都府の洛南では大学入試直前期に生徒の一部が自主的に教員と交渉し、入試対策講座の時間割を組む。その様子を見た副校長は「彼らは自分の受験勉強よりもみんなのために働くことを優先している。そのために仮に第一志望の大学に合格できなくても、人間としてはすでに立派。どこの大学に行くかなんて関係なく、社会で十分通用するでしょう」と、教え子を讃える。