近年、マラソンや駅伝といった陸上競技の長距離種目で、ナイキの「厚底シューズ」が話題になりました。
ソールにカーボンプレートを内蔵した同社のシューズは、ランナーの足への負担を減らし、ロードレースだけでなくトラックレースでもタイムの大幅な向上に寄与していると言われています。実際に2020年の箱根駅伝では、8割を超える選手が同社の厚底シューズを履いていました。
これまで長距離種目のシューズと言えば、ソールを薄くして、とにかく軽さを追求したものが当たり前でした。その「常識」をナイキは覆したともいえます。
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「厚底シューズ」の流れは2016年のリオ五輪から
この流れが始まったのは2016年のリオ五輪でした。リオ五輪に出場したアメリカのゲーレン・ラップ選手は、近年では前例のない10000mとマラソンの2種目出場を敢行し、マラソンで銅メダルに輝きました。そしてその足にはナイキの厚底シューズのプロトタイプを履いていたのです。
マラソンとトラックレースの2種目に出場するには、いかに足にかかる負担を減らすのかが重要でした。そこで「厚底シューズ」という製品が大きなメリットを与えたのです。
そして、その翌年にはリオ五輪を制したケニアのエリウド・キプチョゲ選手が「Breaking2」プロジェクトと題した、フルマラソンで2時間切りを目指す驚異の企画に参加しました。
このプロジェクトは世界各国で注目をあつめ、そこで使用されたシューズにも関心が集まることになったのです。その後、使用されたシューズが一般でも発売されると、それによるタイムの向上が顕著だったこともあり、徐々に現在の「ナイキ一強」ともいえる状態へと繋がったのです。
実は、ある日系メーカーの方が言っていたのが「各社とも厚底シューズがマラソンや駅伝に向いているのはわかっていた。カーボンも短距離のスパイク素材ではすでに使っていたので、有用さも十二分に理解していた」ということです。
では、なぜ日系メーカーからは厚底シューズが出てこなかったのでしょうか。
2020年以降の駅伝シーズンは足下に注目!
その考えを拒否したのはメーカー側ではなく、むしろ選手や指導者だったそうです。これまで日本は「マラソン大国」で、伝統的に長距離が強かった。
だからこそ、「強かった選手が履いていたシューズを踏襲してほしい」「これまでと大きく形を変えないで欲しい」という要望が強く、メーカーとしても革新的な商品を開発することができなかったのです。
そこにナイキという“黒船”が「厚底シューズ」という新たな流れを作り、前述のように日本でもその影響が大きくなってきた。そして各社とも、続々と新商品の開発を始めたのです。技術者の立場からすると「これでようやく技術革新を活かしたシューズが作れる」と、むしろ現状を好意的に受け止めているようです。
だからこそ2020年の駅伝シーズンはランナーたちの足下に注目なのです!
各社が新たな技術開発を行い、それを受け取る選手や指導者も、ある意味で過去のしがらみから解放された。それぞれがフラットな目線でシューズを選べるようになってきているんです。
これまでは先陣を切ったナイキがリードしていましたが、各社がそこに追いつくべく開発を進めていた商品が、いま徐々に市場にも出回り始めています。
各社の特色が光る新商品が登場
例えばミズノが新しく発売した商品は、ナイキと違いカーボン製ではない独自の樹脂製プレートを内蔵している中厚底のシューズです。ナイキの厚底が世界トップクラスのマラソンランナーをターゲットにした商品なのに対し、ミズノは明らかに箱根駅伝のランナーを意識した商品になっています。
世界レベルのトップランナーならば、厚底+カーボンプレートが良いのだけれど、箱根駅伝レベルの選手にはカーボンでは反発力が強すぎる。樹脂製の方がより良いという考え方ですね。
アシックスの場合、2020年10月のロンドンマラソンで、上位の選手がそれまでみたことのない厚底タイプのシューズを履いていました。これもきっと近いうちに一般向けに商品化されることになるでしょう。
各メーカーが技術革新できたワケ
また、2020年8月に女子1500mで日本新記録を出した田中希実選手が履いていたのはニューバランスの新モデルシューズでした。これは完全に中距離選手に向けた仕様になっていて、ピンポイントなターゲティングをしています。
このようにいままさに各メーカーがそれぞれのカラーを出しながら新たなシューズ開発を進めています。そこには、ナイキの厚底シューズが覇権を握ったからこそ、技術革新が行いやすくなったという背景があったのです。
加えてもうひとつ、ランナーのシューズ選択に影響を与えているのが、新型コロナウイルス感染症の影響によるスポーツメーカー全体の経営不振です。
これまでは、例えば箱根駅伝の選手には宣伝効果を求めて多くのメーカーからシューズが試供品として無償で提供されていました。ところが、このコロナ禍でスポーツメーカーも経営に影響が出てきています。それでこれまでのように潤沢にシューズを提供することができなくなっているのです。
そうなれば当然、選手も自費でシューズを買わなければなりませんから、これまで以上に自分に合ったものを吟味して選ぶようになるでしょう。各社の新商品が出始めている段階で、そういった社会的背景があることも、これからの「ランニングシューズ戦線」が混沌としてくる理由のひとつではないかと考えています。
日本ではこれから駅伝・マラソンのシーズンへと突入します。各大会の結果だけでなく、今季はぜひ、ランナーたちがどんなシューズを履いているのかも楽しみに観戦してほしいと思います。
「ナイキ厚底一強時代」の次には、「シューズメーカー戦国時代」がやってくるのかもしれません。
(西本 武司/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2021年の論点100)