12月2日の正式デビューに続き、大晦日にはNHK紅白歌合戦に出場するNiziU。韓国でもファン層を広げているが、声援とともに“複雑な視線”が送られているという。その理由について、日本人アーティストへのインタビューも手掛ける韓国唯一のJ-POP評論家、ファン・ソノプ氏が寄稿した。
ファンを広げるNiziUに、韓国のK-POPファンが抱く“複雑な感情”とは?(NiziU公式Twitterより)
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韓国からの「複雑な視線」
NiziUに対する日本国内の反応が熱い。ここ最近の日本のK-POPブームは私も体感していたが、NiziUがこれほど速いスピードで日本市場を席巻するとは予測できなかった。
オーディション番組「Nizi Project」での熱気を追い風にリリースされたプレデビュー曲「Make you happy」は、日本でのストリーミング再生回数が女性アーティスト史上最速で1億回を突破。さらに、正式デビュー前に紅白歌合戦への出場を決めた。
12月2日に正式デビューした今、NiziUの韓国での認知度はまだ低いものの、応援する人が増えてきた。
ただ、韓国のK-POPファンがNiziUを見る視線は複雑だ。
オーディションの序盤から「韓国が持つK-POPアイドル育成のノウハウやシステムを、何の代価もなしに日本に流している」という批判があったし、プレデビューの際には「日本人主体だからK-POPと言えない」という意見も強かった。「K-POP」と「J-POP」の間に線を引こうとする動きが強く存在していたのだ。「韓国のアイドルに比べて実力が足りない」「韓国での活動は不可能だろう」という反応もあった。
しかし、NiziUにみられる「現地化戦略」は、K-POPの最終形態とされる。東方神起や少女時代を生み出した韓国の大手芸能事務所、SMエンタテインメントが推進している各国メンバーを集めたプロジェクト「NCT」も同じ文脈の上で進められていることを考えても、NiziUという存在はいつか現れる宿命にあった「K-POPの進化形」なのだ。
もうひとつ、韓国ファンが複雑に思っていること
もうひとつ、韓国のK-POPファンがNiziUについて複雑に思っていることがある。
それはNiziUが成功したことで、日本人が「韓国のノウハウを導入しさえすれば、どの国でもK-POPのようなコンテンツが生み出せる」と思ったのではないかという点だ。そんな調子で刺激的に伝える日本の一部メディアの報道が、韓国でも伝えられているのだ。
筆者は個人的に、日本のアイドル産業が短時間でK-POPと同水準に達することは難しいと考えている。これは日本のアイドルの水準を低く見ているというわけではない。そもそもアイドルとしての出発点が違ったのだ。
親近感を前面に押し出した日本のアイドル
日本のアイドル業界の歴史を振り返ると、大きな転換点は1980年代半ばではないだろうか。秋元康が主導した「おニャン子クラブ」の誕生を皮切りに、急激に業界が変化し始めた。
親近感を前面に押し出す戦略で、疑似恋愛的な要素やファンダム(熱心なファン集団)文化を生み出した。同時に、ジャニーズ事務所の男性アイドルによるメディア制覇が加わって、日本では「アイドル=エンターテイメント」という概念が定着した。
その流れの中で、90年代以降、SMAP、嵐、モーニング娘。などが日本におけるアイドルのイメージを代表するグループに成長した。
2000年代に入ると、秋元康はおニャン子クラブの手法を生かしたAKB48を発足させた。「いつでも会いに行けるアイドル」をコンセプトに、握手会や劇場公演が導入され、アイドルは実力そのものが評価されなくても、夢は努力すれば実現できるというストーリーが重要視された。その夢を実現してくれるのはファンの資金力だ。
その過程で日本のアイドルは、音楽やダンスなどの「テクニック」からどんどん距離を置くような形で成長してきた。70~80年代に山口百恵、松田聖子、中森明菜らの実力を評価していた韓国の音楽ファンから、いまの日本のアイドルに対して厳しい声が私の元に届く。これは、ある意味当然のことだろう。
「操り人形」と批判されてきた韓国のアイドル
このように「楽しさを与える」という役割に徹してきた日本のアイドルと違い、韓国のアイドルはこれまで常に国民から厳しい「検証」の対象となっていた。アイドルの音楽性などの実力を、大衆から認められるために闘ってきた歴史だった。
かつて、1987年に結成された韓国初の男性アイドルグループと言われるソバンチャ、ヤチャなど、日本のジャニーズ流を踏襲したアイドルも存在したが、その命脈は80年代後半にすでに途切れた状態。
K-POPに連なる第1世代アイドルが現れるきっかけとなったのは、1992年のアメリカの男性5人組バンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの来韓公演と、同年にデビューした韓国の3人組男性グループ、ソテジワアイドゥルの登場だった。
この2つの“事件”で10代の音楽マーケットの可能性に気付いたSMのイ・スマン代表は、徹底した市場調査とキャスティングによって、5人組のボーイズバンド、H.O.T.を誕生させた。
H.O.T.が10代の圧倒的な支持を集めたのは当然の流れだったが、注目すべき点は一般大衆からの批判が激しかったことだ。
企画会社の操り人形のように、誰かが作ってくれた歌を金魚のように口をパクパクさせて真似する主体性のない人たち……という批判が、ファン以外の大衆が抱いた思いだった。
というのも、日本では、エンターテイナーとしての価値も歌手のアイデンティティの一つと考えられていたが、韓国では「エンターテイナー」と「歌手」を徹底的に分ける雰囲気が強かった。つまり、「ショービジネスだけの存在なら、H.O.Tには社会的、文化的な意味はない」と判断されたのだ。さらに、H.O.T.は「誰かが作ってくれたもの」ばかりで、「本人たちのもの」がないという声もあった。
さらに、学業に励むべき10代の青少年たちの芸能界デビューも批判の的となった。当時、ある放送局は高校生歌手の出演禁止を論議したほどだった。
このような背景から、H.O.T.だけでなく、S.E.S.やジェックスキス、ピンクルなど、K-POPの原点とも言うべきアイドルは中身のない殻のようなコンテンツと思われてきた。