11月16日、発表された『NHK紅白歌合戦』の出場者のなかにAKB48の名前はなかった。2009年から11年連続で出場していたこともあり、その落選は大きく驚かれた。
AKB48がブレイクしたのは、2009年頃からだ。そこから10年以上も一線で活躍し続けてきた。アイドルでここまで長期に渡って人気を維持し続けてきたのは、きわめて異例だ。
AKB48(2011年撮影) ©getty
この2010年代は、インターネットによってメディアが大きな変化を遂げた10年間でもあった。スマートフォンの普及により、ひとびとは日常的にネットから情報を得て、SNSでコミュニケーションを取るようになった。(全2回の1回目/後編を読む)
“AKB商法”で2010年代を駆け抜けた
AKB48はそんな10年代に見事に適合した。ファンたちの盛り上がりはネットでヴァイラルに拡がり、レガシーメディアはその盛り上がりを過剰に評価した。
加えて、握手券や総選挙の投票券が封入されて販売されたCDは、ファンの複数枚購入を常態化させ、オリコンランキングをハッキングした。ファンたちは、彼女たちとコミュニケーションする機会(握手券)や応援(投票券)のためにCDを買っていた。これがいわゆる“AKB商法”と呼ばれるものだ。
それによって2010年から2019年までの10年間、AKB48は年間シングルランキングのトップに君臨し続けた。「会いに行けるアイドル」のファンたちの熱意をCD売上に結びつけ、音楽の人気へと変換した。旧態依然としたオリコンのシステムを使うことで、コアファンによる人気を一般化したのである。つまり、“AKB商法”は、“人気錬金術”のシステムでもあった。
“AKB商法”は見事に機能して、AKB48は10年代前半に“大ヒット”を続けた。だが、10年代中期を過ぎたあたりから風向きが変わる。そのポイントは4つある。
オリコンランキングの終焉
ひとつは、音楽人気を計る基準がビルボードチャートに変わったことだ。オリコンが2018年末までCD売上のみのランキングだったのに対し、ビルボードはCD販売だけでなく、音源ダウンロード販売やストリーミングサービス、動画再生数など複合的な指標を用いて曲単位でチャートを構成する。現在は8項目の指標からなり、その比重は毎年変えられている。
このなかには、PCへのCD読み取り数を意味するルックアップもある。複数枚購入を促進させる“AKB商法”などからの影響を抑制し、音楽が実質的に聴かれた程度を計るための指標だ。
地上波テレビをはじめとする多くのメディアは、10年代中期頃からオリコンからビルボードに切り替え始めた。オリコンでは上位に来るのがAKB48やジャニーズ、アニメソングばかりとなってしまったからだ。特典目当てにCDを購入するコアなファンの熱意がランキングに強く反映されるオリコンは、音楽メディアが多様化するなかで楽曲の人気を計る基準としては機能不全となっていたのだ。
AKB48は、2016年まではビルボードでも上位を占めていた。しかし、2017年以降にランクが徐々に落ちていく。ビルボードがチャート指標の比重を変えたからだ。実際、この3年で音楽需要はCDからストリーミングへかなりシフトしている。ビルボードはリスナーの音楽環境に適応しているのだ。
結果、AKB48グループは発売初週こそビルボードではトップになっても、翌週以降は大幅に順位を下げるようになる(これは一部を除いてネット対応していないジャニーズの多くも同様だ)。
この音楽ランキングのルール変更によって、AKB48は“人気錬金術”ができなくなった。
“ポスト指原”を生み出せなかった
次に、AKB48人気の退潮要因として挙げられるのは、指原莉乃など中心メンバーの相次ぐ卒業・離脱だ。
指原は、2009年から2018年まで10回おこなわれた選抜総選挙で4回もトップに立つほどの人気だった。前田敦子や大島優子を中心とした初期の人気メンバーが卒業していった後に、AKB48を支えた存在だった。そんな指原が2019年4月に卒業した。2018年の総選挙にも参加せず、卒業は既定路線だった。
残されたメンバーに、指原の穴を埋める存在はいなかった。2018年の総選挙で1位となったSKE48の松井珠理奈の人気は一般化せず、韓国のオーディション番組『PRODUCE 48』を途中降板した後に、体調不良で活動を休むことが増えていった。
『PRODUCE 48』で人材が流出
人気メンバーとして期待されていた宮脇咲良は、同じく『PRODUCE 48』を機に韓国に渡り、IZ*ONEのメンバーとなってK-POPの世界で大活躍をしている。2021年4月までの期間限定での活動ではあるが、IZ*ONEはK-POPのガールズグループのなかではBLACKPINKとTWICEに次ぐ人気を維持している。
また、同じ番組でファイナルまで残った高橋朱里も卒業して韓国に渡り、Rocket Punchの一員としてデビューした。高橋は、次期総監督との呼び声も高かった存在だ。秋元康がプロデューサーのひとりに名を連ねた『PRODUCE 48』は、結果的に人材の流出に繋がった。
2019年9月には、新たなスター候補として当時17歳の矢作萌夏をセンターに抜擢する。が、その1ヶ月後に矢作は卒業を表明。大きな期待を背負った彼女がセンターを務めた曲が「サステナブル」だったのは、もはや皮肉のようですらあった。なお、現在芸能界から姿を消した矢作は、大手プロダクションに移り再デビューの準備をしているという噂があとを絶たない。
このように主要メンバーの離脱で人気が減退するAKB48に対し、人気が上がっていったのは乃木坂46や欅坂46などの坂道グループだ。そもそもAKB48のライバルとして誕生した坂道グループだったが、違いも多くあった。各グループのコンセプトが明確であり、メンバー同士が総選挙などで競い合うことはなく、そしてルックスが重視されてメンバーは選ばれた。同じなのは握手会を行い、CDの複数枚購入を促進するビジネスモデルだ。
若いファンはAKB48から坂道グループに移っていった。乃木坂46の清楚さに惹かれるファンもいれば、欅坂46の思春期的なコンセプトに共感するファンもいた。AKB48グループが見せてきた競争よりも、よりシンプルなグループをファンは求めた。