7年8カ月超という憲政史上最長の在任期間を終えた安倍晋三前首相。「桜を見る会」前夜祭を巡る問題で、東京地検特捜部は安倍氏の公設第1秘書を政治資金規正法違反の罪で略式起訴した。一方、安倍氏本人は不起訴処分となった。12月24日に急遽開いた記者会見では、事実と異なる過去の国会答弁を謝罪しつつ、自身の関与は繰り返し否定。25日には衆参両院の議院運営委員会に出席し、国会答弁を訂正のうえ陳謝した。まだまだ過去の人にはなりえない「安倍晋三」という政治家について、時事芸人のプチ鹿島さんがあらためて考察する。
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首相辞任後からどんどん元気に
安倍さんが最近お元気です。
お元気すぎてまた「桜」も咲いてます。「桜を見る会を見る会」を数年前から結成していた私からすれば見逃せない動き。
まず、首相辞任後からどんどん元気になってく様子を新聞紙面で追ってみよう。
10月20日の日刊スポーツの一面には目を奪われた。アーチェリーで弓を弾くポーズのゴキゲンな安倍晋三前首相。全日本アーチェリー連盟会長に復帰したという。単独インタビューに応じ「五輪秘話」を語っていた。
首相辞任後に安倍氏(以下敬称略)は新聞各紙のインタビューに積極的に応じている。
面白かったのは日本経済新聞(9月30日)。安倍が7年8カ月超の政局運営を振り返り、2017年の衆院解散の判断が「一番当たった」と語っているのだ。
「自分で言うのもなんだが、衆院解散の判断で一番当たったのは17年秋の衆院選だ。森友・加計問題で責められ、支持率も少しずつ下がっていた。17年8月に支持率が少し上がった」
2018年、桜を見る会での安倍晋三氏 ©文藝春秋
それならどこかで勝負しようと考えた、と。当時は小池百合子率いる「都民ファーストの会」の国政進出が噂された。
「いちかばちか小池氏の準備が整っていないときに襲いかかるしかないと思った。自民党内でも反対された。結果として小池氏への支持が広がらず、自民党が284議席を得た。逆『桶狭間』という状況になった」
逆桶狭間! 安倍さん本当にゴキゲン。それにしても織田信長のような怖さを小池さんに感じていたのですね。
たしか国難突破解散と言っていた気がするが「小池氏の準備が整っていないときに襲いかかるしかない」って、解散の大義はやはり何でもいいと教えてくれたインタビューであった。
来年秋までには「安倍派」が誕生する見通しだった
実は最近も解散についてパーティで言及している。《「来年いつ選挙をやるかは菅義偉首相が決めること。私がとやかく申し上げるわけにはいかない」と断りつつ、「もし私が首相だったら、(誘惑に)駆られる」》(毎日新聞11月17日)。
菅は自分の「番頭」だったという意識が安倍にはあるのだろう。格下を語る感満載。首相先輩風である。石破茂や岸田文雄がパッとしない今、菅首相にとって前首相こそが厄介な人になってきた?
ここで安倍の出身派閥である細田派(清和政策研究会)を思い出してみよう。自民党では最大派閥であるが、誰もが一致して認める次の総裁候補がいないことが弱みと言われている。しかし前首相が派閥に戻れば悩みが解消する可能性も。
《来年秋までには「安倍派」が誕生する見通しだ。細田派内の期待は高まっており、「二度あることは三度ある」と、首相への返り咲きを期待する声も出始めている。》(朝日新聞11月19日)
「桜」前夜祭で、3度目はもう消えたのか
3度目の就任。プロ野球の監督みたいだが、いや冗談ではなく安倍周りでは辞任直後から3度目待望論があるのだ。
櫻井よしこは安倍首相辞任表明直後のコラムで「十分な休養の後、首相が内外の政治において重きをなす日が必ずまた来ると、私は考えている」(産経新聞9月7日)と書いた。これは願望にもみえる。
最近の活発な動きを見ると既に十分な休養はとれたのか。
「週刊プレイボーイ」(12月7日号)は「ちょこまか動く前首相に菅官邸が大困惑中『安倍さんがやたら元気でウザすぎる!!』」。
日刊スポーツに載ったアーチェリーの弓先は「3度目」を見据えていたのか。そこにうっかり見える標的は菅義偉なのか。
すると、今回の「安倍前首相秘書ら聴取 『桜』前夜祭 会費補填巡り 東京地検」(読売11月23日)である。
アーチェリーの弓先は安倍自身に向いていた? 3度目はもう消えたのか。政治の流れがまたザワザワしてきた。よくも悪くも安倍晋三にまた注目が集まりだしたのである。
ということでこの機会に「安倍晋三とは何か」をあらためて振り返りたいと思う。
私の好きな新聞読み比べだけでなく、書籍や週刊誌などからも再度確認したいポイントを提示したい。そして7年8カ月を超えた第二次政権の手法もまとめてみたい。私は「感動政治」がキーワードだと考えるがそれは後半に述べる。
政治家になる前の安倍晋三とは
まず政治家になる前の安倍晋三とはどんな人物だったのか。紹介したいのは『安倍三代』(青木理・朝日新聞出版2017年)。
青木理は安倍晋三の父・安倍晋太郎、祖父・安倍寛の人物像にも迫った。この両者を取材するほど垣間見えてくるエピソードや言動に「すべては賛同はしないまでも、惹きつけられた。俗っぽい言い方をするならば、ワクワクするような楽しさを覚えた」と青木は書くが、
《しかし、晋三は違った。成長過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードが出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。取材をしていて魅力も感じなければ、ワクワクもしない。取材するほどに募るのは逆に落胆ばかり。正直言って、「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。》
「取材者」がため息をついている貴重な部分である。凡庸だがみんなに好かれる“いい子”などの安倍に対する証言は本書の各所にみられる。裏を返せばガツガツしないお坊ちゃまらしさを感じるのだが、安倍晋三の売りと言えば保守政治家としてのガチガチの言動だ。では、これはいつから芽吹いたのであろう。