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「日産 その栄光と屈辱」佐藤正明氏講演 2012年10月17日八重洲ブックセンターにて

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さる10月17日、
八重洲ブックセンター本店にて開催された
「日産 その栄光と屈辱」
著者佐藤正明氏の出版記念講演記録書起し全篇です。




画像を見る はじめまして、佐藤正明です。日経BPを退社して5~6年たち、今は表参道ヒルズの上に個人事務所を置いています。

なんでそんなところに事務所を置いているのかというと、やはり静かだからです。下はざわざわしていますが、上はものすごく静かです。

僕が取材する人たちビジネス街にいて、表参道で仕事をすることなどない人たちばかりです。僕も新聞記者をやっている時に、表参道で酒を飲んだ経験など1回もありませんでした。

そういうところにいると、物珍しさで人が来てくれる。本当は僕が取材先に出向くべき時でも、相手から来てくれるわけで、ありがたく思っています。

僕は 1日に2万歩を歩くことを目標にしています。2万歩というのは 1時間で8千歩ですから 、2時間半ぐらいということです。

人から何でそんなバカなことをやっているのかと言われますけど、48歳の時にギックリ腰をやったからです。ゴルフをやっていて、ボールを置いた時にガクッと来た。その場はたいしたことないと思って予定どおりアメリカに出張に行ったのですが、痛くて痛くて・・・。これはギックリ腰だなということで、帰国後このビル(八重洲ブックセンター本店)の隣にホンダの旧本社の中にカイロプラクティックの治療所があり、ある人の紹介でそこの先生に診てもらったんです。

なぜホンダのビルの中にというと、本田宗一郎さんもギックリ腰で四谷の治療院に行っていたけど、そこまで行くのが面倒臭くて「ホンダのビルでやってくれ」ということでビルの中に治療院を入れたわけです。

僕がその先生に言われたのは、カイロプラクティックというのは骨をボキボキ矯正するだけでなく、あとは自然治癒、本人の自覚の問題だと。そのためには1日に1万5千歩、歩きなさいと。

1日1万5千歩を続けていれば、あなたと私は生きている間は顔を合わせる必要がないでしょうと言うんです。その後、1万5千歩も中途半端だなと思って、2万歩を歩くことにしたわけです。

勤めているときは毎朝1時間から1時間半ぐらい歩いていました。通勤がなくなって表参道で仕事をしていると、なかなか外へ出る機会がないので、2時間は歩くということにしたわけです。

やはり効果は抜群です。その先生は亡くなりましたが、おかげさまで2万歩を歩いていると、その後ギックリ腰はまったくなくなりました。

あと、僕は本当にズボラな人間です。ズボラな人間だから、新聞記者時代から取材の時にメモを取らない。取材か雑談か訳の分からない方法をとるほうが、むしろ相手の本音が聞きとりやすいんです。

今まで本を何冊も出しましたけど、それを書くときもスケルトンに引っ張られるのが嫌なので、一切作らないできました。 ではどうするのか。散歩の間に考えるということですね。本の構成や表現を 2時間の散歩中に考えるんです。ただ、紙もペンも持って行きませんから、家に帰ると忘れてしまっていることが大半で、2割ほど残っていればいい方です。でも、それでいいと思ってやっています。

新聞記者時代の取材というのは、相手との真剣勝負でした。だから複数ではなく、一人でやる。キャップ時代には、原則的に昼間の取材はサブキャップ以下に任せてしまう。僕自身は、必要とあれば夜回りをするやり方でした。

新聞記者の醍醐味というのは、特ダネをモノにすることです。といっても、特ダネは天からは絶対に降ってこない。ライバル紙の人は、日経の特ダネというのは相手企業から持ち込まれるんじゃないか、転がり込んでくるんじゃないか、という人が結構いますが、これは偏見であって、そんなことは一回もないです。

僕の新聞記者としての転機は、昭和50年に自動車を担当したことです。当時は石油ショックの後で、大変な時代でした。東洋工業(現マツダ)が潰れるのではないかといわれていた時代です。

仮にマツダが潰れれば、中国地方の経済がハチャメチャになってしまうという危機感があった。当時のデスクから「他の仕事は何もしなくていいから、とにかくマツダだけをやれ、抜かれたら許さないぞ」と言われて、実際はほかの仕事もやりましたが、仕事の中心はマツダでした。

マツダの本社は広島にあるわけですが、毎日広島に行けるはずもないし、社長の松田耕平さんがいつでも会ってくれるわけでもないです。調べた結果わかったのは、メーンバンクの住友銀行でマツダ再建の最高指揮を取っているのが、当時専務だった磯田一郎さんだということ。この人は後で頭取になって「住友銀行中興の祖」と言われるんですけれども、当時はまだ無名です。

そこで彼が東京へ来るときは夜に必ず会いに行き、毎晩ホテルのロビーで待っているのです。そしてまた次の朝も行く。延べ 1年間で 100回ほど会いました。

話を聴いていると、住友銀行はどうやってマツダを再建するか、ものすごく真剣に考えているのだけれど、自分たちだけでは動けない。それで雑談している間に、トヨタや日産にこういう点で助けてもらいたいのだが、打診してもらえないか、と頼まれるのです。磯田さんに頼まれて行ったり来たり、丁稚みたいなことやっていたわけです。なんやかんやで100回ほど会ったのですが、残念ながら特ダネは読売に抜かれちゃった。

読売新聞の一面トップで抜かれて、当然デスクにはカンカンに怒られました。僕も腹いせといってはなんですが、磯田さんからマツダをどう持っていくかという遠大な構想は聞いていたので、嫌味な囲み記事を書いて、そこに磯田さんの写真を使ってキャプションに「東洋工業の影の社長」と入れたんです。実際、影の社長だったんですから。

ただし、磯田さんはそれがいたく気に入らなかったらしくて、記事が出た翌日の夜中の2時頃、僕の家にグデングデンに酔っぱらって電話をしてきたのです。「お前は馬鹿だ、クビにしてやる」とまで言うから、僕も「天下の住銀の役員さんがそんなこと言っちゃダメだよ」と言い返しました。

後に住友銀行の頭取になられる当時常務の巽外夫(たつみ・そとお)さんとも、しょっちゅう会って情報交換をしていました。磯田さんとの電話の1週間後くらいに会った時、「佐藤さん、磯田があなたのことを電話で怒鳴りとばしたそうですが、なんであの人が怒ったか、理由がわかりますか?」というので、「東洋工業の影の社長と書いたのがお気に召さなかったようです」というと、「その通りだ」と言われました。

僕が書いた新聞記事を見て、当時の頭取、伊部恭之助さんが「こういう案もあるんだ」と呟いたらしく、それが磯田さんの耳にも入った。というのも、本人はいずれ住友銀行の頭取になるつもりですから、将来東洋工業の社長に出されたらたまったもんじゃない。それで僕に八つ当たりしたのが真相じゃないかなと思っています。

実際、そういう事例はあるんですね。興銀に名頭取で中山素平さんという方がいたんですけれども、その下に大原栄一さんという常務がいました。中山さんが「財界の鞍馬天狗」、大原さんが「小天狗」と言われていたんです。

それで、日産と興銀が富士重工を傘下に収めた時、大原さんを富士重工に出したんですね。大原さんは 1~2年で帰ってきて将来は興銀の頭取になるんだと思っていたら、それが一生の片道切符になってしまった。これは銀行や自動車業界の皆が知っている話ですが、磯田さんは大原さんの二の舞いになるのを恐れたのではないかと思います。

それから20年後、経団連のパーティーで磯田さんとばったり会って、向うもさすがに頭を下げなかったけれども覚えていて、こちらが「お元気ですか?」と言うと、「昔は君にも失礼をしたね」などと言っていました。

東洋工業の取材を1年間やって、結局は抜かれてしまったということですが、上司からそれだけやれと命令されても磯田さんと会う時間は限られていたので、その間にトヨタの花井正八さん、伊藤忠の瀬島龍三さん、広島生まれで新日本製鐵名誉会長、日本商工会議所会頭の永野重雄さんなどと知り合うことができ、結果としては人脈づくりに大いに役立ちました。

後に僕がトヨタに深く食い込むことができたのは、磯田さん頼まれてトヨタに提携の打診をしたのがきっかけです。

石油ショックの前、トヨタはロータリーエンジンをマツダから購入してクラウンに乗せるという交渉をやっていたのです。ところが石油ショックが起きて、「ロータリーエンジンは石油をがぶ飲みする」という評価が立ってしまい、中断になっていた。磯田さんの提案というのは、要するにそれが再開できないかということで、事実上の支援要請でした。僕はトヨタの花井正八さんにこの話を持っていき、それを花井さんが真剣に検討してくれて、それ以降仲が良くなったわけです。
花井さんという人は、僕と会う時、広報の人を絶対に立ち会わせなかった。なぜかというと、広報の人がいると役員のお目付け役になってしまうからです。聞く方は何でも聞きけますが、答える方は答えにくい。従って広報の人を同席させないのが花井さんの方針でした。もちろん花井さんには花井さんで狙いがあって、僕から他社の動向を探りたいというのがあったわけです。

後にトヨタ自工と自販の合併話があった時、花井さんは会長で、合併後の新会社の役員人事の案を練っていました。そして合併後の新会社の役員に絶対したくないという人に、後に社長、会長になる奥田さんが入っていた。花井さんは奥田さんのことを「駄目だ、この男は」と言うのです。「なぜですか」と聞くと、「フィリピンから東京へ帰ってきてもマージャンとゴルフばかりしていて、遊んでばっかりじゃないか」ということを言うのです。

僕はその前からちょっと奥田さんを知っていたので、「花井さん、それは違う」と言いました。もちうろん花井さんは花井さんで独自に情報を集めてさせているわけですが、「花井さんの情報は間違っているんじゃないですか、花井さんは奥田さんにまだ会ったことはないでしょう、直接会ってみたらいいですよ。会ってみてだめだったら役員にしなくてもいいじゃないですか」ということを言ったのです。そして実際に会ってみたら、花井さんは「自分の情報が間違っていた、あいつはたいした男だ」と言い出して、それで豊田英二さんにも会ってもらったのです。

花井さんと豊田英二さんの二人の協議で、奥田さんには役員就任直後から帝王学を学ばせることになりました。元々奥田さんは経理屋で数字にはむちゃくちゃ強いが、経理部長と大喧嘩してフィリピンに飛ばされたという経緯があるんですが、その彼に帝王学を学ばせようということで、国内販売から海外事業、購買、商品企画まで、すべてを見させていった。僕の知っている限り、トヨタで帝王学を学んだ奥田さんだけだろうと思います。

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