- 2020年12月21日 11:32
【新型コロナ】「感染症に弱い社会」に向かう日本 感染者バッシングは検査拒否生むだけ

「もし陽性だったら・・・」発熱でも検査拒否の背景にあるもの
新型コロナウイルス第三波は収束の見通しがたたないまま、師走を迎えた。このところ、活発になっているのは検査拒否者に対する罰則論だ。東京都議会の最大会派「都民ファーストの会」が、発表したPCR検査拒否者に対する罰則を新設する条例改正案が物議をかもしたことは記憶に新しい。
確かに医療関係者の取材をしていると、咳や発熱といった症状が出ていても、PCR検査を拒む人々がいると聞いたことがある。背景は一様ではないが、例えば仮に陽性だったとしたら会社にバレてしまい、もしかしたら居場所がなくなるかもしれないとか、内定を取り消されるかもしれないといった「恐れ」が、検査拒否の動機になっているという。
こうした人々がいる以上、一見すると、罰則を強化したほうが「感染症に対して強い社会」に思える。しかし、本当にそうだろうか。ただでさえ、日本社会は感染した患者を「悪」として扱う風潮が強かった。
夏の第二波に起きた「夜の街」バッシングはその典型だし、第一派で横行した「自粛警察」も基本的には感染を広げる—と彼らが勝手に判断したもの—を「悪」とみなすことで、自身の行為を正当化していた。バッシング、自粛警察、処罰論……。これらは共通の心情がある。
「パチンコじゃなくて、病院に行けよ」 自粛警察動画アップした若者
私は今夏に「自粛警察」として、ネット上に動画をアップし続けた20代の若者を取材した。彼はどこにでもいる真面目な社会人で、都内の会社に勤務していた。少し変わった経歴としては、自衛官の経験があったことだろうか。いずれにせよ、「元自衛官」という言葉から想像できるような礼儀正しさで私に接してくれた。
感染症対策にもやたらと気を配っていた。
「首からかけるだけでウイルスをブロックする」という触れ込みの商品を首からかけて「効果があるかはわからないですし、たぶん効果もないし、気休めみたいなものかもしれないけど、不安ですからね」と言った。
マスクもしっかりしており、私から「距離も取りますから、取材時には外してもらっていいですよ」と呼びかけるまで絶対に外さなかった。夏の電車内で、咳をしている人がいれば徹底的に距離を取り、手洗いは政府や専門家が推奨する「ハッピバースデートゥーユーを二回歌いおわる程度の時間」しっかりとやり、家に帰ったら服に除菌スプレーをかける。政府の要請を徹底的に守り、外食も自粛し、呼びかけた通りに多くの時間は家にいた。
その規範意識の高さと彼の動画にはギャップがあった。
「病気です、病人です。あのおばさんを見てください。病院に行けよ。家に帰れ、この野郎。小池都知事の言うこと聞けよ、ババア。みんな、外出自粛してるんだよ。パチンコじゃなくて、病院に行けよ」
彼は、緊急事態宣言下にあって、パチンコ店に集う客を写し、執拗に罵声を浴びせ続けた。誰に頼まれたわけでもないのに自粛を求め、開いている店舗に押しかけ私的制裁を加える「自粛警察」のイメージそのものである。
私がさらに興味を惹かれたのは、彼と政治的なイデオロギーとの関係が極端に薄いことだった。元自衛官ということもあり、自認する通り、彼の国家観は右派そのものだ。右派そのものなのだが、ネット上でよく見かけるネトウヨの論理とはまったく違っていた。
ネトウヨは、パチンコ業界に在日コリアンたちが多いことをベースにして、自身の行動を「正当化」する論理を導く。彼にはそのような発想はない。パチンコ店をターゲットに選んだのも、「たまたまメディアで見かけ、たまたま現在住んでいるエリアの近くに開いているパチンコ店があったから」に尽きる。
彼を駆り立てるのは、「社会の不条理を放置したくない」「けしからん、ズルをしている人たちを許せない」という感情以外にない。メディアが行動にお墨付きを与えていたと言ってもいい。
「皆さん開いているパチンコ店を取材して、お客さんの声を流しますよね。その中で『パチンコ打ったっていいじゃないか』と開き直ったような態度をとる客がいました。周囲の住民が恐怖を感じていたり、世間が自粛をしていたりするなか、そのような態度はどうしても許せない。ならば毒を以て毒を制すではないですが、客に抗議をしかけてやろうと思ったのです。抗議を歓迎してくれた住民もいます」
パチンコ店は、客が前を向いて打ち、かつ会話も少ない。マスクの着用などの対策をとればさらにリスクが下がる。このようなファクトよりも、彼は「けしからん」を重視する。この心情は都民ファースト的な処罰案を出す人々とつながっているのではないか。
処罰感情満たしても行き着くのは「感染症に弱い社会」
心情をもう少し具体的に描写するとこうなる。効果的な対策よりも処罰感情を満たしたいーー。検査拒否処罰を支持する人々は、今後も定期的に現れるだろう。さらに感染が拡大すれば、何がなんでも検査を、という声も高まるだろう。
彼のように「けしからん」に突き動かされる人たちは、政府や専門家が求めていきた公衆衛生的に「正しいこと」を極めて真面目に実践しており、恐怖心も持っている。
怖いものは拒みたい、自分たちがしっかり対策して感染を避けているのに、感染するなんて遊び呆けているか、気が緩んでいるのではないか。そう思っている人々は決して少なくない。これが、雇用への悪影響や周囲の空気を怖れ検査を拒否する人が生まれてしまう背景にないか。
問うべきは、処罰さえすれば、あるいは強いバッシングですっきりすることが感染拡大防止につながるかだ。第二波の最中、専門家の中にも、新宿・歌舞伎町など「夜の街」を封鎖せよという声は確かにあった。封鎖を食い止めたのは、歌舞伎町を封鎖したとしても、ホストは職を求めて、別の街を転々とし、結果的に感染が広がってしまうという当事者たち、そして現場の現実を知った専門家の声だった。
そして、新宿では行政とホストクラブなどが手を取り、積極的な検査を奨励する仕組みを作り上げたことで、感染制御に持っていった。第三波の真っ只中だが、関係者に取材をすると今、歌舞伎町では夏のような流行は起きていないという。
この事実から、感染症に強い街を作る鍵は、検査を受ける動機を高めるための「信頼」であったことがわかる。検査を奨励し、たとえ陽性だったとしても、ホストクラブの経営者たちは「ちゃんと休んでまた戻ってきな」と言えた。これが強さにつながったのではないか、と。
感染者差別を促すような「処罰」や、「検査をしても周囲にバレたら怖い」という気持ちになってしまう社会は感染症に弱い社会だ。医療従事者への差別的な感情や、感染者バッシングが横行する社会も感染症には弱い。
安心して検査が受けられる社会は、感染症に強い社会の条件だ。第三波のなかで、感染症に強い社会とは何か。今一度考えるべき論点ではないだろうか。