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「私はお金で動く女」「たるんでる私を殴って」東京五輪代表内定した元OL女子陸上選手の痛快すぎるプロ根性

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12月4日の日本選手権で新谷仁美(32)が陸上女子10000mで日本記録を28秒も上回る好タイムで優勝し、東京五輪代表に内定した。スポーツライターの酒井政人氏は「20代半ばで一度現役を辞め、3年半のOL生活を経て復帰したユニークなキャリア。『私はお金で動く、OLより陸上のほうが手っとり早く稼げる』と公言する痛快なキャラが人気です」という——。

女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)
女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)=2020年12月4日、大阪・ヤンマースタジアム長居 - 写真=時事通信フォト

東京五輪代表内定した「元OL」女子陸上選手・新谷仁美のプロ根性

新谷仁美(積水化学)の走りは、本当に神がかっていた。

12月4日に行われた陸上長距離の日本選手権、女子10000m。3000m付近で抜け出すと、5000mを15分07秒で通過する。後半は独走して、日本記録より何と28秒も速く30分20秒44でゴールに飛び込んだのだ。一山麻緒(ワコール)を除く19人を周回遅れにする圧倒的な走りで、東京五輪代表の内定をゲットした。

新谷の自己ベストは“引退レース”となった2013年モスクワ世界選手権でマークした30分56秒70。25歳のときに打ち立てた記録だ。それを約3年半のブランクを経て復帰して、32歳で大幅に更新したことになる。2019年2月に取材したとき新谷はこう話していた。

「周囲がモスクワ世界選手権の頃と(ブランクを経て復帰した今を)比べるのは普通のことですし、自分も5年半前の自分を意識しています。25歳の自分が亡霊みたいで邪魔だなと思う。だからこそ、25歳の私を超えて、過去の自分に決着をつけたいんです」

日本選手権はゴールした直後、新谷は珍しく両手を上げて喜びを表現した。その後のインタビューでも、「コロナ禍のなかでもたくさんの人たちが応援に駆けつけてくれたことが大きな力になりました。先頭を走っていたときは、アスリートとしてパフォーマーとして、この応援に応えたいという気持ちでした。現役復帰したときに、日本記録を更新しなければ世界と戦えないと思っていた。更新できて良かったです」と笑顔を浮かべた。

「OLより陸上のほうが手っとり早く稼げる」

新谷は包み隠すことのない“コメント”がいつも話題になる。

3年半に及ぶエクセルなど慣れないオフィスワークのOL生活を経て、プロランナーとして復帰を決めたときも、その理由をこう答えている。

「正直、もう一度走りたい、という欲はありませんでした。でもOLでお金をためるよりも陸上のほうが手っとり早く稼げると思ったんです(笑)」

新谷は報道陣に対して、リップサービスをしてくれるタイプ。その大胆な発言は注目を浴びることが多い。ときには誤解を与えることもあるかもしれないが、新谷はきれいごとではなく、本音で語っている。だからこそ、その言葉は力強く、多くの人を惹きつけているのだろう。

「無名ルーキーがいきなり区間賞」高校時代から“パフォーマー”

筆者は新谷が高校生(岡山県の興譲館高校)のときから取材してきた。初めて直接取材したのは彼女が高校1年の全国高校女子駅伝(2003年)だ。全国的には無名のルーキーが最長区間の1区でいきなり区間賞を獲得。「あいつは誰だ」。突然の怪物登場に、駅伝関係者は大いにザワついた。

当時の新谷は走ることを楽しんでいるように見えた。自分の才能に気づき、それを必死で磨こうとしていたように思う。同時にチームメイトと“青春時代”を過ごしていたようにも感じた。そして、全国高校女子駅伝では1区で3年連続区間賞の金字塔を達成。3年時には1区で区間新を叩き出して、チームを初優勝に導いている。

女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)
女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)=2020年12月4日、大阪・ヤンマースタジアム長居 - 写真=時事通信フォト

「たるんでいるので、私を殴って」「走るのが仕事ですから」

その後、興譲館高へ取材に行った際、驚くべきエピソードを耳にした。全国高校女子駅伝の直前、新谷が森政芳寿監督に向かって、「たるんでいるので、私を殴ってください」と訴えたというのだ。

ちなみに森政監督は当時40代後半。薄い色のサングラスをかけた丸刈りの強面教師だ。男の筆者でも絶対に言えないことを17歳の少女は口にした。当時から責任感は強かった。

高卒後は、豊田自動織機に所属して、佐倉アスリート倶楽部の小出義雄監督の指導を受けるようになる。彼女が高校卒業直後の3月下旬、千葉県・佐倉まで取材に行った。それは冷たい雨が降る日だった。コーチが運転する車に乗せてもらい、新谷の練習を後ろから追いかけた。

当時、新谷はシドニー五輪の女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子に強烈な憧れを抱いており、小出監督に「私はマラソンをやりにきたんです!」と詰め寄るほどの“情熱”がほとばしっていた。

「将来は私を見て、夢や希望を持ってくださるような、笑顔が似合うマラソンランナーになりたいです」

こう話していた新谷は、当時から「走るのが仕事ですから」とも言い切っていた。

ロードで距離走を行った新谷の姿を見て、小出監督が絶賛していたのをよく覚えている。当時67歳だった名将は「将来的にはマラソンで2時間15~16分で走らせたいね」と大きな期待を寄せていたほどだ。

新谷は社会人1年目の2007年2月、記念すべき第1回の東京マラソンに出場。2時間31分01秒で制して、絶好の“マラソンデビュー”を果たす。18歳でのマラソン挑戦は非常に珍しく、驚かされた。

名伯楽・小出監督とは何度も衝突し、「孤高のランナー」と呼ばれた

当時の新谷はトラックで戦うのではなく、「はやくマラソンで結果を残したい」「高橋尚子さんに少しでも近づきたい」という気持ちがすごく強かったように思う。

準備運動をするアスリート
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/scyther5

しかし、新谷はマラソンで思うような結果を残すことができなかった。2008年8月の北海道マラソンは2時間32分19秒の2位、2009年3月の名古屋国際女子マラソンは2時間30分58秒の8位。終盤での失速がトラウマになったのか、その後はトラック種目に注力することになる。

そして小出監督とは何度も衝突したという。いつしか、新谷は「孤高のランナー」と呼ばれる存在になっていた。

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