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“柔道漫画”だった『ドカベン』、偉大すぎた『あぶさん』…「リアルすぎた」水島漫画が「ファンタジー」になったワケ - 広尾 晃

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「野球漫画」というジャンルを確立し、その第一人者となった水島新司の引退は「野球離れ」に歯止めがかからない現代を象徴する出来事の一つだと思う。

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2018年に完結した「ドカベン」 ©時事通信社

「そういうレベル」だった水島新司以前の野球漫画

 筆者は1968年に始まったアニメ「巨人の星」で野球にハマった。「少年マガジン」の連載も読むようになった。花形満が大リーグボール1号を打つために、巨大な鉄球を鉄のバットで打つシーンが夢に出てきてうなされたことを覚えている。漫画の中で巨人、川上哲治監督のユニフォームのお尻が膨らんでいるのを見て、買ってもらったばかりのユニフォームのパンツのポケットにいっぱいハンカチを詰め込んだりもした。

 しかし実際に野球を始めると「巨人の星」に対する疑念をぽつぽつと抱くようになった。

 まずフォームの問題。「巨人の星」の星飛雄馬は、ボールが指先から離れるときに大きく足を踏み出して「くの字」に近い形になっている。しかし実際の投球ではリリースの瞬間には、下半身は指先よりもずっと後ろにあるはずだ。

 また、ボールをリリースする瞬間には、投げるほうの手の親指は内側にひねられて下を向いているはずだが、星飛雄馬の左腕の親指は外向きで上を向いている。こうなるのはアンダースローだけのはずだが…。

 漫画に出てくる甲子園や後楽園の球場の風景も実際とは異なっている。「巨人の星」は、本当に野球を知っている人が描いているのか?

 実は原作の梶原一騎も、作画の川崎のぼるも、野球の経験は全くなかった。連載当初は現場に取材することもなく、机上で「野球」を描いていたのだ。

 そのころまでの野球漫画は、ほとんどがそういうレベルだった。

水島漫画が切り開いた地平

 前置きが長くなったが、水島新司だけはそうではなかった。

 水島の最初の本格的な野球漫画は1969年に「少年キング」に連載された「エースの条件」だ。原作は「どてらい男」などで知られる花登筐。水島は30歳だがこの時点でキャリア11年になる手練れの漫画家で、作画も達者だ。何より野球選手の投げる、打つ、守るの動きがリアルで躍動感があった。水島は中学を出て行商をした苦労人だが、新潟明訓高校野球部の大ファンで、野球への憧憬を抱き続けた。それが漫画にも滲み出ていた。

 しかし、水島の漫画がすぐに注目されたわけではない。「エースの条件」の続編の「アパッチ野球軍」はテレビアニメになったが、漫画担当は水島ではなく梅本さちおに代わっていた。

 しかし「巨人の星」が爆発的な人気となり、「スポーツ根性もの」というアニメ、ドラマのジャンルができあがっていく中で、水島は「競技そのものの魅力」に迫る漫画を続々と描き、次第に注目されるようになっていった。

「野球を通して人間を描く」

「男どアホウ甲子園」「一球さん」「野球狂の詩」「球道くん」。

 手元にある単行本を見ていくと「画がどんどんうまく、深くなっている」という印象を受ける。

 水島新司の描くグローブからは、皮革の匂いが漂ってきた。ウエブのしなり、皮ひもを通したグローブのたわみ、厚み、ミットの重量感。他の野球漫画のグローブが丸描いて線引いてスクリーントーンを貼って一丁上がりの中で、リアルさが違った。

 水島描くエースは、手首をぱしっと返して捕手からの返球を受けるのだ。その小さな動作からその投手の運動神経の良さや、負けん気の強さなども漂ってくる。

「野球を通して人間を描く」という水島ならではの手法を、このころに確立したのだろう。

実は“柔道漫画”だった「ドカベン」

 代表作となった「ドカベン」は、意外なことに柔道漫画としてスタートしている。当時、水島描く野球漫画が各漫画誌に乱立していたからだという。野球のシーンは連載当初から出てくるが、1年以上、柔道部が舞台だった。

 野球部に舞台が代わってから主人公の山田太郎や岩鬼正美、殿馬一人らキャラの立った登場人物が縦横に暴れまくるのだ。

「ドカベン」の奇想天外なストーリーが多くの野球ファンに支持されたのは、球場、道具立て、野球選手のアクションなどが極めてリアルに描かれていることが大きかったと思う。リアルな舞台装置があってこそ、ど派手なドラマが成立したのだ。

巨人でも阪神でもなく南海だった「あぶさん」

 こうした流れの中で1973年、「ビッグコミックオリジナル」で「あぶさん」の連載が始まる。この漫画は、水島漫画でも一線を画するものだ。

 まず、青年コミック誌での連載だったこと。野球のリアルを表現する水島新司の漫画は、違いが分かる大人の読者の方がより適合していた。

 そして舞台は実在する南海。巨人でも阪神でもなく、パ・リーグの、しかも落ち目の南海ホークス。のんべえで荒んだ生活をしていた主人公の「あぶさん」こと景浦安武は、この球団に入り通天閣の見える下町に住んで、居酒屋「大虎」の常連になり、人情の機微にふれるうちに円熟した魅力的な人間になっていくのだ。

 シーズン中、景浦安武は全国を転戦する。そしてオフになると、大阪の下町に帰ってくる。「旅に出て、家に帰り、再び旅に出る」この繰り返しは映画「男はつらいよ」シリーズと同じだ。

「寅さん」同様、季節ごと、年ごとに舞台が変わり、人間関係が変わる中で、さまざまなエピソードが紡ぎだされた。なかんずく1975年に掲載された「祝杯」は、日本漫画史に残る名作だろう。良質の日本映画を見た後のような清涼な読後感があった(単行本では第6巻所収)。

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