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週刊朝日による橋下市長の出自報道 差別と政治家のプライバシー、報道の自由を考える

週刊朝日による橋下徹大阪市長の出自報道問題で、前回、差別や偏見に対するメディアの役割を論じたが、今回は政治家のプライバシーと報道の自由という観点から私見を述べてみたい。

自分で自分に関する事柄を開示することを「カミングアウト」というのに対し、他者に関する事柄を本人の承諾を得ずに公表することを「アウティング」という。

橋下市長の場合、昨年、被差別部落出身であることをカミングアウトしているノンフィクション作家が月刊誌で、橋下市長の実父が被差別部落出身であるとアウティングした。

アウティングは明らかなプライバシー侵害である。

橋下市長はしかし、次期総選挙の結果を左右しかねない政党「日本維新の会」代表を務める公人である。私人と違って、「公共の利益」にかかわる場合、公人のプライバシーは制限される。

欧米諸国では「公共の利益」を口実としてメディアによる政治家の私生活暴きがエスカレートしているのが実情だ。

英国のウィリアム・ヘイグ外相にも性的指向をめぐってインターネット上で悪質な攻撃が行われたことがある。

ヘイグ氏はオックスフォード大学時代、政治一筋でガールフレンドがいなかった。政治家になってからも政策アドバイザーなど側近にゲイ(同性愛者)を何人か登用したことから、いつしか「ヘイグ氏もゲイではないか」というウワサがまことしやかに流れるようになった。

2010年の総選挙期間中、ヘイグ氏は選挙運動員の若い男性と再三にわたって同じ部屋に宿泊していたとのウワサがたった。外相に就任したヘイグ氏がこの男性を特別顧問として雇用したことから「不適切な関係」という告発が政治ブログなどインターネット上で一気に過熱した。

ヘイグ氏はこの男性と一緒に笑いながらカジュアルな服装で川岸の道を散歩する様子もフォーカスされていた。

ヘイグ外相はこのウワサを黙殺することもできた。

労働党ならゲイであることを公表している大物政治家も存在するが、保守党の政治家にとって、ゲイであることはいまだにタブーである。若いころゲイだったことが暴露され、政治生命を失った閣僚経験者もいる。

ヘイグ外相が取ったのは正面突破だった。

ヘイグ外相は声明で、選挙期間中、問題の男性と何回か同じ部屋に泊まっていたことを認めたものの、それ以上のものではなく、「私は男性と関係を持ったことはない」とゲイ疑惑を否定した。

さらに妻が何回も流産し、夫婦で深く悲しんでいることも明らかにした。男性は特別顧問を辞任した。

翌日、英外務省で行われたドイツ外相との共同記者会見では、堰を切ったように大手メディアの意地悪な質問がヘイグ外相に集中した。

それまで明確な「公共の利益」が見当たらないため、あからさまな追及を控えていた大手メディアがスキャンダル好きの本性をあらわしたのだ。

もし、声明にごまかしが一カ所でもあれば、ヘイグ外相は政治生命を失う。首相官邸もメディアに正面から挑むのをやめるようヘイグ外相を引きとめた。実際、ヘイグ外相が声明を出したことで騒動はネットだけにとどまらず世界的なニュースになってしまった。

ヘイグ外相は墓穴を掘ったというのがもっぱらの見方だった。

しかし、これを機にヘイグ外相に長年つきまとってきたゲイ疑惑は一掃された。

世論調査で、46%がヘイグ外相は「本当のことを言っている」と評価し、「ウソをついている」の12%を大きく上回った。「声明を出したのは正解」と回答したのは59%で、「誤り」は17%だった。ただ、「若い男性と同じ部屋に泊まったのは間違った判断」と答えたのは43%、「間違った判断ではない」は42%と拮抗した。

ヘイグ外相は妻と痛みを共有することで、政治家として有権者の信頼を勝ち取ったのだった。

政治家にも守られなければならないプライバシーがある。しかし、メディアによってそれが破られた場合、当事者の政治家がどう対応するのか、有権者はしっかりとみている。

週刊朝日の出自報道に対して、なりふり構わず家族を全力で守ろうとした橋下市長は父親としては「百点満点」。しかし、冷静さを失っているように見えたことや週刊朝日をたたいて日本維新の会の人気回復につなげようとしていると勘ぐられた点は、政治家としてマイナスだったのかもしれない。

政治家を描くために、生まれ育った環境を徹底的に調べて報道することはメディアに課せられた使命である。政治家の判断が国民の生命と安全を危険にさらすこともあり得るからだ。しかし、権力の使い方を誤った場合、メディアへの信頼は崩壊する。

政治家のプライバシーを暴く以前に、今回の週刊朝日の出自報道をどう受け止めているか、橋下市長の反応をどう思うのか、日本維新の会への支持率にどう影響したのか、日本維新の会の人気が急速に冷え込んだ理由は何なのか、詳細な世論調査は実施されないのだろうか。

日本では政治評論家が自分の経験に基づいていろいろな見方を示しているが、海外ならそんな作文はどんな根拠があってそういえるのかと追及されるのがオチである。英国では頻繁に行われる世論調査のデータがすべて公開されているので、もっと客観的な分析が可能になる。

そして最後に、私たちはもう一度、差別が社会に突きつける課題に思いを致すべきではないのだろうか。

ニホンザルの次郎(初代)とコンビを結成し、猿まわし芸を復活、次郎の「反省」ポーズで全国的な人気者になった村崎太郎さんの手記が「東京都人権啓発センター」のホームページに掲載されている。

猿まわしは被差別部落の人々が受け継いできた日本の伝統芸能で、被差別部落出身の村崎さんはどうしてもそれを隠して生きていくことができなくなった。

被差別部落出身であることを告白した村崎さんを待ち受けていたのは社会の無反応だった。村崎さんに出演依頼の声はかからなくなり、全国の寒村、ハンセン病療養所、児童養護施設などをめぐるうちに新しい生き方に目覚めたという。

アウティングではなく、カミングアウトを受け入れることができる社会を築いていこうという呼びかけは、今回も大手メディアからは聞かれなかったように思う。

メディアは「公人のプライバシーは制限される」というお題目を唱える前に、21世紀になってもタブーを社会に残してしまったことをまず自省すべきではないのだろうか。

執筆者の佐野眞一氏は「現在の未曾有の政治的停滞状況と言論の置かれた危機的状況を描きたいという筆者の真意が読者の皆様にお伝えできなかったことが残念」と記したが、皮肉にも自らの筆で「言論の置かれた危機的状況」を見事なまでに実演して見せたと思う。

島崎藤村の小説「破戒」では青年教師、瀬川丑松(うしまつ)が「隠せ」という父の戒めを破って出自を告白して、旅立つ姿が描かれている。個人レベルで戒めは解かれ始めているものの、村崎さんの手記によると、今も300万人の被差別部落出身者が出自を隠して生きているといわれている。

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