- 2020年12月09日 10:26
低迷を続けるパナソニックは「復活ソニー」と何が違うのか
1/2復活劇を支えたソニーの新たなコアビジネス創造

数年来の業績低迷に苦しむパナソニックですが、在任9年の津賀一宏社長が会長に退き楠見雄規常務が社長に昇格するトップ人事を発表しました。
同時に業務改革の迅速化を主な目的として、2022年4月1日付で持株会社に移行し社名をパナソニックホールディングスに改めることが発表されました。
同じ電気機器業界のライバルとして良いにつけ悪いにつけ比較されがちなソニーが、昨今長期低迷から脱しV字回復を果たしたのとは対照的な状況におかれている同社。
果たして新体制の下で、ソニーのような復活劇を見せられるのか。注目が集まるところではあります。
ライバル企業ソニーの復活劇を支えているのは、テレビをはじめとした祖業エレキ部門に代わる新時代対応のコアビジネス創造があります。
ひとつは電機関連における新たな柱事業となった画像センサー。もうひとつは、非電機におけるプレイステーションが絶好調なゲームビジネスと、多くのソフトを抱えるエンタメビジネス。ゲームビジネスやエンタメビジネスは、継続課金モデルで稼ぐことが可能である点が強みとなってもいます。
さらに、別会社でくくられてきた銀行、保険業務の金融ビジネスも好調です。そして、これらグループ事業間でさらなる相乗効果を生ませようと、2021年4月に金融ビジネスも子会社化して、傘下に入れ親会社ソニーをソニーグループに社名変更し、さらなる飛躍を目指しています。
負の遺産整理で周回遅れ状態のパナソニック
今回発表されたパナソニックの持株会社化は、一見するとこのソニーの動きを後追いした事業間相乗効果を生ませるためのものとも見えますが、実際には全く事情が異なっています。
1990年代後半から家電のデジタル化、ネットワーク化の進展により国内家電業界は激震に襲われ、パナソニックは創業者松下幸之助氏の時代から長らく企業文化としても根付いてきた事業部制を廃止し、事業の重複解消等によるコストダウンでの再生をはかる道を選びました。
この効果もあり一時期は業績回復を果たしたものの、2010年代に今度はプラズマディスプレイ事業化の見込み相違により大損失を計上します。

さらに円高不況とアジア勢の台頭が追い打ちをかける中、2012年社長に就任した津賀氏はカンパニー制導入によってお家芸の事業部制に戻し復活を期しました。
すなわち、事業の独立採算性を高めて赤字事業からの撤退をはかりつつ成長事業を育て、事業の「選択と集中」をすすめる目論見でした。
しかし、新たな主力事業にと目論んだ自動車関連ビジネスは赤字を脱せず、米テスラ社向けEV電池事業も前期まで先行きが見えぬまま。
結局、新カンパニー制下では赤字事業の「モグラたたき」から脱することができずに、「選択と集中」はお題目に終始します。
このような状況を受けた今回の持株会社化は、経営のバトンを楠見氏に渡すに際して「選択と集中」の徹底とスピードアップを託したものであるわけなのです。
いたって前向きな姿勢でグループ再編に取り組むソニーに対して、負の遺産を整理しつつ、いかにして前向きな一歩を踏み出すかという重たい課題を背負い、持株会社化に取り組むパナソニック。
2000~2010年代前半には同じように業績不振に苦しんでいたライバルから大きく離され、今や周回遅れとも言える状況になってしまったのはなぜなのでしょうか。
不振の原因はオリジナリティに欠ける企業文化か
ひとつには、似て非なる創業来の企業文化の違いがあります。発明ビジネスのソニーに対して、モノづくりビジネスのパナソニック。
トランジスタラジオ、ウォークマン、ハンディカム…、ソニーは常に世の中にない新しいものを生み出すことで成長の階段を上ってきたわけですが、パナソニックはあらゆる家電製品を自前主義の大量生産・大量販売で家庭に届ける、というビジネスモデルで成長してきました。
モノづくりビジネスと言えば聞こえはいいですが、「マネシタ電器」と揶揄されることもしばしばで、新しい発想やオリジナリティには欠ける企業文化でもあるのです。
変革の時代に、新しい発想やオリジナリティに欠ける企業は弱い。長引くパナソニック不振の原因は、そんな企業文化にあると言えそうです。
もうひとつソニーとの比較で気が付かされるのは、経営者の立ち位置の違いです。ソニーは創業者以降、三代目社長盛田昭夫氏の義弟岩間和夫氏が数年間社長を務めたことはありましたが(在任中に病死)、純然たる同族経営に陥ったことがありません。
もちろん人が統治する組織ですから、同族でなくとも一定の私物化や長期同一政権化による後継経営者への影響力が存在した時期もあります。
しかし、幸いなことに、約10年にわたって実権を揮い最もその傾向が強かった出井伸之氏が、後継にアメリカ人経営者ハワード・ストリンガー氏を指名したことで、後々同社の経営は人的弊害を免れることになります。
前任経営者への悪しき忖度が招いたプラズマテレビ撤退遅れが痛手に
ストリンガー氏がCEOを務めた2005年からの7年間は、ソニーにとって最も業績が低迷した「ドン底期」でした。ストリンガー氏は社外取締役であった故小林陽太郎氏の強い説得により、12年CEOを実質解任。翌年取締役からも外れ社外に去ります。
これにより後任平井一夫CEOは、会長という重石のない状態で指揮を執ることが可能になったのです。平井CEO時代にソニーが復活の糸口をつかめたのは、この環境が大きかったと言えます。
平井氏は自身の経験を踏まえたのでしょう、吉田憲一郎現CEOにトップを譲った後、会長職を1年で辞し、自身もまた経営の重石になることを避けました。
結果、ソニーは重石不在の吉田CEOの下で、2019年3月期には史上最高益を更新しコロナ禍にあってなお、今期は再び最高益を更新見通しの絶好調期を迎えているのです。

一方のパナソニックは、創業者松下幸之助の後を継いだ娘婿松下正治第二代社長の長期にわたる院政経営が悪しき企業文化を醸成し、その後脈々と続いた同社の派閥政治と人事抗争へとつながる根源となりました。
一般論ですが、派閥政治では前任に引き上げられたトップは院政をひく前任の仕事を否定するような策は取りにくく、そのために戦略上の制約を受けることになります。
実際、パナソニックにおいても、三代前の中村邦夫社長が社運をかけて手掛けたプラズマテレビ事業が明らかな失敗事業として大赤字を垂れ流しながらも、後任の大坪文雄社長は前社長である中村会長に忖度してこれを放置し、撤退を決めたのはさらに後任の津賀社長でした。
このプラズマ事業撤退決断の遅れこそがパナソニックの低迷長期化の根本原因であり、さらのその根底にある悪しき経営の院政体質こそが、同社の足を引っ張ってきたもう一つの大きな原因であると言えるのです。