
「結婚を認める」──11月30日に発表された誕生日会見で、秋篠宮皇嗣はそう口にした。
【写真】鎖骨が出るVネック、腰を締めたドレス姿の23歳の紀子さま。1989年、婚約会見。右手側に歯を見せる秋篠宮さま
〈結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です〉
眞子内親王が13日に示した小室圭氏との結婚への強い決意に“折れた”と取れる会見だった。宮内庁担当記者が言う。
「母・佳代さんと元婚約者の間に『400万円借金トラブル』が発覚してからの小室氏の対応は、秋篠宮夫妻の期待を裏切り続けるものでした。このままご結婚となれば、眞子さまのご苦労も想像される。“もう一度冷静に考えてほしい”という思いもあったのではないでしょうか。
ただ、皇嗣殿下も紀子さまとの長い恋愛期間を経て結ばれた経緯がある。自由に結婚相手を選ぼうとする娘に苦言を呈するのは憚られたのかもしれません」
振り返れば、秋篠宮皇嗣も結婚までの道のりは決して平坦とは言えなかった。
秋篠宮皇嗣(当時は礼宮)が紀子妃にプロポーズをしたのは1986年6月。2人が学習院大学在学中、20歳の時だった。しかし、婚約内定発表は1989年9月。実に3年以上の時間を要したのだ。
「1989年1月に昭和天皇が崩御されたのも婚約までに時間がかかった理由のひとつですが、もっと大きかったのは皇室で初めての“自由恋愛”だったこと。
紀子さまのお父様は学習院大学の教授で、川嶋家は構内にある3LDKの教職員住宅が住まいでした。当時、宮内庁関係者の間で“普通のお嬢さんで釣り合いが取れるのか”という声があったのも事実。まだ兄の浩宮さま(現・天皇)がご結婚されていなかったこともあり、懸念を示す声も多かった」(同前)
当時の週刊誌は、進まない縁談に思い悩む秋篠宮皇嗣について数多く報じている。
〈えっ、礼宮さまが「皇籍離脱」だって……〉(「週刊朝日」1989年4月21号)
〈礼宮さま「皇籍離脱発言」の陰の「恋人」〉(「FOCUS」1989年5月12日号)
〈礼宮さま、川嶋紀子さん 皇室離脱を賭けた恋!〉(「女性セブン」1989年9月14日号)
前出・宮内庁担当記者が言う。
「礼宮さまが“紀子さんと結婚できないなら皇室離脱する!”という主旨の発言をしたという情報が当時飛び交いました。
小室家ほどのトラブルは存在しなかったが、多くの障壁を乗り越えての結婚だったことは事実。自らの経験もあり、皇嗣殿下は眞子さまに“結婚を考え直したほうがいい”と強く説得することができなかったのかもしれません。また、眞子さまも“両親と私は何が違うのか”とご不満を感じられたかもしれない」
※週刊ポスト2020年12月18日号