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アスリートも「悪夢で目が覚める」 熊谷晋一郎さんに聞く、スポーツと能力主義 - 「スポーツぎらい」第5回 

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ある日、私はパラリンピック関連イベントの取材に来ていた。

地域の子どもたちの前で、パラアスリートが講演をするというもので、イベントの最初に、イギリスのテレビ局Channel 4が制作したリオ・パラリンピックのCMが流れた。軽快なジャズの音楽とともに、“Yes I can”と繰り返されるこの動画に、子どもたちの目は釘付けだった。


We're The Superhumans | Rio Paralympics 2016 Trailer

「みんなも、やればできる気持ちを忘れないでね」と動画の後に、司会の女性は明るく付け足した。

障害を克服して、「できる」ようになる様子を見ると、やはり胸が熱くなる。努力によって、できるようになることは、スポーツの醍醐味だと言える。

でもなんか「できる」って言いすぎじゃない? と思った。「できる」にこだわりすぎると、それはいつの間にか「できない」人への冷たく厳しい視線に変わってしまうのではないか。「できる」の連呼、すごく嫌な感じである。スポーツって、「できない」に優しくないところがあるよね。

このように違和感を持ちながら取材を終えたが、「障害を克服した選手を見て、できることに勇気をもらった、子どもたちは目を輝かせていました」というよくある定型の話から大きく逸脱することなく、記事を書き上げた。無念だ。

「できる」も大事だけど、「できない」も大事にするにはどうしたらいいのだろうか。

そのヒントを探るべく、東京大学先端研を訪れた。会議室に通され待っていると、黒色の電動車椅子にのった熊谷さんが、すすっとなめらかに登場した。

話を聞いた熊谷晋一郎さん

熊谷晋一郎さんは東京大学先端科学技術研究センター准教授で小児科医。1977年山口県生まれで、生後間もなく脳性まひによって手足が不自由になった。著書である『リハビリの夜』(医学書院)は、18歳になるまで毎日行っていた壮絶なリハビリについて書いた本だ。つまり「できない」に向き合ってきたプロだと言える。そして一人暮らしをする中で、自分の身体にぴったりの運動イメージを獲得してきたという。「できる」の楽しさも知っているはずだ。

そんな熊谷さんが、2016年から、オリンピック・パラリンピック選手らとともに、「スポーツと能力主義」についての研究会を立ち上げているという。これは話を聞くしかないだろう。

「関係のない世界」だったスポーツ

――熊谷さんとスポーツの関係を教えてください。

一言でいうと「関係のない世界」。例えば学校では、同級生たちと、絵を描いたり、話をしたりして楽しむことは出来ました。でも休み時間に校庭に出て散り散りになった瞬間に、自分とは関係のない世界になる。それが当たり前でした。

ただ、校庭で楽しまれてやり取りされたことが、クラスルームの人間関係の中で重要な文脈を形成するらしい。私にはあずかり知らないやり取りが行われていて、それを前提にコミュニケーションが回っている感じがありました。

一方、道徳的な文脈で、「熊谷にもスポーツをやらせてあげるべきだ」と考える教師がいると、地獄でしたね(笑)。水泳の時、私はギリギリ浮かぶことはできるのですが、泳げるわけではありません。でも熊谷君に頑張ってもらおうという雰囲気が出来上がってしまい、25Mのプールを端から端まで泳ぐことになった。

でも浮かぶことしかできないので、風と波に任せて、祈るしかない。その間に、水をゴボゴボと飲む。何十分もかかるから、トイレにもいきたくなる。そういう時に同級生たちが「熊谷君、頑張って!」みたいな応援を、教員の動員のもとでするんですよ。状況的に引けなくなっていって……

――つらいですね。

ここでスポーツは嫌だなという経験を植えつけられたかなと。あとは運動会の時も所在ないですよね。誰かにおぶってもらって徒競走もしました。どう解釈していいのかよくわからなかったです(笑)。

「悪夢で目が覚める」アスリートを苦しめる能力主義

――熊谷さんはオリンピック・パラリンピック選手の方たちと、スポーツについての研究会を立ち上げられましたよね? どういう意図があったのでしょうか?

時系列に沿ってお話すると、まず、やまゆり園の事件※がありました。そこで「優生思想」が非常に差し迫った問題になってきた。

※相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件。

優生思想を簡単にいうと、特定のモノサシで人の能力を測った上で、その能力の高さと命の価値を関連付ける思想です。モノサシの種類は、任意で決められたもの。そうした優生思想に社会が近づかないために、どうしたらいいのか考えるようになっていました。

そんな時に、共通の知人を介して、バスケットボールの元オリンピック選手である小磯典子さんとお話をする機会を得ました。すると、能力と価値を結びつける優生思想につながるような「能力主義」が、トップアスリートと呼ばれる人をも苦しめているといることが分かりました。

それまで、スポーツ選手は自分とはかけ離れた世界の人たちで、能力主義的な課題には縁のない人なのだと私は勝手に思い描いていました。しかしトップレベルの人たちも、能力主義に追いつめられ、自分の身体を酷使したり、感情を抑圧しているのだといいます。

引退後も、日常生活に着地する難しさがあるようです。小磯選手は引退後の生活を、「戦争が終わったにも関わらず、後遺症に苦しむ軍人のよう」と表現されていました。医学用語ではPTSDと言ってもいいかもしれません。悪夢で目が覚める。筋肉を動かさないと、いてもたってもいられなくなる。子どものワガママに苛立ちを感じる。くつろぐことができないと。

小磯さんの場合は、サポートしているトレーナーから「もうオリンピックは終わったんだよ」と言われて、はっと目が覚めたようです。これも根深い問題だと思いました。

――実はスポーツ選手も同様に能力主義に苦しめられてきたと。

ええ、そしてスポーツの知見から、障害問題の研究や実践にとっての大きなヒントを得られるかもしれないと考えるようになりました。というのも、障害にまつわるこれまでの研究や実践には大きく分けると二つのテーマがあるのですが、両方のテーマを連立方程式として解くヒントが、スポーツのまつわる実践や研究の中にあるのではないか。

――二つのテーマ?

まず、先ほどからお話している、反優生思想です。能力と価値は無関係であるということを前提にした社会を実現するにはどうしたらよいかというテーマがある。

次に、社会がしっかりと整備されれば、潜在能力は開花するし、開花させるべきだというテーマ。多数派向けの社会によって、障害を持つ人の潜在能力が、その発揮を妨げられているのはアンフェアであろうと。ノーベル賞の経済学者・アマルティア・センがいう「潜在能力アプローチ」(ケイパビリティ・アプローチ)や、SDGsなどもこの考えで、広く受けいれられています。

潜在能力アプローチを提唱したアマルティア・セン Getty Images

しかしそれはどこか能力主義的ですよね。能力を高めることが良いことだという前提があります。バリアを取り除くことは大切ですし、実際に能力の発揮を妨げられている部分もある。ただ能力主義の枠の中の話であると自覚する必要はあると思います。優生思想に対する切れ味は悪い。

この二つは、障害者をめぐる取り組みの中で、両輪として存在してきました。時代によってバランスがあり、今はどちらかというと後者に力点が置かれ、前者がトーンダウンしている。また、両陣営がバラバラなところもあり、お互いにあまり関心を持たない。そこに不満を感じていました。

もしかすると、スポーツの世界には、2つのテーマの棲み分けとは違う、第三の道があるのではないか。二つの対立の連立方程式を解くような、ヒントがあるのではないかと考えています。

例えば、競技スポーツにおいては、能力主義からは降りられませんね。だけど、身体やメンタルがボロボロになるのは避けなければいけない。バランスとしては能力発揮の面にだいぶ偏っているとは思うのですが、両方から降りられない条件の中で、経験や考えを深めてきた人がいるのではないかと。

「引退」がアスリートのトラウマ的体験に

――障害分野には「できたほうがいい」「できなくてもいい」の両輪があると。両方大事にするにはどうしたらいいのでしょうか。スポーツから具体的にどのようなヒントが得られそうですか?

例えば、スポーツ心理学の分野では、単一次元的人物(ユニディメンジョン・パーソン)という言葉があるということを、同じ研究会の、田中ウルヴェ京さんが教えてくださいました。「私の人生にはスポーツしかない」と考えて、それだけになってしまうと、現役引退後に心理的クライシスを起こしやすい。スポーツ以外にも価値を見出せるような人生設計を、子どものころから意識する必要があるという知見があります。

またスポーツ選手には必ず引退が来ます。これはある種のトラウマ的な体験です。私は「トラウマ」という言葉を広い意味で使っており、「物語のチャプターの変わりづらさ」くらいの意味で、今、用いています。自分の人生をひとつの物語だとすると、順調にペンを書き進めているうちはいいんですが、想定シナリオの範囲を超えた出来事が起きたときに、次の展開が思いつかなくてペンが止まる。

私たちは、未来をうすぼんやりと予想しながら、自分史を書き進めている、ある種のライターなのですが、あまりに想定外のことが起こると、どう生きていったらいいのか分からなくなります。ペンが止まると、時間も止まる。今日のこのインタビューでは、そうした状況のことを「トラウマ」と広くとらえます。

アスリートの方で、特にユニディメンジョンパーソナリティが強いと、スポーツを主題とした自分史だけを書き進めてしまいます。しかし、現役の引退はきれいには過ごせないものです。突然ケガをするかもしれないし、もっとチャレンジしたかったけど年齢が理由で断念せざるを得ないかもしれない。いろんな理由で物語が絶たれる。それは今日の定義だと、まさにトラウマです。このトラウマから、どう次の章を書き進めていくのか。これがセカンドキャリアの問題です。

Getty Images

この点は、トラウマへの洞察が深い、依存症の自助グループとの共通点が多くあると感じています。実際に先行研究では、現役引退のトラウマを癒そうとして、引退後に万引きをしたり、薬物依存になる選手も少なからずいらっしゃいます。少年院にもスポーツで挫折した少年少女がいるとききます。トラウマとしての引退をどう生き抜いていくのか。依存症の現場とアスリートの現場が相互に学び合うことができるのではないか。

――薬物依存の女性たちの回復を書いた『その後の不自由』(上岡陽江+大嶋栄子、医学書院)という本がありますが、まさにスポーツ選手にも「その後」の問題があると。

スポーツがトラウマを引き起こすだけではありません。そもそも先立つ別のトラウマに対する自己対処法としてスポーツを始めた人も多いことも見えてきました。家に居場所が無くて、スポーツに激しく打ち込んできた。そんな方が引退をすると、スポーツで蓋をし、先送りにしてきたトラウマが一挙に押し寄せてくる。

パラスポーツにもトラウマの問題があります。もともとスポーツ選手をしていたけれど、事故や病気で障害を持ちパラスポーツに転向する人も当然いらっしゃいます。アメリカに視察に行ったことがあるのですが、傷痍軍人のセカンドキャリアとして、アスリートになった方へのサポートが充実していることに驚きました。当然ですが、彼らはかなりの割合でPTSDをもっています。

トラウマへの配慮は、パラスポーツ支援の前提に置かれており、現役引退後にどのようなセカンドキャリアがあり得るのかについても、繊細なサポートがされている。軍人というバックグラウンドがあるので、潤沢な資金など、そのまま真似をすることはできないしすべきではない部分もありますが、少なくとも、アスリートの長いスパンの物語を意識した支援をしている。だいぶ進んでいるなと思いました。

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