記事

GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは 『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』より #1 - 細田 昌志

1/2

 自身が有名になるにつれ、糟糠の妻――つまり、若い時から貧苦を分かち合い、共に老いた妻――を捨て、新しいパートナーとの人生を再スタートさせる芸能人は数知れない。それが報じられる度に世間からは批判の声が上がるが、糟糠の妻と別れるのは、彼らがただ薄情だったり、地位に奢ったりしたからなのだろうか。

【写真】この記事の写真を見る(5枚)

 ここでは著名人の別れの背景にある事情、本当の思いを読み解いた細田昌志氏による著書『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』より、GLAYのTERUの離婚劇を引用、紹介する。

◇◇◇

インディーズ時代から応援し続けていた妻

 一歳年下という最初の妻はもともと、インディーズ時代のGLAYのファンだった。

「彼女とはデビュー(’94年)する3年前に知り合いました。俺たちが函館の高校を卒業してすぐ東京に出てきて、まだお客さんが10人に満たないような環境でライブをやっていた頃から見にきてくれていた人です。(中略)デビュー前は、仕事とバンド活動の両立にもすごく不安だったし、挫折しそうになったこともあります。彼女はそういうとき、いつも身近にいて支えてくれた」(『FRIDAY』1997年4月4日号)

〈 TERUくんは当時から、付き合っていた恋人と一緒に住んでいたようだ。2人の生活のため厳しいハツリ屋という仕事を続け、バンド活動もしていた。

 (中略)

 私はこのとき、初めてTERUくんの恋人の存在を知った。そして彼女のことを、

 「なるほど、やっぱりTERUくんが好きになるだけの女性だわ」

 と感心した。(『私の中のGLAY』清水由貴著/コアハウス刊)〉

 1993年、TERUはその女性と結婚。翌年一児をもうけている。メジャーデビュー前とはいえ、この頃にはライブハウスにかなりの観客を動員していたGLAYだが、

「この子のためにもっと売れたい。もっと稼ぎたい」

 と、この時期のTERUがそう誓っただろうことは容易に察しがつく。それは彼に限らず、雌伏の時代に妻子を抱えた誰もが抱く、共通する決意のはずだからだ。


©iStock.com

 そして――、その決意に応えるように、突如として運が開けていくのが面白い。

96年に3rdアルバムが初ミリオン

 結婚したのと同じ年の1993年、X JAPANのYOSHIKIの目に留まり、GLAYはYOSHIKIが設立したエクスタシーレコードと専属契約を結ぶ。翌年その傘下のレーベル、プラチナムレコードの所属第一号アーティストとして、YOSHIKIプロデュース『RAIN』でメジャーデビューをはたす。ここからGLAYの音楽活動は順調に動き始める。

 2ndシングル『真夏の扉』をリリース。初の全国ツアーも成功。3rdシングル『彼女の“Modern…”』をリリース。この作品から、かつてBO?WYやTHE BLUE HEARTSを手掛けた音楽プロデューサー、佐久間正英との共同制作がスタートする。年末に三大都市ツアーを成功。佐久間のGLAY評は、彼らの行く末を見事に暗示している。

「GLAYは、自分たちのやりたい音楽をやっているごく普通のバンドです。やっていく中で、新しいことや今までできなかったことに挑戦している。やりたいことを曲げてまで売れたいとは考えていないんじゃないですか。コンピュータ的な曲よりも、素朴で生身なモノが求められている今の時代に、彼らの音楽やスタイルがピッタリ合っただけ(『GLAY Perfect File 完全白書』Team GLAY 編/千早書房刊)

一気に国民的バンドにまでのぼりつめる

 1995年、1stアルバム『SPEED POP』をリリースし、オリコン8位にランクイン。次いで、6thシングル『Yes, Summerdays』が「カメリアダイアモンド」のCMタイアップ曲となる。この時期ともなると、ライブのチケットはプラチナ化している。

 そして、運命の1996年を迎える。

「ヴィクトリア」のCMタイアップ曲となった8thシングル『グロリアス』がオリコン4位。2ndアルバム『BEAT out!』がシングル、アルバム通じて初のオリコン1位を記録。ドラマ主題歌となった9thシングル『BELOVED』がオリコン3位、83万枚の大ヒット。GLAYは一躍人気バンドの仲間入りをはたす。

 さらに、その勢いは留まるところを知らない。『a boy ~ずっと忘れない~』がオリコン2位。3rdアルバム『BELOVED』がオリコン1位を記録した上に、なんと152万枚を売り上げ、シングル、アルバムを通じて初のミリオンセラーを記録。人気バンドどころか、一気に国民的バンドにまでのぼりつめるのだ。

宮本浩次が語る当時のGLAY

 当時の彼らがどう見られていたかを知る、エレファントカシマシのボーカル、宮本浩次による貴重な証言がある。

「NHKの『ポップジャム』という番組でGLAYと共演したんです。僕は有頂天だったんですけど、彼らはそんなものを一気に吹き飛ばすものを持っていた。(中略)そのオーラたるや、自信たるや、風格たるやね。僕は売れるために何かやらなきゃいけないと背伸びして、がむしゃらにやってきたけど、GLAYは自分たちの好きな音楽を精一杯やって、それが認められて、ものすごく売れてるという、そんな自信とオーラが出ているように僕には見えた」(『週刊文春』2000年4月27日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)

 短期間での大ブレイクが、TERUの結婚を機に始まっていることを思えば、確かに、TERUの妻が幸運の女神になったと見えなくもない。

 この頃、下積み時代を支えた彼女がどういう心境でいたか、今では知る由もない。しかし、想像はできなくもない。

「彼を支えてよかった。本当に付いてきてよかった」

 出会ってから、食うや食わずの生活を送って来た亭主を、陰日向となって支えた妻にとって、大成功を収めたその姿は感慨深かったに違いない。子どもまで抱えていたのだ。喜びはひとしおだろう。

「これで、もう生活の不安に苛まれることはない」

 しかし、ある部分においては、こういった想いも芽生えていたかもしれない。

愛する人が変わっていく不安

「成功してくれたのは嬉しいけど、彼が遠くに行ってしまうような気がする」

 実際、サクセスを掴んだ成功者は、その生活が一変するのはもちろん、同時に交遊関係にも変化が生じるのはよくあることだ。これまでの友人とは異なる顔触れが列なり、身なりや言葉遣い、さらには、趣味、嗜好さえも変わっていく。

「言葉を逆さまにしゃべる人たちが増えてきた。私から見れば、それは宇宙語でしかない。何をしゃべっているのかわからない。お寿司のことを『シース』と言ってみたり、わけのわからない話をしている」(『私の中のGLAY』清水由貴著/コアハウス刊)

 という、インディーズ時代のGLAYを支えたスタッフの証言にもあるように、もしかしたら、妻も似たような経験をしていたかもしれない。

 そして、変化する交遊関係の中には、当然、女性の存在も含まれる。容姿、地位、教養、これらの備わった今まで出会ったことのないタイプの女性ばかりが現れる。成功者の多くが、家庭を顧みなくなるのに十分すぎる理由がある。

 そして、96年という年は、GLAYだけではなくもう一組のアーティストにとっても運命の年となった。――PUFFYである。

あわせて読みたい

「芸能界」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    コロナ春に収束向かう? 医師予想

    シェアーズカフェ・オンライン

  2. 2

    独身でいる理由 男女の5割で共通

    ニッセイ基礎研究所

  3. 3

    理にかなった皇居の関西移転論

    NEXT MEDIA "Japan In-depth"

  4. 4

    医師が日本のワクチン報道に嘆き

    中村ゆきつぐ

  5. 5

    二階氏に「引退して」と批判殺到

    女性自身

  6. 6

    ラブリから性被害 女性が告発

    文春オンライン

  7. 7

    五輪中止なら湾岸タワマン暴落か

    NEWSポストセブン

  8. 8

    荒れるYahooコメ欄 仕方ないのか

    たかまつなな

  9. 9

    バイデン氏 15の大統領令署名へ

    ロイター

  10. 10

    歌舞伎町 6万円もらい隠れ営業も

    國友公司

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。