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ロシアの国際安全保障観――「もうひとつの自由主義」による世界の均衡を求めて - 小林主茂 / ロシア外交・安全保障政策

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はじめに

シベリア抑留の生還者を祖父に持つ筆者は、幼少期より、ソ連・ロシアに関する話を聞く機会に多く恵まれた。そのような縁から、ロシア外交・安全保障政策の研究に携わるようになり、10年近くになる。そうした中で、単に書物から学ぶだけでなく、実際のロシア外交・安全保障政策形成の現場近くで経験を積む機会も得てきた。

2013年夏、筆者はロシア大統領令によって設立された外交諮問機関・シンクタンクである「ロシア外交評議会(РСМД: Российский совет по международным делам/ RIAC: Russian International Affairs Council)」において、外国人としては初の研究助手になり、2017-2018年度にはRIAC客員研究員として、日露関係やユーラシア地域統合政策に関する研究を行った。この間、前駐日ロシア全権大使で、日本語での書籍も出版されているほどの日本通であるアレクサンドル・パノフ大使(現・ロシア外務省附属モスクワ国際関係大学教授)と討論させていただいたり(注1)、在ロシア日本大使館でのイベントや日露間の非公式会合にも参加させていただいた。

また、2017年からはプーチン大統領の肝煎りで設立された外交フォーラムである「バルダイ・ディスカッションクラブ(Valdai Discussion Club)」にも専門家の資格で関わらせていただいている(日本からは慶応大学の細谷雄一教授などもバルダイに参加されている)(注2)。本稿は、これらロシア外交の第一線で活躍されている方々との交流を通して得られた最新の知見をもとに、「ロシアの安全保障観」を内部の視点から描き出すことを目的としている。

一般論的に、ロシアは野暮・粗暴で、ソ連時代の大国メンタリティーから脱却できず、欧米を中心とした国際的な自由主義の潮流に頑なに抗い続ける「権威主義の重心」というようなレッテルを貼られることが多い(注3)。これらの通説は的を得ている点もあるものの、「自由民主主義的な欧米 対 専制権威主義的なロシア」という単純すぎる二項対立は、ロシアの安全保障観の実態についての正確な理解を妨げて来た。この点については、先の安倍政権下で内閣官房国家安全保障局顧問に起用された兵頭慎治氏(防衛省防衛研究所・政策研究部長)が、「メディアなどでよく見られる『ロシアはこうだ』と断じる紋切り型のロシア観には要注意である」(注4)と警鐘を鳴らす通りだ。

本稿では、既存の通説に批判的な検討を加えると同時に、ロシアの安全保障観が形成されてきた歴史的な経緯をグローバルな視点から振り返り、結論では日露外交への含意についても言及する。自由主義は一般的に欧米の専売特許だと思われている節があるが、じつはロシアの外交政策の根底には自由主義的な均衡思想があり、ロシアの安全保障観を形成している。これを明らかにするために、まずは次節で自由主義的由来の均衡思想に基づくロシアの安全保障観に触れた上で、これが実際のロシアの安全保障政策にどのように当てはまるのかを事例を上げながら説明する。最後に、日本の対ロ外交への含意についても触れたい。

自由主義的な勢力均衡とロシアの安全保障観への含意

現代の国際関係論は、国際関係を競争や対立としてとらえる現実主義(リアリズム)と、多国間協調を重んじる自由主義(リベラリズム)という二つの対照的な理論を中心に発展してきた。この文脈において、多国間の競争による相互抑止・相互牽制を主柱としたいわゆる勢力均衡(Balance of Power)論は現実主義の枠組みで語られることが多い。しかし、国際政治学者・高坂正堯がかつてその著書『国際政治 ― 恐怖と希望』の中で指摘したように、本来、国際関係における諸勢力間の均衡を重視する考え方(均衡思想)とは、17〜18世紀、ヨーロッパで花開いた啓蒙思想の一環として生まれたものであり、専制と独裁の阻止を掲げる自由主義的な政治思想であった(注5)。

この根底には、単一の政治主体(権力者や大国)が強大な力を手にした一強世界では、弱者の自由が脅かされると同時に、他者の追随を許さぬ独占的な権力は、それを行使する強者自身を傲慢にし、究極的には強者を自己破滅に追い込む、という警鐘があった(興味深いことに、これは平家物語における『驕れる者は久しからず』史観と酷似する点があり、優れた能力を持ち、頂点に上り詰めるまで栄える者ほど堕落しやすいというパラドックスを説いている)(注6)。たとえば自由主義の旗手の一人とされるイマニュエル・カントは名著『恒久平和のために』において、「平和は自由の墓地の上ではなく、活気ある競争の中の均衡によって確保される」と唱え(注7)、国際政治における一強覇権はグローバルな専制をもたらすと鋭く指摘した。

ロシアの国際政治理論は、このような自由主義的な均衡思想から影響を受けている部分が多い。たとえば、ロシア語における「大国」(“Great Power”)は、“великая держава”(もしくは単にдержава)という。Bеликаяは英語で言うところのGreatに当たるが、державаに本来、「力」という意味はない。サンフランシスコ州立大学のアンドレイ・ツガンコフ教授が指摘するように、державаはロシア語の動詞держать(英語でいう“hold”、何かを保つ・維持するという意味)から派生したもので、権力を握る者という意味もあるが、国際政治に関連した文脈では「均衡を保つ者」という意味合いを帯びる(注8)。つまり、ロシアが自身は大国だと主張する際、単に強大な軍事力を持った国であるということ以上に、みずからを国際安全保障の均衡を保つ存在として見ているということを示唆している。

ロシアの安全保障観において、「均衡を保つ者」としての大国(великая держава)は、一強覇権によるグローバル支配に抗い、どの国もが絶対的な国際権力を持てない状況を創り出すことで均衡を保ち、自国、ひいては世界の安全を保証する責任がある存在とされている。2007年、ドイツで開催されたミュンヘン安全保障会議において、プーチン大統領は以下のように述べている。

「人類の歴史の中にはいくつかの一強時代があり、これらの時代には世界制服を目論む覇権国家が台頭した。では、なぜこれらの目論見はすべて夢と散ったのか? そもそも、一強世界とは何か? 一強世界を美化するレトリックはいくらでもあるが、つまるところ、それは単一の権力、単一の軍事勢力、そして単一の意思決定機関が支配する世界であり、それは唯一無二の支配者が全能の主権者と化す世界でもある。このような状態は、強者の軛に課される弱者にとって危険であるだけでなく、頂点に君臨する支配者自身をも内部から蝕んでいく傾向がある。したがって、このような世界は民主主義の理想からかけ離れたものだ。なぜなら、民主主義とは権力を握る多数派が少数派の利益と意見を尊重するシステムであるからだ(注9)。」

このように、欧米の通説ではロシアは自由民主主義に反駁し、専制主義を先導する「ならず者国家(rogue state)」と見立てられているのに対して(注10)、ロシア側は安全保障を一強覇権によるグローバルな「専制」体制から世界を守る試みと(かなり自己肯定的に)定義している。

目には目を、歯には歯を、強権には強権を?

ここで注目されるべきは、この均衡の体系に主眼を置く安全保障観は、ロシアの外交政策の根幹を成すだけでなく、その国内体制にも理念的正当性を与えているという点である。前出の2007年ミュンヘン安全保障会議の質疑応答セッションにおいて、ある一般参加者から、「プーチン大統領はたった今アメリカの一強支配を痛烈に批判されたが、ロシアの国内政治体制こそ、ご自身による一強支配と化しているのではないか?」という(プーチン本人に面と向かって問うには相当勇気がいる)質問が出た。

これに対してプーチン大統領は、「大変興味深い質問で、これについてぜひもっと突っ込んだ話をしたい」と応じ、ロシアが最終的に目指すものは多極的な民主国家だと述べるにとどめているが、ロシアの安全保障観から見て、アメリカの一強世界に対する抵抗とロシア国内の一強体制は矛盾するものではない。なぜなら、ロシアにおける国内政策の多くは、アメリカのグローバルな「専制」に対抗して安全保障を打ち立てるためには、ロシアの国内体制も同等に強靭かつ「強権的」である必要がある、という逆説的なロジックに裏付けられているからである。

そもそもロシアは世界最多の核兵器を保有しており、地球全体が廃墟と化すような全面核戦争でもしない限り、ロシアを軍事的に打ち負かすのは不可能である。また、仮にロシアに軍事的に勝てる国があったとしても、世界最大を誇るその領土の広大さを鑑みれば、ロシアを軍事的に占領するのも現実的とはいえない。そのため、核による重武装で守られているロシアは、一見、鉄壁の安全保障を確立しているかのように思われる。しかしながら、ロシアの安全保障政策決定者が一番恐れているのは、核兵器による戦略的な防壁が無用の長物と化す、「内部からの侵略」と言われるシナリオだ。

そもそも、戦争の目的とは敵国を壊滅させることではなく、敵国を自国の意に従わせることであり、武力行使・占領はあくまでもその手段としてのみ意味を持つ。翻せば、非軍事的な手段によって敵国を自国の意に従わせることができるのであれば、覇権勢力はわざわざ(財政的にも高くつく)武力行使を行う必要がない。このような非軍事的な戦争手段の最たる例が覇権勢力による政権転覆(クーデター)や革命の扇動である。

ロシアの政策決定者の多くからすると、アメリカは覇権の際限なき強大化を目論んでいるが、核大国であるロシアと軍事戦争をしても勝ち目がないため、みずからの言いなりにならないプーチン政権を非軍事的な手段によって転覆させようとしているという。さらには、親米傀儡政権をその後釜に据えることで、ロシアに「戦なき敗戦」をもたらそうとしている、というのである。これが、2000年代にロシアの軍事専門家の間で台頭してきた「ハイブリッド戦争」(гибридная война)という概念だ(注11)。ハイブリッド戦争は、2000年代半ば、旧ソ連圏で「色の革命」(Color Revolution)と称される親欧米派による革命・政権転覆が立て続けに起こって以降、ロシアの政策決定者の間で影響を持つようになり、近年のロシア安全保障概念の基盤に組み込まれるようになった(注12)。

たとえば、ユーリ・バルイエフスキー前ロシア軍参謀総長は2013年、今日の戦争において直接的な軍事攻撃は、戦勝のための唯一の手段ではなくなったと警鐘を鳴らした。バルイエフスキーは、覇権国家となったアメリカはその取り巻きとともに、ソフト・パワーやソーシャルメディアを通じた内政干渉・反政府運動の扇動、サイバースペースにおける情報戦と社会分断工作、そして、民間軍事会社(PMC)、非政府組織(NGO)、メディア等の非国家主体の動員による敵対政権の不安定化を図っており、これらが現代ロシアにとっての最大の安全保障上の脅威となりうると論じている(注13)。

これらの間接的な攻撃の手段は「カオスの遠隔コントロール技術」(технологии управляемого хаоса/technology of controlled chaos、外部の者が隠密な内政介入等を通して意図的に暴動やデモ等のカオスを創出し、ソーシャルメディア等を通してこのようなカオスを操作することで対象国の分断を図る政策)と呼ばれており、プーチン大統領の側近であるニコライ・パトルシェフ国家安全保障会議議長は2019年、このような覇権勢力による不安定化工作に対抗するためにも、国内統制に長けた強い国家の保持が求められていると論じた(注14)。

欧米主流派はこのようなロシアの安全保障観を被害妄想に満ちた反米プロパガンダ、もしくは強権政治を正当化するための空虚なレトリックだと糾弾する(NATO等の欧米エリートによるハイブリッド戦争の見方については、近々、本連載企画で志田氏が詳細に論じる予定のため、そちらも対比・参照されたい)。確かにそのような側面はあるが、ここで想起されるべきは、この「外国の強敵に対抗するためには国内強権政治もやむ無し」とする考え方は、古典的な自由主義者・啓蒙主義者の間でも認められてきたという歴史的事実である。たとえばカントは前出の『恒久平和のために』において、共和制による自由な政治が最高の理想であるものの、強大な外国勢力による介入の脅威がある限りは、国内政治の自由化を先延ばしすることができると論じ、当時の日本における徳川幕府による鎖国政策を、ヨーロッパ列強による日本支配を阻止するための「良策」と評したほどであった(注15)。

また、現代ロシアにおいて、この均衡に主眼を置く安全保障観が、プーチン大統領に批判的なロシア人の間でも広く共有されている点は特筆に値する。たとえば、冷戦終結の立役者と知られ、ノーベル平和賞も受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領は、プーチン政権による強権政治に対する批判を行う一方(注16)、西側諸国のメディアには、「プーチン大統領の信用を失墜させ、彼の政権を転覆させるための特別な指示」が与えられていると非難した(注17)。2014年に勃発したウクライナ危機の直後、ベルリンの壁崩壊25周年を記念するドイツの式典に招かれたゴルバチョフは、プーチン政権によるクリミア編入・併合を熱烈に支持し(注18)、ウクライナにおける騒乱は歯止めがきかなくなった覇権勢力による横暴な介入政策によって引き起こされたとして、以下のような痛烈な批判を展開した。

「冷戦の終結は、新しいヨーロッパの誕生と、より安定した世界秩序に向けた幕開けとなるはずだった。ところが、西側諸国、とくにアメリカは、当時のNATOロンドン宣言で謳われたヨーロッパ安全保障のための新制度の設計、そして、ヨーロッパ国際政治における軍縮といった崇高な目標を追求することなく、冷戦における自らの勝利を宣言するに至った。西側諸国のリーダーたちは陶酔感と戦勝気分にどっぷりと浸り、ロシアの弱体化につけこんだあげく、反対者がいなくなったのをいいことに、リーダシップを独占して世界を我が物のように支配するようになり、自らを諌める者に耳を傾けなくなった。ここ数ヶ月の危機はこのような愚策の帰結であり、西側諸国が自らの意思と既成事実を他国に押し付け、他人の言い分を無視し続けていることの結果である(注19)。」

このスピーチからも見て取れるように、国際政治における均衡が崩れ、一強覇権を握ったアメリカが「専制」化して世界を不安定化させているという世界観は、ゴルバチョフのような「リベラル派」にも共有されているという事実を鑑みれば、これを「プーチンとその取り巻き」による単なるプロパガンダ・被害妄想と断じることは難しい。

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