- 2020年11月18日 16:10 (配信日時 11月17日 11:15)
牛丼を出せなくても吉野家が黒字を確保できた「たったひとつの理由」
1/22003年、「牛丼一筋」の吉野家が牛丼販売を停止した。BSE(牛海綿状脳症)でアメリカ産牛肉の輸入が止まったからだ。かつてない危機に直面したが、吉野家は黒字をたたき出した。吉野家ホールディングスの安部修仁会長は「あらゆる部署からの意見を吸い上げ、朝令暮改でメニューを変えた。危機には組織力で乗り越えるしかない」と振り返る――。
※本稿は、安部修仁『大逆転する仕事術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokkai
「牛丼一筋」吉野家から牛丼が消えた日
「振り返ると、BSE(牛海綿状脳症)のときの取り組みも、その前後に二回、大きな改革を行いましたが、やはり活きたのは、吉野家の組織風土・体質でした」と吉野家会長の安部修仁氏は言う。
吉野家ホールディングスの安部修仁会長
2003年12月24日、アメリカでBSEが発生し、米国から牛肉の輸入が全面停止となった、と同時に、当時吉野家の社長だった安部修仁氏は牛肉の在庫かぎりで販売を停止することを発表した。
「BSEがアメリカで出たのは2003年の12月ですが、日本ではその2年前の2001年にBSEが出ていました。当時、吉野家の牛丼の牛肉はほぼ100%アメリカ産でした。BSEが欧州で発生して広がった1980年代後半から『もしアメリカでBSEが出たらどうするか』というリスクヘッジの調達を目指して、三井物産の最も優れた肉のエキスパートをスカウトし、米産以外のビーフでの牛丼研究プロジェクトを発足し、オージー、南米産あらゆる可能性を2年半かけて研究、実験しました。その結果、穀物飼料で育っており、品質がよく、しかも均一のものを大量に出荷できるのはアメリカしかないという結論に至りました。ほかのところの牛肉ではやはり吉野家の味には程遠いといったことが分かったのです」(安部、以下同)
牛肉には大きくわけて牧草飼育のものと穀物飼育の2種類がある。オージーなどは、牧草を飼料として育っている一方、アメリカは穀物飼料である。その2つでは、味も臭いもまったく違うという。
「牛丼なしでもやっていけることを証明しよう」
吉野家の牛丼は穀物飼料で育った米国産牛肉としての味付けであり、それを牧草飼育のものに変えるというのでは、“吉野家の牛丼”としてお客様が愛してくださっているものを、“いつもと違う味の牛丼”という形で提供することになる。
「それでは、長い目で見たときに、吉野家ブランドへの信頼を失ってしまう」
「牛丼一筋」の吉野家が牛丼販売を停止する。
多くの吉野家ファンはもとよりメディアも心配の声が広がった。
吉野家の牛丼
「吉野家が培ってきたナレッジとこの組織なら、この危機も乗り越えることができる、克服できる、そう思ったのです。何の傷も負ったこともない組織がいきなりあれに遭遇したら、すくんでたじろいだり、ひるんでしまうでしょう。でも、少なくとも私と幹部たちは、それまでの逆境を何度も乗り越えたことがあり“どんなことであれ乗り越えられる”ということが確信としてありました。それに同じ取り組むなら後ろ向きで取り組むより前向きのモチベーションで取り組んだほうがいいに決まっています。だったら、“牛丼なしでもやっていけることを証明しよう”というチャレンジをすることにしたのです」
安部氏はあらゆる部署からの意見を吸い上げ、朝令暮改でメニューを変えた。そうして試行錯誤を重ね、牛丼が停止した初動こそ赤字になったものの次年度にはメインの牛丼がないまま吉野家単体では黒字化を達成した。
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