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社会を変える新しい経済学(後編) 安田洋祐×荻上チキ

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■開発経済学とランダム化対象試行

安田 行動経済学は最近の経済学を代表する新しい潮流で、しかもそこで得られた知見が実際の制度設計に役立てられている分野です。他に重要な成果を上げている分野に「開発経済学」があり、そこでは自然科学分野の手法であるランダム化対照試行(Randomized Controlled Trial)が取り入れられています。

ランダム化対照試行は、何か因果関係を導きたいときに特定の要因をコントロールする便利な手法です。例えば肥料を撒いてどれくらい収穫高に影響を与えるかを調べるとすると、耕作地の中を順番に区切ってランダムに肥料を与える場所と与えない場所を作る。そして、肥料に応じて実際の収穫高がどれくらい変わるかをみるわけです。

しかし、経済学の場合は、こうした自然科学と同じような実験をやることが非常に難しい。仮に可能であっても、倫理的に抵抗があったり、莫大な予算がないとできない、といった足かせが出てきます。ところが、最近その壁が徐々に取り払われつつある分野があって、それが「開発経済学」なんですね。この分野のフロンティアを伝える代表的な一冊が、今年出た『貧乏人の経済学』(みすず書房、2012)。これ、タイトルがちょっといまいちな気もするんですけど、もともと英語で “Poor Economics” という本です。

荻上 安田さんなら何て訳します?

安田 うーん、難しい問題ですね(笑)。まあ、それはさておき、著者はマサチューセッツ工科大学のバナジーとデュフロ。二人とも今をときめく開発経済学の専門家です。開発分野なので、扱っている対象は途上国になるわけですが、途上国の場合は先進国と比べると非常に低コストでダイナミックな社会実験ができてしまいます。

例えば似たような村が二つあって、ランダムに選んだ片方の村には道路を作り、もう一方の村には作らないということをやって、どれくらい道路に経済的な効果があるかを調べる。日本人の感覚からすると、そんなことやっていいのかという気はしますが、倫理的な問題には目をつぶるとすると、これをやることの強みは、因果関係がかなり正確に特定できることです。さすがに村が二つだけだと結果の信頼性は低いですが、実際には似たような村をたくさんピックアップしてランダムに二つのグループに分けることで対処しています。今まで禁じ手(!?)だったランダム化対照試行を経済学の分野にも持ちこんで、確たる科学的な証拠を出す道筋を切り拓いたというのが、彼らのいちばんの貢献になります。

本書の中にはランダム化実験によって得られたさまざまな知見が書かれています(以下は有名な研究ですが『貧乏人の経済学』の中では非常に簡単にしか触れられていませんのでご注意ください)。例えば、ケニアの山奥の子どもたちを学校に通わせるために何をすればいいか、いくつかの実験を行っています。結果的に分かったのは、いちばん安上がりでたくさんの子どもたちを学校に通わせるためには、きちんと虫下しを配ってお腹の病気をなくせばいいということでした。深刻な症状だと学校には通えなくなりますし休みがちになると勉強についていけなくなる。そうすると最終的に通うことをやめてしまう。

こういう教育問題を考えるときに、専門家が真っ先に頭に思い浮かべるのは、例えば教師にやる気がないとか、親がきちんと通わせていないとか、金銭的に余裕がないから通えない、といった問題です。そうすると、お金を配ったら通うようになるんじゃないかとか、教科書を配ったら勉強するようになるんじゃないかとか、教師に特別レクチャーをしてトレーニングすれば改善するんじゃないかなどと、いろんなことを考えます。でも、それらのオーソドックスな方法はすごいがコストかかるわりには、あまり成果がでなかった。

ところが、薬を配ったら少ないコストで目に見えて子供たちが通うようになるという結果が出たというのは、これはもうほんとにランダム化実験の強みです。ある意味でマーケットデザインと似ていますね。小さなミクロのレベルで、きちんとした科学的実験に基づく成果を一歩一歩積み重ねていくことが大きい前進につながるんだ、ということを著者たちも強調しています。

ところで、開発の分野には、さっくり言うと二つの相対立する見方が今までにありました。一つは、途上国がなかなか成長軌道にテイクオフできないのは、文化的な問題やインフラの問題があるからで、そこを改善させるために、莫大な予算をつけてビッグプッシュによって支援していこうというもの。

代表的な論者が、コロンビア大学の経済学者、ジェフリー・サックスで、日本にも何度も来ています。彼が提唱するのは、とにかく援助が足りなくて、少ない金額でやってもまたもとに戻っちゃうから、劇的に状況を改善するぐらいのビッグプッシュを与えなければいけない、というものです。
一方でその対極にあるのが、援助というのは基本的に地元の人たちの手助けにならないばかりか、むしろマイナスに働いているという見方。いわゆる援助漬けですね。よそからお金が入ってくると、それを期待して自分たちで投資も行わないので産業が育っていかないし、政治的にも腐敗を招きやすい。結局、お金を垂れ流すだけで成長を阻害してしまう、というわけです。この主張の代表的な論者が、『傲慢な援助』(東洋経済新報社、2009)を書いたニューヨーク大学のウィリアム・イースタリーです。

純粋な理論レベルでは、どちらの見方も正当化できてしまうので、白黒はつかない。これらふたつの対立するスタンスに対して、サックスやイースタリーのように大上段に構えてマクロ的な見方で開発問題をぶった斬るのではなくて、ミクロレベルの地道な証拠に基づいて、一つずつ着実にステップアップしていこうというのがバナジーとデュフロです。

荻上 『傲慢な援助』を読むと、こんなに失敗しましたってケースが膨大に書かれていて、けっこうえぐられるんですよね。よかれと思ってマラリア防止のために蚊帳を配ってみたら、地元の漁師の網に使われていたとか、無料で配っても、必要な人には届かなかったとか。本当に必要なものを必要な人に届けるためには、ちゃんとそれをお金を持っている人に売るというやり方がいちばん効率的なんですね。では、今度はどこで売ればいいのかという新たな悩みが出てくる。そうしているうちに、どうやって「機能する市場」を作り出すかという問いに戻っていく。

そうしたなかで、「こうすれば効くんだよ」という事例を出していくことが重要なんですね。仮説があって失敗があって、それに対して適切な疫学的処方箋が提示するというサイクルが前進していく。それは社会問題を解決するうえで非常に重要です。大きな物語を語ることも重要ですが、一つひとつの細かな事例や失敗学を蓄積していくことで前進する。そうしたミクロ経済学の強みがうまく活きている分野の一つに開発経済学があるんですね。

■オランダ病について

荻上 ちなみに安田さんは、「マイクロファイナンス」についてはどうお考えですか。

安田 ご存知の方も多いと思うんですけれども、「マイクロファイナンス」とは、ムハマド・ユヌスさんがノーベル平和賞を受賞して注目を集めた小口金融のことで、彼はバングラディシュで、貧困な人々でも少額の融資を受けられる仕組みを作って成功しました。

どういうかたちでお金を出せば、最も効率的な使われ方がされるかを考えた結果、彼は例えば男性ではなく女性に貸す、というビジネスモデルを導き出した。それは、直接的に経済学の知見を活かしたわけではないかもしれませんが、ある種、借り手のインセンティブをきちんと把握したファイナンスの仕組みになっているわけですね。

あと、さきほどの援助漬けに少し関連する話題として、「オランダ病」という言葉を聞いたことありますか? オランダ自体は途上国ではないんですけれども、天然ガスがとれるようになってから、産業構造の変化や為替レートの調整によって工業が衰退してしまった。天然資源が突然手に入った場合、一見するとその国は得するような気がしますが、長期的に見ると経済発展を押し下げるかもしれない、ということを意味する用語です。

途上国の場合には、例えばアフリカでダイヤモンドが悲劇を生んでいるという話が映画にもなりましたね。なまじ天然資源が採れると、それが原因で国内の資源配分が歪みます。自分たちで産業を興して食い扶持を作らなくても、とりあえずその天然資源にぶら下がっていけば食べていける。天然資源の輸出だけを行うような産業構造だと、往々にして人的資本の蓄積が進まないわけです。

「オランダ病」が意味するのは、先進国においてもこれと同じことがいえるということ。日本は元来天然資源が少ないといわれていますが、最近、日本海近海が天然資源の宝庫かもしれないというニュースが報じられています。

荻上 新たなニュースが入ってくるたびに、けっこうワクワクしますけどね。

安田 海底油田が見つかったり、レアメタルがたくさん出てきたり、あるいはメタンハイドレートが使えるようになったりすると、日本が資源大国になるかもしれない。でも、万が一オランダ病にかかってしまうと、日本の成長にとってマイナスになってしまいます。おそらく多くの人は、天然資源はあるだけあったほうがいいと思っているでしょう。でも、実はそんなに単純な話ではなくて、あればあったで人々のインセンティブや他の市場の経済状況が変わってしまう可能性があるんですね。

僕自身は、だから日本は天然資源の利権を拒否するべきだ、とまでは言いません。ただ、こういった視点に立つと、仮に利権が手に入らなかったとしても、そこまで実際には大きな損失ではないかもしれない、という新しい見方はできるようになります。

荻上 資源を手にしたときに、あらかじめオランダ病を避けるための方法みたいなものが出てくるかもしれないですよね。

安田 そうですね。

荻上 例えば原発利益地域が、それがあることによって短期的には潤うけれども、長期的には財政が元に戻っていくという指摘もあります。補助金が年々減っていくなかで、はたして短期的にブーストを獲得していった地域が、長期的にも発展を保てるのか。今後、経済学や政治学の知識を持った人が検証していく作業になると思います。

これは単なる政治的な批判ではなくて、どういった発展モデルがよりベターなのかということを、その地域に合わせたかたちでチューニングしていくためにも、検証が非常に重要になってくると思います。

■幸福の経済学

安田 最近「幸福の経済学」とか「幸福度研究」といったものが、ちょっとしたブームになっています。

荻上 世界一国民の幸福度が高いといわれるブータンの王子様が来日して、一時期話題になりましたね。

安田 はい。ブータンは国家レベルで幸福指標を出しています。「あなたはどれくらいハッピーですか」と聞き、年齢、収入、子どもの有無など属性別に分析すると、いろんな要因によって幸福度が変わってくることがわかります。そうしたデータを国別にみていくと、いろんな発見が出てくるわけですね。

例えば国全体の所得レベルが上がると、多くの場合、それに比例して幸福度は上がっていきますが、一定の水準に達すると、所得を増やしてもほとんど幸福度は上がらなくなることが知られています。僕たちが漠然とイメージしている「お金で必ずしも幸せは買えない」ということを裏付けていて、単純に所得を増やしても幸せにならないというのは、このようにデータからも立証できるわけです。

他にも、幸福度研究についてはいろいろとおもしろい分析がされていて、最近出た翻訳書でも『幸福の計算式』(阪急コミュニケーションズ、2012)があります。このへんの話は、大阪大学の大竹文雄さんなんかが好きで、ご自身が出演しているテレビ番組でもよく取り上げられています。例えば「結婚すると、その金銭的な価値はいくら?」というやつです。べつに結婚の価値が直接お金で測れるというわけではないんですけれども、もしも他の要因が全部同じだった場合に、既婚者と未婚者では幸福度に違いが出てくる。にもかかわらず強引に幸福度を同じ水準に揃えようとすると、未婚者には余計にお金を支払う必要があるわけですね。このロジックで結婚初年度の幸福の値段を計算すると、二五〇〇万円という風に答えが出てくる。

荻上 それは結婚したほうがいいということですか?

安田 少なくとも、いま言ったような意味で金銭換算できるだけの価値はあるということですね。でも一方で、独りでいることのメリットを強く感じている方もいらっしゃると思うので、個人差はあると思います。

荻上 夫婦によっても、いろいろありますからね(笑)。

安田 もう一冊ご紹介したいのが、『幸せのための経済学』(岩波ジュニア新書、2011)。

荻上 表紙がかわいいですね。

安田 著者は一橋大学の蓼沼宏一さんで、中高校生向けに書かれています。とはいえ、実は大人が読んでもおいそれと理解できない内容なんですが…(苦笑)。経済学がどういったかたちで福祉や厚生を捉えているのか、捉えなければいけないのか、ということを深くさぐっていく良書です。

流行りのサンデルの本なんかを読むと、ちょっと賢くなった気がするんだけど、実はかなり浅いことしか言っていないんですね(彼のファンのみなさま、すいません…)。社会やグループにおける意思決定の問題を研究する分野を社会選択理論と呼びますが、本書はこの分野の深い考察に基づいた代表的な研究が何を明らかにしてきたのかを、意欲的な中高生であれば(かろうじて?)理解できるように丁寧に解説しています。

特にアマルティア・センの一連の研究がかなり紹介されていて、注目したいところです。センはインド人で、アジア人としてはじめてノーベル経済学賞を受賞しました。彼はハードコアな理論家であるとともにもともとインド出身なので、インドの貧困をどういうふうに解決するか、また貧困問題をどういうアプローチで捉えればいいのかをライフワークにしている研究者です。そのセンの著作やそのエッセンスに触れつつ、貧困問題や福祉問題をどう考えていけばいいのか、経済学的な視点で捉えています。

ほかに、最近出た本で『意思決定理論入門』(NTT出版、2012)もおすすめです。先ほど行動経済学と伝統的な経済学がどの程度違うのかという話をしました。その点に関して、この本では、伝統的な意思決定の経済学である「意思決定理論」のなかで、行動経済学がどのように捉えられるかということを、初心者にも分かりやすく説明しています。

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