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政治家はパフォーマンスに秀でていなければならない。僕らは、そのことにもうはっきりと気づくべきだ(上)

体制改革のキーパーソン、トリックスター

体制が混迷するとき、これを一挙に打破するような存在が必ずと言っていいほど現れる。人類学的には「トリックスター」と呼ばれるが、これは越境者と理解すればいいだろう。構造化・硬直化した体制において、最も元凶になっているのはこういった体制を既存のパラダイムでしか捉えることのできない連中。彼/彼女たちは保身のためにこれにすがり続けるがゆえに、それが結果としてさらに状況を悪化させていく。そんなとき外部世界からトリックスターがやってきて新しい構造を暴力的に挿入する。それが結果として構造それ自体を根本的に変革していくことになる。これはかつて日産がどうにもならなくなったとき、フランスからブラジル系の男、カルロス・ゴーンがやってきてV字回復を果たしたこと、官製談合の連続で保守王国の構造にうんざりしていた宮崎にタレント・東国原英夫が就任して宮崎を活性化したことを振り返ってみるとよくわかるだろう。

ただし、こういったトリックスターは既存の構造にすがっている保身の側から見ると「空気の読めない愚か者」に見える。というのも、彼/彼女たちにとっては自らの立場こそ正道と考えているので、当然、外部の発想など邪道であるとしか思えないからだ。その立場=正道がとっくに腐敗していることなど顧みることもなく。

しかし、トリックスターは「賢い愚か者」だ。体制からすれば「愚か者」に見えるところこそが結果としてパフォーマンスに秀でた存在として彼/彼女たちを際立たせることになる。そして、その「愚かさ」こそ、旧体制では見えなかった構造を改革、進化させる原動力となる。

政治手腕=行政手腕という図式の誤り 政治家としての資質を問われる際に指摘されるのは、あたりまえだが「政治的手腕」だ。だが、この「政治的手腕」、しばしば単に「行政手腕」に置き換えられて語られてきたのではないか。たとえば六十八年、青島幸男が参議院選挙に立候補した際、青島は「タレント候補」と揶揄された。青島はパフォーマンス能力にこそ優れるが行政手腕などないと、いわば「人寄せパンダ」的な評価を受けていた(後に青島が都知事に就任した際、残念ながらそのことが露呈されてしまったが。ちなみに「人寄せパンダ」という言葉が生まれたのは青島当選数年後。また、この時、 青島本人は無所属で出馬している)。その後も一連のタレント候補と呼ばれる人間たちは、もっぱらパフォーマンス能力のみが指摘されてきたという印象が強い。これは宮崎県知事を務めた東国原英夫、千葉県知事の森田健作、大阪市長の(前府知事)の橋下徹も同様だ。いいかえれば「行政手腕こそが政治家の資質、パフォーマンス能力はオマケ、あるいは無能な行政手腕能力の隠れ蓑」的な扱い。「餅は餅屋」、つまり政治=行政的側面はそちらのプロパーに任せろという偏見だ。

しかし、これはやはりおかしいだろう。そのことは歴代宰相で社会に大きなインパクトを与えた人物を並べてみるとわかりやすい。吉田茂、池田勇人、田中角栄、小泉純一郎といった人物たちは卓越したパフォーマンス能力を有していた(地味なかたちで社会的にインパクトが大きかったのは佐藤栄作くらいではなかったか?)。そして、こういったパフォーマンス能力はメディアが政局により大きな影響力を与えるようになった21世紀には、ますます重要なものとなっている。だからこそ東国原(タレント)、森田(タレント)、橋下(弁護士+タレント)といった政治畑以外からやって来たトリックスターたちの活躍の場が生じたのだ。

パフォーマンス能力こそ政治手腕の必要条件だ! 僕らは政治家たちの資質についてのパラダイムシフトをすべき時に来ているのではないか。つまり、これまでの「行政手腕=必要条件(あるいは政治手腕の全て)、パフォーマンス能力=十分条件(あるいはオマケ)という見方をあらため、パフォーマンス能力こそ政治手腕の必要条件であって、行政手腕は十分条件になると。

あたりまえの話だが政治家は有権者=オーディエンスにビジョンを提示しなければならない。ビジョンとは「未来図」、それゆえビジョンの提示とは未来についての絵を有権者にイメージさせ、そのその想定された未来図に向かって有権者のモチベーションを高めて結集させるものでなければならない。そのためにはパフォーマンスやコピー能力を駆使してビジョンを魅力的かつ平明に示す必要がある。まずは議題設定を行わなければ、具体的な細かい話に届くことは難しいからだ。池田勇人は「所得倍増計画」、田中角栄は「日本列島改造」、小泉純一郎は「郵政民営化」、東国原英夫は「みやざきをどげんかせんといかん!」というキャッチフレーズで有権者にビジョンを示した。なおかつ、その方向性がブレることはなかった。そうすることで有権者にも方向性を示すことが可能となり、そこから改革の引き金となるエネルギーを引き出すことに成功したのだ。

一方、ここ数年の首相を見てみよう。安倍、福田、麻生、鳩山、菅、そして野田……ひょっとしたらこれらの人物には行政手腕があったかもしれない。しかし、こういったパフォーマンス能力が根本的に欠けていたことは否めない(麻生、鳩山などはそれなりのパフォーマンスこそ示したが、センスゼロ、そしてブレまくりで国民に未来像をイメージさせることはまったくといっていいほどできなかった)。そう、こうやって考えてみると、実はパフォーマンス能力こそ政治手腕の必要条件と考えられる。つまり、まずは「人をその気にさせる」力こそが必要なのだ。

「政治は芸能と似ている」

宮崎県知事時代、東国原はそうコメントしたことがあるが、名言だろう。そう、よくよく考えてみれば政治とは「まつりごと」、つまり本居宣長が『古事記伝』で指摘していたように祭事(まつりごと)=政事(まつりごと)なのだ(丸山真男は否定しているが)。これは前者=パフォーマンス能力、後者=行政手腕と置き換えられる。となれば、東国原のこのことばは、要するに政治家には政治手腕として芸能的なパフォーマンス能力=大衆に御輿を担がせる能力が必要不可欠であることを意味する。ということは、現在、維新の会を設立して強烈なパフォーマンスを展開しいる橋下徹は、「船中八策」を掲げ、「独裁」を標榜し、これに多くの反発をかき立てる(”ハシズム”という橋下批判側のバッシングはむしろ橋下の追い風となった)ことで、自らのヴィジョンを示すことに成功し、一方の旧体制の自民・民主の体たらく=ビジョン無しを青天白日の下に晒しているわけで、政治手腕としての必要条件は十分ということになる。つまり、橋下は「弁護士」でも「タレント」でもなく「政治家」なのだ。

もちろん十分条件が揃って政治手腕はコンプリートするのだが~橋下の場合はどうか

政治手腕とはパフォーマンス能力+行政手腕によって成立すること。そして必要条件がむしろ前者で十分条件が後者。つまり、はじめにパフォーマンス能力ありきと考えた方が政治のダイナミズムを理解しやすいことを、ここまで確認してきた。 政治におけるメディア性を軽視しては絶対にいけないのである。

だが、政治的手腕が二つの条件が揃うことで初めて成立することは、やはり言うまでもない。もし、前者だけであるのならば、結局のところそれは「デマゴーク」という烙印を押されるのがオチだ。期待された分、ダメだったときにはかえってその落差が激しく、反動が起こってしまうからだ。(ちなみに、これははじめからパフォーマンス能力のない政治家には絶対に押されない烙印でもある。なんのことはない、彼/彼女たちはダメだった場合、ただの”無能”と評価されるだけだからだ)。

たとえば、前述した東国原は、その卓越したパフォーマンス能力で宮崎県民の圧倒的な支持を獲得し、就任直後60%台だった支持率を、最高時には90%にまで押し上げ、任期終了間近でも80%程度の支持率を維持した(いずれも宮崎日日新聞調べ)。つまり東国原もまた「お笑いタレント」ではなく、類い希なる必要条件を備えた「政治家」だったのだ。だが、東国原は一期で知事の座を退いているゆえ、その行政的な手腕が未知数のままであることを否めない。そして、これは大阪市長のまま国政に打って出ていこうとする現在の橋下にも該当する。まだ、橋下も未知数、本当の意味で行政手腕が評価されているわけではないからだ。

僕らは、必要条件についてはすでに最高点を獲得している橋下に大いなる期待をかけている。そして、その期待とは、要するに橋下が十分条件=行政手腕を満たし、これをコンプリートすることを指している。ただし、その道は容易なものではないだろう。もちろん、それは橋下が政治畑からやって来たのではないからではなく、政治畑、行政畑出身の政治家と同じようにという意味で。よくよく考えてみれば、今回の特集で取り上げたパフォーマンス性に長けた政治家たちが成功したかと言えば、かならずしもそうでもないのだ。たとえば小泉が格差社会を構築してしまったのは周知のこと(にもかかわらず、なぜか小泉待望論、さらには小泉フィクサー論が展開されるのは、このパフォーマンスな魅力にメディアやオーディエンスがいまだに魅了されているからに他ならない。本人が絶対に出てこないのは、このへんのことを実は自分ではよく知っているからなのかもしれない?)。田中角栄も同様に列島改造をぶち上げて結果としては土建屋を儲けさせただけだった。だから繰り返すが、二つの条件を併せ持つことこそが、やっぱり政治的手腕なのだ。そういった意味では、僕らはこれからの橋下の動向をじっくりと見極める必要がある。そのパフォーマンス能力と行政手腕を峻別し、また、それをどう融合しているかを見抜く力が要求されるというわけだ。

さて、話をちょっと変えよう。実はここまで展開した議論は、何も政治だけに限られることではない。実は、組織やシステムを構築する際にも二つの要素、とりわけパフォーマンスな側面は欠かせないものでもある。加えて言えば構築の際、必ずしも一人の人間が持ち得ている必要もないことも事実だ。そこで次回は「政治的手腕=イコール組織形成手腕」とみなして、組織におけるパフォーマンス性=メディア性の重要性について考えてみたい。(続く)

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