「闘う民主主義」を生み出さなければ、民主主義は消滅する
それとは逆に、ノスタルジーを抱いてこの自宅待機から抜け出す人々もいるだろう。それは、隔離中に自分自身のリズムで働き、孤独を慈しみながら過ごし、あわただしい生活のなかに生まれたこの休息に価値を認めた人々だ。今回の危機で収入や年金が見直されることはなかったのだから、彼らは恵まれている。
一方、自宅隔離を地獄のように過ごした多くの人々は、これまでとは異なる会話、友人、空間、愛情を見出したいと願うだろう。
多くの職業は存在意義を失い、非情にも突如として失業者になった数千万人は自己改造を強いられるだろう。多くの国ではあまりに影響が大きく、抜本的な改革を断行しない限り、危機以前の生活水準を短期間で取り戻すことなどとうてい望めない状態になるだろう。
多くの民主主義は、私が後ほど述べる「闘う民主主義」を生み出さない限り、今回の苦難によって徹底的に痛めつけられて消滅するかもしれない。
元の世界に戻りたいと願うのは、次に人類を襲う大きな災難からさらに深刻な影響を被ることであり、次のパンデミックへの準備、そして、気候変動がもたらす次の大惨事への準備を怠ることを意味する。これは、民主主義への死刑宣告に等しい。
もしそうなれば、民主主義は、その原則と実践に対する新たな攻撃から立ち直れないだろう。
なぜなら、パンデミックなど、今後もさまざまな性質の出来事が起こり得るからだ。今回と同規模の、そして、さらに深刻な衝撃に襲われる恐れがある。しかも、次々に。それらの出来事により、われわれの経済、自由、文明は崩壊するかもしれない。
経済学の入門書より、SFが役に立つ
これらの出来事を予測して阻止するには、単なる見通しを超えて、あらゆる想像力を駆使しなければならない。
過去から教訓を見出して同じ出来事の再来に備えるだけでなく、予期せぬ未知の出来事への備えも必要だろう。そうした準備には通常の数値分析よりも、突拍子もない分析のほうがはるかに役立つ。つまり、経済学の入門書よりもサイエンス・フィクション(SF)のほうが有益かもしれないのだ。
サイエンス・フィクションの多くの書籍や映画は、昔から人類にとっての脅威を語り、われわれに未来を占う手段を提供してきた。パンデミックに関する作品のなかから、ほんの少しばかりを次に紹介する。
メアリー・シェリーのSF小説『最後のひとり』〔森道子ほか訳、英宝社、2007年〕、ジャン=ピエール・アンドルヴォンのSF小説『Le monde enfin』、ダニー・ボイル監督のSF映画『28日後…』、マーク・フォースター監督のSF映画『ワールド・ウォーZ』、デオン・マイヤーのSF小説『Koors〔仏題:L'Année du lion、英題:Fever〕』、ラッセル・T・デイヴィス制作・脚本のテレビドラマ『Years and Years』、スティーヴン・ソダーバーグ監督のSF映画『コンテイジョン』などだ。
SF作品を通じて「最悪の自体を避ける方法」を学んだ
また、パンデミックの脅威以外にも人類のサバイバルに関する作品はたくさんある。
たとえば、リチャード・マシスンの古典的名作『I Am Legend』〔『地球最後の男』田中小実昌訳、早川書房、1977年、『アイ・アム・レジェンド』尾之上浩司訳、早川書房、2007年〕、あまり知られていないがバーナード・ウルフのSF小説『Limbo』、そしてつい最近出版された劉慈欣のSF小説『三体』〔大森望ほか訳、早川書房、2019年〕だ。
劉慈欣はこの三部作〔『三体』を第一部とする「地球往事」シリーズ〕において、異星人が450年後に人類を滅ぼしにやってくると知った人類の反応を描く。
紹介した以外にも多くのサイエンス・フィクションがこれまでに私の想像力を養い、また、今も養い続けてくれている。
私は、経済や政治科学のどんな評論よりもこれらの作品からはるかに多くのことを学んだ。
サイエンス・フィクションを通じて、私は枠にとらわれずに考えることを学んだ。意外なところに光ある道筋と闇の道筋を探すことを学んだ。
また、私はサイエンス・フィクションを通じて、最悪の事態を避ける最良の方法は備えること、そして愛することだと気づいた。
人類は「リセット」できない
テレビゲームや各種オンラインゲームからも大いに学べる。

たとえば、バグが一週間のうちに制御不能のパンデミックの場へと変容してしまったオンラインゲーム「ワールド・オブ・ウォークラフト」だ〔ゲームの要素として導入され、特定のエリア内にのみ影響をおよぼすはずだった「Corrupted Blood(穢れた血)」という感染症が、ゲーム内の「ペット」など、想定外のキャラクターを通じて広範囲に拡散した〕。
これはゲーム内だけの出来事だったが、このパンデミックはあまりに複雑であり、事態の成り行きを予想できた者は誰もいなかった。結局、ゲームの開発者たちはこのパンデミックを終息させるためにゲームのサーバーをリセットせざるを得なかった。
この例から言えることは一つ。現在のパンデミック、そして(予測可能性の有無を問わず)将来訪れる脅威を前に、われわれは人類の電源を切ってリセットすることなどできない。われわれは現実の危機に対処しなければならないのだ。
願わくは、人類がもっと賢く、社会正義に敏感で、より自由で、そして将来世代の行く末に思いを馳せるようになってほしい。
そのためには、われわれを待ち受ける最悪の事態を予測することから始めるべきだ。最悪の事態に備え、それを回避するためである。
社会はあっけなく独裁者を容認するだろう
第一に、現在のパンデミックが今後どのような経過を辿るのかは、まだ誰にもわからない。すべては、外出禁止後の措置の効果、ワクチンの開発と配布、ウイルスに起こり得る変異にかかっている。
現状からは、第二波が来る可能性は充分にあり、集中治療室の患者数が一定のレベルを超えた際に発せられる、新たな外出禁止措置の準備(いつそうなるとも限らない)を覚悟しなければならないことが考えられる。
外出禁止措置を打ち出すたびに、経済、社会、政治の面に衝撃が生じ、それらが現在の惨状に新たな災難として加わるだろう。
とくに、今回のパンデミックによって疲弊し、そして(比喩ではなく文字通り)犠牲になった医療従事者が同様の事態の再来に耐え抜くことは、さらに困難になるだろう。彼らは非常に勇敢かつ献身的に、力と技能を尽くして今回のパンデミックに立ち向かった。
そして消耗した民主主義は、社会がこれまで以上にあっけなく独裁者になびくことを容認するのではないだろうか。そうなれば、監視の必要性が叫ばれ、そのためのあらゆる法律が制定される。そのような社会では、どのメディアも真実を語ることより、噂を流すことに関心をもつだろう。
そしてメディアは、彼ら自身が台頭を後押しする独裁者によって、言論の自由を奪われることになるだろう。
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ジャック・アタリ(Jacques Attali)
経済学者
1943年アルジェリア生まれ。フランス国立行政学院(ENA)卒業、81年フランソワ・ミッテラン大統領顧問、91年欧州復興開発銀行の初代総裁などの、要職を歴任。政治・経済・文化に精通することから、ソ連の崩壊、金融危機の勃発やテロの脅威などを予測し、2016年の米大統領選挙におけるトランプの勝利など的中させた。林昌宏氏の翻訳で、「2030年ジャック・アタリの未来予測』(小社刊)、『新世界秩序』『21世紀の歴史』、『金融危機後の世界』、『国家債務危機一ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?」、『危機とサバイバルー21世紀を生き抜くための(7つの原則)』(いずれも作品社)、『アタリの文明論講義:未来は予測できるか」(筑摩書房)など、著書は多数ある。
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(経済学者 ジャック・アタリ)