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社会を変える新しい経済学(前編) 安田洋祐×荻上チキ

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■マーケットデザインとは何か

荻上 安田さんは『日本の難題をかたづけよう』(SYNODOS編、光文社新書)の一章で、「マーケットデザイン」の可能性について書かれています。そこでは新しい経済学的な思考法が、今後の日本の社会問題を解決するために非常に重要なものだと論じています(付記:この後、ハーバード大のアルビン・ロス教授とカリフォルニア大のロイド・シャプリー名誉教授がノーベル経済学賞を受賞し、マーケットデザイン理論はますます注目を集めています)。

今日は、現在の経済学、特に安田さんが専門とされているミクロ経済学が持っている可能性、あるいはすでに実践されている現場の知恵についてお話いただくと同時に、今後必要な経済学の活用法といったものを伺いたいと思います。まずは簡単に、マーケットデザインとは何かについて、ご説明いただけますか。安田 『日本の難題をかたづけよう』というとても意欲的なタイトルがついていますが、今の日本の経済問題を解決してくれるものすごい知恵が書かれているのかと期待して、実際に本書を手にとっていただいた方はちょっとガッカリするかもしれません(笑)。でも、このことがある意味、今の経済学の状況を表しているように思います。

「日本経済はこう立て直せ」だとか、「金融危機はこう解決しろ」といった経済書が、書店にはあふれています。あるいは、日々の報道などでもそうした意見を多々、目にします。ところが、そこにはあまり意見の一致が見られないし、劇的な処方箋もあるようには思えない。逆にいうと、もしも多くの専門家が勧める有効な処方箋があれば、ここまで状況は深刻にはなりません。

複雑なマクロ経済現象に対して、これをやれば必ずうまくいく、こうすれば景気は良くなる、といったバラ色のストーリーが描けるほど、経済学の理解は進んでいません。まだまだ分からないことがたくさんある。一方で、もう少し細かな問題を切り取って分析するミクロ経済学の分野では、この二十年ぐらいでいろんなことが分かってきているんですね。僕が担当した一章で取り上げたマーケットデザインは、そうした領域の最前線の学問です。

マーケットデザインというのは、ゲーム理論を用いた、従来とは違う新しい経済学のアプローチで、具体的な制度設計や政策提言につなげていく分野です。日本ではまだほとんど認知されていませんが、研究が最も積極的に行われているアメリカですら、一部の専門家の間でしか詳しくは知られていません(付記:ノーベル賞の発表直後はさすがに認知度が急上昇しました。これが一過性のブームに終わらずに、続いていくことを願っています)。

 

■腎臓交換メカニズム、制度の抜け穴 

荻上 マーケットデザインの実践例として、具体的にどのようなものがありますか。

安田 規模の大きい応用例は今のところ次の四つがあります。「周波数帯オークション」「研修医マッチング」「腎臓交換メカニズム」「学校選択制」。その中で「腎臓交換メカニズム」に、最近ちょっと動きがあったので、書籍に取り上げていない部分をお話します。

本を読んでいない方のために、まずは「腎臓交換メカニズム」とは何かを簡単に説明します。生体間で移植が行われる腎臓の臓器移植ですが、腎臓病を患うと自分のパートナーや家族から臓器提供を受けようとする場合が多いです。そこで問題になってくるのが、血液型に代表される適合性です。患者と臓器が適合条件に合致しないと、拒絶反応を示してしまって移植自体ができなくなります。

すると、「移植をしたいのに提供できない」「移植を受けたいのにできない」というミスマッチが発生する。実際に、世の中にはそうした不幸な事例がたくさん存在します。そこで経済学者たちが不幸なペアを集めて適合条件が合うよう組み合わせを換え、腎臓移植を円滑に行うための制度設計を考えたわけです。

現実にこの仕組みが、アメリカの病院で取り入れられはじめているのですが、いざ制度を走らせてみると困った事態も生じているようです。先日オーストラリアの学会で、この腎臓交換メカニズムをデザインしたハーバード大学のロス教授の講演を聞いたのですが、こういった臓器交換メカニズムを使うと一見うまくいきそうに見えるものの、各病院の参加や協力を強制できないことから、次のような問題が発生してしまったらしいのです。

個々の病院は、自分たちだけで簡単に臓器移植ができるような患者に関しては、この便利な仕組みを使わなくても済む。その一方で、自分たちではなかなか臓器提供者を見つけられない場合に、こういうメカニズムを積極的に利用しようとする。結果的に何が起こったかというと、移植が難しい患者とドナーのペアばかりがロス教授たちの作った制度に集まってしまったんですね。そうすると、せっかくの交換メカニズムを使っても、なかなかうまくマッチングを組ませることができなくなってくる。ある種、モラルハザードのようなことが起こっちゃったんです。

今の段階ではまだ失敗には至っていないのですが、法律的な対応を含めてもう少し巧妙なメカニズム設計をしないと、なかなか移植の連鎖が起こらないというのが現状のようです。病院が自発的にメカニズムに参加するかどうかを決める、というところまで考えたうえで、いかにメカニズムを設計するか。そこまで広く考えて制度の抜け穴を詰めていかないと、こうしたモラルハザードが出てきてしまう、という教訓になっています。

 

■実践行動経済学

荻上 リチャード・セイラー、キャス・サンスティーンの『実践行動経済学』という本があります。この本では、人々の行動を統計的に把握したうえで、最適なメカニズムの設計に近づけていこうというような議論が書かれていますね。

例えば、「交通事故を減らす」という課題があったとします。そのときに、多くの人の議論はどうしても、個人のマナーを底上げしようという発想になりがちです。それに対して、道路の設計が間違っているから交通事故が起きやすいという発想もありえます。実際、各地方自治体や省庁のウェブサイトに行くと、この道路を云円で工事をしました、この工事をしたことによって年間何件事故が減りました、といったようなデータが載っている。

道路工学、交通工学の知見に基づき、カーブミラーをどこに付けましたとか、道路の真ん中の白線を取り払うことで、ドライバーが注意しながら運転するようにしましたとか。あるいは事故が起きやすいところは衝材をより多めに置くことで、死亡者数は減りましたとか、そういう試みは日常的に、当たり前に行われています。このように人間心理の反応を組み込んだかたちでの外部環境への介入によって、不幸なケースを具体的に減らすことができる。

行動経済学だけに限らず、統計を駆使したり、ゲーム理論的な発想で問題解決に取り組むミクロ経済学の応用可能性を、安田さんは多く紹介してくれています。

安田 そうですね。心理学で得られるような、従来の経済学とは違ったタイプの研究成果や知見を活かして、それを経済分析に応用させようというものを広く「行動経済学」と呼びます。心理学者はかなり泥臭い人間像を昔から扱っていて、その中でシステマティックに観察されるような思考や発想のパターンを、経済分析に当てはめようというものですね。

いまチキさんのおっしゃった道路交通問題に関して、例えば、下り坂が始まる前に「これから下り坂が始まります」という看板を置いておくと、実際にブレーキを踏んでもらいやすいというような、一定の行動パターンが心理学の研究で分かっています。それを政策に反映してあげると、低いコストで大きな効果が期待できる。

行動経済学の本はたくさん出ていますが、その多くは、伝統的な経済学では分からなかったことが分かったとか、古典的な経済学は使えない、といった宣伝文句をうたっています。しかし、実際に学問分野の最先端で行われている行動経済学の研究は、対象となる人間像を拡張しながらも、従来の経済学と非常に近いことをやっています。

従来の経済学は消費や金銭的なリターンといった、狭い行動原理に従って動いている人間像をしばしば分析してきました。行動経済学はそれを少し拡張して、自分のことだけでなく相手の状況に応じて満足感が変化したり、自分と相手の取り分ができるだけ均等化しているほうがハッピーになったり、という具合に個々人の行動原理あるいはモチベーションを広げているわけです。その上で、より幅広い経済現象を分析しようとしています。

『実践行動経済学』の原題は『Nudge』で「小突く」という意味なんですが、心理学から得られた知見を活かすことで、ちょこっと人々を小突いてあげる。そうすることで社会的に望ましい意思決定をさせる実践例がたくさん載っているんですね。ただし、この手の行動経済学の実践にもろ手を挙げて賛成できるかといえば、そのあたりは微妙です。一橋大学の齊藤誠さんのように、この本のアイデアに共感して、行動経済学の知見は制度設計に使えると強く主張される方がいる一方で、(僕も含めて)やや慎重な経済学者も多くいます。

どういうことか、もう少し具体的にお話しましょう。Nudgeの一つの実践例として、何か選択肢が与えられたときに、そもそも選ばれているデフォルトオプションを人は選びやすい、という傾向が知られています。例えば「二つの選択肢AとBのうち、あなたはどちらがいいですか?」というアンケートがあったときに、すでにAに丸が付いていて、それを変えるとBに、そのまま変えないでいると自動的にAになる、という聞き方になっていると、何も変えずにAを選ぶ人が統計的にかなり増えるのです。

そうしたデフォルトオプションの癖を知っていると何ができるかというと、例えばAを選ばせたいときには、あらかじめAに丸を付けておくんですね。変えたい人は変えなさい、変えたくない人はそのままにしておきなさい、というふうにする。参加者はいちおう選択の権限を与えられているから選んだ気にはなるんだけれども、じつは知らず知らずのうちに、制度設計者によって彼らの思い描いた結果へと誘導されているわけです。

これは「リバタリアン・パターナリズム」と呼ばれています。当事者は選んだ気分になっていますが、実は行動の癖を見抜かれていて、それを巧みに利用した制度設計になっている。ちょっと恐い話のような気はしますが、それを著者のセイラーとサスティーンは、積極的に活用する道があるという風にポジティブに捉えています。

逆にネガティブ、あるいは慎重に捉えている人は、選択肢AとBを与えられたときに、AをデフォルトオプションにするとAをたくさん選び、BをデフォルトオプションにするとBを選ぶことが分かっているとすると、真にその個人が選びたい選択肢がどちらなのか、少なくとも当人の選択行動からはよく分からない、ということを心配します。そもそも社会がなぜAを選ばせようとするのか、という理由や根拠を、個々のメンバーたちの好みと直接結び付けて議論することができなくなる。にも関わらず、勝手にAを選ばせてしまって良いのか、という点が気になってくるわけです。

荻上 リバタリアン・パターナリズムは、外部の価値観のようなものとも関係してきます。だから、「限定されているが、だからこそ良心的な選択肢」になっているかどうかというのが、どうしても重要になりますね。

本当に人は自由に行動しているのかといったときに、やっぱり舗装道路をつくればみんなそこを通りたがるだろうと想定している。あぜ道を通りたいってやつもなかにはいるのかもしれないけど、あぜ道を通らないほうがだいたいの人がハッピーになるし、実は完全自由の状況よりも、それぞれの人の幸福度や満足度が上がる。だから、そうした設計を事前に作り、人々の利便性を今よりも上げることによって、ある種の正義が確保できるんだって話になっているんですね。

ただ他方で、いまおっしゃっていただいたように、それはすごく環境にコミットメントする思想だったりするので、個人の意識はすべて括弧に括ったうえで、ある種のモデルに押し込めた人間観になってしまうんじゃないかというような議論は、どうしても出てくる。だけど、それをさらに批判するためには、そもそも行動経済学とか統計的手法というのが何なのかということを知っておいて、「こっちのメニューのほうがいいだろう」という提示で応答しなくてはならない。なので、まずはその方法論みたいなものをシェアすることからじゃないと、議論がそもそも始まらないということにはなってしまいますし、リバタリアン・パターナリズムを否定することはできないでしょう。

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