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「この世界は生きるに値する」――3度目の骨髄移植を前にして / 黒田朋子さんインタビュー / 服部美咲

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⽩⾎病などの⾎液のがんでは、骨髄移植をすることがある。骨髄移植では、患者とドナーの造⾎幹細胞(骨髄の中にある⾎液をつくるもととなる細胞)を置き換えて完治を⽬指す。この治療では、移植前の大量の抗がん剤投与や全身放射線照射による副作用のほか、ドナーのリンパ球が患者の臓器を攻撃することによる合併症など、強い副作用や合併症が起こりやすい。

デザイナーの黒田朋子さんは、骨髄移植を2度も経験し、そして現在、3度目の再発と闘おうとしている。その闘いの原動力となったものはなんだろうか。

インタビューを通して、現在さまざまな苦悩を抱える私たちが今を生きるヒントをうかがった。

命を分けてくれたドナーへの恩返し

――急性骨髄性白血病を発症してから受けられた治療の経緯や、その間の気持ちの変遷についてうかがえますか。

2011年5月、32歳の夏に、急性骨髄性白血病と診断されました。フリーランスとして独立し、結婚して2年、少しずつ自分のペースで仕事ができるようになり、夫婦二人の家庭を築き始めた頃のことでした。

予想もしない診断に混乱する頭の上を、当時の主治医の説明が矢継ぎ早に通り過ぎました。自身の気持ちに向き合う間もなく、治療に関する説明と同意書のサインなどの事務手続きがどんどん進められていきました。私も家族も、さまざまな不安や行き場のない気持ちを抱えたまま、白血病との日々がいつの間にかはじまってしまったという感じでした。

最初の抗がん剤投与が終わる頃、少し冷静になって、まずは「白血病」という病気について調べました。医学論文をはじめ、闘病ブログやSNSなどを読み漁るうち、自分と同年代らしい女性たちの多くが「子どもを授かることができない未来」を悲観していることを知りました。そこで、改めて抗がん剤治療に関する同意書を読み直しました。

そこで、数々の副作用一覧の末尾に「不妊」という文字を発見しました。ショックと新たな絶望に打ちひしがれている私に、当時の主治医が言い放った言葉が今も忘れられません。「(子供が授かれなくても)生きられるからいいじゃないですか」と。そのとき、「ああ、もう私は、生きられるということ以上に、自分の人生に何かを求めてはいけないのだ」と、行き場のない怒りをどこにぶつければ良いのかもわからず、やりきれない思いでいっぱいになりました。

抗がん剤治療を経て、骨髄バンクからのドナー(骨髄提供者)選定が決まりました。かなり強い抗がん剤治療でも寛解(がん細胞が減少している状態)には至らず、むしろ私の中の白血病細胞は勢いを増していました。非寛解での移植の予後が良くないことは知っていましたが、様々な要件が重なり、2012年3月に骨髄移植を受けました。

思いのほか、治療は順調に進みました。ところが、退院の話が出てきた頃に、胃腸の不調を感じるようになりました。明らかに下痢の回数が増えているし、常に体のどこかしらが痛い。本当にこれで退院して大丈夫なのか。血液内科部長の先生にも尋ねましたが、移植後にいろいろ不調が出ることはよくあるので、それらは外来で診ていきましょうということでした。その言葉を信じて、退院することになりました。

悪い予感は当たるもので、家に帰ると、みるみる状況は悪化しました。ずっとお腹が痛くて、何も食べられないどころか、トイレへ行くにも匍匐前進のようなスタイルでないと進めないくらいにまで衰弱していました。これは明らかにおかしいと思い、1週間後と言われていた外来の前に、病院に行きました。検査の結果は「全身の臓器が浮腫んでいる」ということと「胃や腸の粘膜が剥がれ落ちている」ということでした。即時再入院になりました。

そこから半年ほど、毎日2リットルを越す液体が肛門から流れ出る日々でした。大腸、小腸全体と胃の一部の粘膜がむきだしになって、水はおろか自分の唾液を飲み込んでも激痛が走りました。重度のGVHD(骨髄移植後の合併症のひとつ)でした。大量のモルヒネを投与され、強いせん妄状態に陥って、夫が傍にいても誰なのか認識できなくなりました。

そのほかにも、大小さまざまなトラブルが重なり、何度も生死の淵を彷徨いました。この世に私をつなぎとめてくれたのは、夫や家族、たくさんの友人、そして何よりドナーさんの力だと思っています。退院しても自由にならない身体ではありましたが、この経験は必ず社会に還元すべきだという思いが自然と湧いてきました。そしてそれこそが、無償の愛で私にいのちの一片を分け与えてくださったドナーさんへの最良の恩返しになるとも考えるようになりました。

主治医や医療体制への不信が重なっていたこともあり、まず転院をして、本当に信頼できる医師と一緒に生活や健康状態を立て直し、今後のことを考えていきたいと思っていたときに、今の主治医と出会いました。

――その後、再発し、2回目の骨髄移植を受けられました。

2度目の再発が分かったとき、正直遺書を書こうと考えました。そして、自分が自分としてあれるうちに、感謝を伝えるための生前葬をしたいとも思いました。

骨髄移植は、「最強の化学療法」とも言われます。移植前の処置で、12Gy(グレイ)という大量の放射線を全身に浴びます。人間が生涯に浴びられる放射線量は15Gyだと、そのときに言われました。抗がん剤も、心電図をつけて24時間投与する方法で、ほぼ致死量を入れています。そこまでの治療を受けてなお、私の中で白血病細胞が生き続けているというのは、途方もない絶望でした。

それでも、信頼できる主治医の言葉を素直に受け止め、診立ててくださる方針で治療を進めようと思うことができました。

苦境を何度も共にしてきた私の中に流れるドナーさんにお別れを告げて、新しいドナーさんを迎え入れねばならないことは遺憾の極みでしたが、「今、再度移植をすることでこの病気を乗り越えていくことができる、そう信じている」という先生の言葉は、その迷いを払拭してくれました。

とはいえ初回の移植後が地獄絵図であっただけに、容易に受け入れられる提案でないことも事実でした。「よしやろう」と思うまでに、かなり迷い、苦しみ、何度も何度も同じ問いを先生に投げかけ、何度も何度もその答えを反芻してはまた吐き出す、ということを繰り返しました。

「今はさらにいろいろと良い薬も出てきているし、大丈夫。できる」最後の最後、先生が強い気持ちを持って掛けてくれたこの言葉が、私の背中の最後の一押しをしました。

2度目の骨髄移植では、大きなGVHDを引き起こすこともなく、移植から2ヶ月で無事に退院することができました。

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