- 2020年11月04日 20:43 (配信日時 11月04日 18:15)
大阪都構想が2度も否決された「たったひとつの理由」
1/2府と市の「二重行政の解消」が目的だったはず
いわゆる「大阪都構想」が11月1日の住民投票で否決された。なぜ大阪都構想は再び否決されたのか。ひとことで言えば、市民の間から盛り上がった「草の根運動」ではなく、どこまでも政治色の強い運動だったからである。
住民投票の結果を受け、記者会見する松井一郎大阪市長(中央)と吉村洋文大阪府知事(左)、公明党大阪府本部の佐藤茂樹代表=2020年11月1日夜、大阪市北区 - 写真=時事通信フォト
沙鴎一歩は9月11日付の記事「吉村市長と松井市長は、なぜそこまで『大阪都構想』にこだわるのか」で、「公明党の政治的思惑で決まったことなのである」と指摘した。政治的思惑で決まった住民投票は盛り上がりに欠けるため、再び否決されるだろうとみていた。
本来、大阪都構想の目的は、大阪府と大阪市の二重行政の解消だった。具体的には東京都をモデルに交通基盤整備などの広域行政を大阪府に一元化し、福祉や子育てなど身近な住民サービスを特別区に担わせる構想だった。
公明党の方針転換がなければ今回の住民投票は行われなかった
大阪都構想は、日本維新の会が旗印にしてきた政策である。地域政党の大阪維新の会を創設した元大阪市長の橋下徹氏によって提案され、2015年5月に住民投票が実施された。だが、そのときも僅差で否決され、橋下氏が政界を引退するきっかけとなった。
初めから政治的な産物だった。しかも橋下氏という勢いがあって発言力の強い政治家から生まれた構想だった。
昨春、後を引き継いだ大阪維新の会代表の松井一郎氏と代表代行の吉村洋文氏が、知事・市長のダブル選を仕掛けてともに当選した。これもかなり強引な手法だったと思う。
さらに驚かされたのが、公明党だった。公明党は松井・吉村コンビの圧勝を見て大阪都構想賛成に方針を転換し、その結果、賛成多数で今回の2度目の住民投票が決定した。
公明党の方針転換がなければ今回の住民投票は行われなかった。大阪府内の衆院小選挙区で全国最多の4議席を持つ公明党は、次の衆院選挙で大阪維新の会(日本維新の会)と対決して票を減らすことを避けようとしたのである。維新は次期衆院選で対抗馬擁立をちらつかせていた。公明党はこれを恐れ、維新と手を結んだ。維新以外の全政党が反対した前回の住民投票での構図が一変したのである。
連立を組む自民党の大阪府連が反対するなかで異例の応援
松井氏ら維新の幹部にとっての最大の誤算は、公明党の支持母体である創価学会の反発だろう。告示後の10月18日には、公明党の山口那津男代表が大阪入りし、松井氏らと街頭で都構想への賛成を訴えた。国政で連立を組む自民党の大阪府連が都構想に反対するなかでの異例の応援だった。
松井氏が学会幹部に働きかけ、公明党がすり寄ってきた結果だったが、これまで維新と敵対してきた創価学会の反発は根強かったようだ。維新も公明党も、政治的思惑から大阪都構想を推進したツケだろう。
大阪市長の松井氏は1日深夜に記者会見し、「2度負けたことは政治家としての力不足に尽きる。僕自身のけじめをつけなければならない」と語り、政界引退を明言した。一方、大阪府知事の吉村氏も記者会見を行い、「市民の判断を率直に受け止める。都構想再挑戦を僕がやることはない」と話した。
「『説明が不十分』との声は最後まで消えなかった」と朝日社説
11月2日付の朝日新聞の社説はこう解説する。
「大阪市が担う施策のうち、大型のインフラ整備など広域にわたるものを大阪府に移し、特別区は教育や福祉など身近な行政に集中する。そうして、過去に見られた府と市による二重行政や主導権争いを防ぐ。これが都構想のねらいだった」
「だが市民の間には、特別区に移行した後、行政サービスはどう変わり、どれだけの負担を求められるのか、疑問と不安があった。再編後の財政見通しについて試算が乱立したこともあって、『説明が不十分』との声は最後まで消えなかった」
大阪市民は東京をライバルとみているわけではないだろう。大阪の文化や歴史は東京よりもずっと古い。「大阪市」という名称は、そんな大阪市民にとってかけがえのないものなのである。
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tuayai
政治的思惑が優先され、本来の狙いがあやふやになったことで、住民投票で問われていることもわかりづらくなった。朝日社説が指摘するように大阪市民にとっての「疑問と不安」が解消されなかったのだ。
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