- 2020年10月28日 14:39
タイ「大規模デモ」が問い直す「未完の民主主義」- 樋泉克夫
1/310月14日、タイ・バンコクではプラユット・チャンオチャ政権の退陣と王室改革を求める大規模な政治集会が開かれた。
警備当局が厳戒態勢を敷く中、時計の針が深夜0時を過ぎても街頭行動が止むことはなかった。15日払暁には、プラユット政権が5人以上の集会禁止措置を含む非常事態宣言をバンコクに発し、午後になると同措置を11月13日までの30日間に延長することを明らかにした。
13日から15日にかけ、デモ隊指導者の50人前後が逮捕され、「平民団体」を名乗る集会の主催者が解散宣言を発したにもかかわらず、「1人1人が指導者」を掲げた参加者の街頭行動はエスカレートする一方だった。
「人民バンザイ」
「封建体制は必ず滅ぶ」
「プラユットは無能」
「我らが友人を釈放せよ」
との叫びは、終日続いた。
14日から15日にかけ王毅・中国外交部長がタイを訪問し、プラユット首相と会談したこともあってか、街頭には「香港独立旗」や「チベット独立旗」までが登場している。
17日午前には地下鉄と高架鉄道駅での示威行動が噂されたことから、当局が空港路線を含む首都圏交通網を停止し、香港で昨年6月に発生した混乱の再現が危惧される。
「絶対に退陣しない」
プラユット首相は、
「絶対に退陣しない」
「香港型の混乱は許さない」
と発言する一方、全国民の支持を呼び掛ける。
だが、デモは一向に収まる気配はなく、21日夜には首相退陣を求めて首相府へのデモが敢行された。これに対しプラユット首相は「平和的デモ」を条件に、22日に非常事態宣言解除をしたのである。
まさに朝令暮改的な政府側の対応の背景を考えるなら、かりにプラユット首相が退陣したとしても、混乱の鎮静化は容易ではないだろう。
最悪の場合、軍事政権退陣を求めた街頭行動の制圧に国軍が乗り出し、バンコクに大混乱を招いた1992年の「5月事件」、あるいは2006年から2014年まで繰り返され、タイ政治を機能不全に陥らせた「赤シャツ派(タクシン支持勢力)VS.黄シャツ派(反タクシン勢力)」の長期抗争のような事態も想定しておく必要がありそうだ。
「香港独立旗」「チベット独立旗」の登場は、中国との友好関係に障害を引き起こしかねない。その場合、プラユット政権の目玉政策である経済発展のための国土改造プロジェクト――中国との協力による高速鉄道建設「EEC(東部経済回廊)構想」など――に支障を来す可能性すら想定される。
どうやらプラユット政権は、新型コロナ禍との戦いの最中にもう1つの厄介な問題を抱えてしまったと言えるだろう。
前日に行われた前国王の法要
じつは14日からの緊張とは対照的に、13日のタイは全国的に平穏に過ぎた。4年前の10月13日に亡くなったプミポン前国王を偲び、その遺徳を讃える厳粛な式典が、国を挙げて行われたのである。
バンコクでは王宮に高僧が参集して法要が営まれ、人々は国王欽慕の意を表す黄色の服を纏い、王宮に安置された前国王像に首を垂れた。
一連の式典のために生活拠点を置くドイツから一時帰国したマハー・ワチュラロンコン国王夫妻の車列に向かって、雨の沿道からは歓呼の声が上がった。
王宮前広場ではプラユット首相に率いられた枢密院議長、国会議長、最高裁長官、閣僚、バンコク都知事、国軍首脳、警察局長など純白の礼服に身を包んだ文武百官が威儀を正して整列し、芝生に跪いて前国王の巨大な画像に額づいた。
タイでは「カーラーチャカーン」と呼ばれる彼らは、公僕(=公務員)ではない。現在でもなお「ラーチャカーン(国王)」の僕(しもべ)として振る舞い、遇されている。
雨に打たれた王宮前広場の鮮やかな緑の芝生に純白の礼服が映え、英明な君主を慕う臣下の姿が描き出される。それは、王国であろうとするタイの意志を具象化しているようにも感じられた。
こうして中世王朝絵巻さながらに可視化された「王国としてのタイ」はしかし、翌14日には綻びを覗かせてしまう。



