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- 2020年10月28日 11:53
オリンピックはアスリートの政治行動を認めるべきか否か
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国際オリンピック委員会(IOC)は政治的に中立であろうと努めてきてはいるが、オリンピックを含むスポーツには常にさまざまな問題がつきまとうものだ。
IOCも、アスリートたちによる “ささやかな” 政治的主張は容認してきた。2000年のシドニーオリンピックで陸上400m金メダルを獲得したオーストラリアのキャシー・フリードマン選手が、自身のルーツであるアボリジニの旗とオーストラリア国旗の両方を肩にかけてウィニングランを行ない、“融和”への希望を示したときなどがそうだ。
その一方で、オリンピックがより“直接的に” 政治利用された過去もある。ナチスがプロパガンダに利用した1936年のベルリン大会、テロ事件が起きた1972年ミュンヘン大会(ミュンヘンオリンピック事件)、集団ボイコットが起きた1980年モスクワ大会と1984年ロサンゼルス大会などだ。
IOCは政治的中立を主張してきてはいるものの、オリンピックはそもそも競うための場だ。優れたアスリートを祝福する祭典であると同時に、アスリートは国の代表チームの一員であることから、地理的・政治的な勝ち負けや緊張のきっかけをつくる舞台でもある。
だがアスリートたちはそれぞれが個人であって、昨今は、人種差別や性差別などスポーツを超えた問題に声を上げる選手が増えている。先月、警察官による黒人発砲事件にNBAミルウォーキーの選手たちが一斉に抗議の声を上げ、その日のプロリーグの試合が中止される事態にまで発展した。
オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない*1 。
*1 Olympic Charter
オリンピックのすべての会場や式典において、抗議行動やデモ行為は禁止されているのが現状だ。 近年、アスリートたちの政治活動が活発化する中、IOCは東京オリンピックに向けてガイドラインの見直しを検討してきた。きっかけとなったのは、試合を終えたアスリートたちの表彰台での抗議行為だ。
2019年世界水泳選手権にて、2位となったオーストラリアの水泳選手マック・ホートンは、優勝した中国・孫楊(そんよう)がドーピング検査妨害の疑惑があることに抗議を示し、表彰台に上がることを拒んだのだ。
何が許可されて何が許可されないのか、その基準を策定することを目指した新ガイドラインでは、SNSの使用が以前より緩和されるなど、“表面的には” アスリートたちはより自由を手にしたように見える。オリンピック選手たちには、記者会見、チームミーティング、ソーシャルメディアなどでは「考えを述べる権利」がある一方で、競技中・選手村滞在中・メダル授与式などの公式行事中は許可されていない。
IOCからすると、「抗議行動」と「意見表明」の間に明確な境界線があるのだ。だが、アスリートたちは混乱し、結局、新しいルールにも“窮屈さ”を感じざるを得ない。
例えば、記者会見で “Black Lives Matter” の「支持表明」することはOKだが、“BLM”と書かれたTシャツを着るのはNGとされている。前者は人種差別に対する「連帯表明」で、後者は「政治的抗議」にあたるというのか? では、アスリートがメダル授与式で、ひざまずいたり拳を突き上げたら? 今日のスポーツ界でよく見られる抗議行動ではあるが、こうした行動は“罰則の対象” とIOCは断言している。
IOCも、アスリートたちによる “ささやかな” 政治的主張は容認してきた。2000年のシドニーオリンピックで陸上400m金メダルを獲得したオーストラリアのキャシー・フリードマン選手が、自身のルーツであるアボリジニの旗とオーストラリア国旗の両方を肩にかけてウィニングランを行ない、“融和”への希望を示したときなどがそうだ。
その一方で、オリンピックがより“直接的に” 政治利用された過去もある。ナチスがプロパガンダに利用した1936年のベルリン大会、テロ事件が起きた1972年ミュンヘン大会(ミュンヘンオリンピック事件)、集団ボイコットが起きた1980年モスクワ大会と1984年ロサンゼルス大会などだ。
IOCは政治的中立を主張してきてはいるものの、オリンピックはそもそも競うための場だ。優れたアスリートを祝福する祭典であると同時に、アスリートは国の代表チームの一員であることから、地理的・政治的な勝ち負けや緊張のきっかけをつくる舞台でもある。
だがアスリートたちはそれぞれが個人であって、昨今は、人種差別や性差別などスポーツを超えた問題に声を上げる選手が増えている。先月、警察官による黒人発砲事件にNBAミルウォーキーの選手たちが一斉に抗議の声を上げ、その日のプロリーグの試合が中止される事態にまで発展した。
新たな政治活動のかたちが生まれている今、見直しを迫られているのがIOCの姿勢だ。では、アスリートによる政治活動は実際にどこまでが許容されるのか、どのような形式・種類なら受け入れられるのだろうかーー。
政治的表現に関するガイドライン見直しへ
こういった議論の核となるのが、「オリンピック憲章第50条」だ。スポーツとオリンピックの中立性の維持を目的としており、以下のように述べられている。オリンピックの用地、競技会場、またはその他の区域では、いかなる種類のデモンストレーションも、 あるいは政治的、 宗教的、 人種的プロパガンダも許可されない*1 。
*1 Olympic Charter
オリンピックのすべての会場や式典において、抗議行動やデモ行為は禁止されているのが現状だ。 近年、アスリートたちの政治活動が活発化する中、IOCは東京オリンピックに向けてガイドラインの見直しを検討してきた。きっかけとなったのは、試合を終えたアスリートたちの表彰台での抗議行為だ。
2019年世界水泳選手権にて、2位となったオーストラリアの水泳選手マック・ホートンは、優勝した中国・孫楊(そんよう)がドーピング検査妨害の疑惑があることに抗議を示し、表彰台に上がることを拒んだのだ。
何が許可されて何が許可されないのか、その基準を策定することを目指した新ガイドラインでは、SNSの使用が以前より緩和されるなど、“表面的には” アスリートたちはより自由を手にしたように見える。オリンピック選手たちには、記者会見、チームミーティング、ソーシャルメディアなどでは「考えを述べる権利」がある一方で、競技中・選手村滞在中・メダル授与式などの公式行事中は許可されていない。
BLMの支持を表明してもよいが、BLMのTシャツを着るのはNG?
新ガイドラインでは「許可されない行為」として、政治的メッセージの表示(メッセージサインやアームバンドの装着)、政治性のある言動(手のしぐさ、ひざまずき)、式典の規定に従わない等が挙げられている。IOCからすると、「抗議行動」と「意見表明」の間に明確な境界線があるのだ。だが、アスリートたちは混乱し、結局、新しいルールにも“窮屈さ”を感じざるを得ない。
例えば、記者会見で “Black Lives Matter” の「支持表明」することはOKだが、“BLM”と書かれたTシャツを着るのはNGとされている。前者は人種差別に対する「連帯表明」で、後者は「政治的抗議」にあたるというのか? では、アスリートがメダル授与式で、ひざまずいたり拳を突き上げたら? 今日のスポーツ界でよく見られる抗議行動ではあるが、こうした行動は“罰則の対象” とIOCは断言している。
さらにもどかしいのが、新ガイドラインは違反の際のペナルティについても曖昧で、“必要に応じて個別に判断される”とある。
もちろん、物事は裏の側面をも考慮する必要がある。オリンピックのような国際舞台で自由に発言できるようになれば、「人種・性別の平等」といったIOCの理念とそぐわない主張をするアスリートが出てくる可能性もあるのだから。国際パラリンピック委員会(IPC)のアスリート評議会会長チェルシー・ゴテルは、次のように語っている。「アスリートが競技の場で抗議行動をするのは、パンドラの箱を開けるようなもの。私たちが最も避けたいのは、競技場をアスリートたちが自由に抗議行為できる無秩序な場所にすること。世界に発信されると不快感を持つ人がいるようなテーマでも自由に発言できる場にしてしまうことです」- ビッグイシュー・オンライン
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