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オンライン診療に反対?「これまでの生活様式」にこだわる日本医師会に伝えたいこと

「隗より始めよ」

【隗(かい)より始めよ】
大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ。(引用:小学館 デジタル大辞泉)

――この言葉を、いまもっとも届けたい人たちがいる。

日本医師会である。

菅義偉首相が掲げる規制改革は業界団体との調整がカギを握る。看板政策のオンライン診療の全面解禁の恒久化には日本医師会が抵抗姿勢を示し、不妊治療の保険適用も産婦人科医らを中心に収入減への懸念の声が広がる。首相が訴える「スピード重視」を貫けるかは政権の試金石となる。

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日本経済新聞『菅改革に日本医師会が抵抗 オンライン診療や不妊治療』(2020年10月4日)より引用
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO64591200T01C20A0EA3000

 パンデミックの発生以降「新しい生活様式/ニュー・ノーマル」を掲げ、市民社会にコロナ時代の規範を遵守するよう求めておきながら、自分たちは「これまでの生活様式/オールド・ノーマル」をしれっと維持しようとするのは、いったいどういうことなのだろうか(もちろんこれが全国津々浦々、すべての医師の総意であるなどとは言っていないことはあらかじめ断っておきたい)。

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 ここ最近は、池袋自動車暴走事故の初公判や、性的マイノリティーの権利を認めることで足立区の滅亡を憂慮する区議など、大きなセンセーションを起こす話題が多かったため、本件はほとんど注目されていない。だが本来的にはきわめて重大なイシューである。

「新しい生活様式」は多くの犠牲によって成った

 コロナ対策に乗り出した医師リーダーたちの提言に基づいて合意形成され、政府や自治体が主導することで社会に根付いていった「新しい生活様式」――しかしその道のりはけっして平坦ではなかった。ドラスティックに社会のあり方を変更するものであり、とりわけ経済には甚大な犠牲を求めるものであった。

 たとえば街の商店や飲食店は長期の営業自粛を余儀なくされ、その後も営業時間の短縮や来店者数の調整など、現在進行形で苦境に立たされている。全社会的に「不要不急の外出を控える」ことが是とされたため、地域の観光業も危機的状況にある。吉祥寺のように、連日の賑わいを見せていた東京屈指の街にさえ、多くのシャッターが下ろされはじめている。

 経済的痛手に耐えきれず倒産してしまった会社も少なくはない。すでに「コロナ関連倒産」は9月時点で500件を越えた。失業率も上昇を続けている。また、これらの施策は建前上はあくまで「自粛要請」という「お願いベース」の営為であったということから、直截的な責任の所在はうやむやになっており(言い換えれば「政治の失敗」ではないという認識が現状ではなされており)、倒産や廃業に追い込まれてしまった事業者や従事者に対する抜本的な救済策は現時点では議論されていない。

 多くの犠牲をともないながら、それでも人びとは「大切な人の命を守る」というスローガンのもと「新しい生活様式」を実践し、これが定着するよう努力を続けてきた。それにもかかわらず「不要不急の外出は控えよう」「夏休み、盆休みは我慢しよう」などと、「新しい生活様式」の音頭をとってきた張本人たちが「儲けが減ってしまうから」という理由で、自分たちが痛みを引き受けることを拒否するのでは、まったく道理にあわないだろう。

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ある日医関係者は「検査料やもろもろの管理料などが取れなくなるので収入が減少してしまう」と漏らす。オンラインだと通院距離に関係なく、評判の良い病院に患者が集中し、経営が苦しくなる病院が出かねないという懸念もある。

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産経新聞『オンライン診療恒久化 政府と日医が激しい攻防 制度設計難航も』(2020年10月10日)より引用
https://www.sankei.com/life/news/201010/lif2010100034-n1.html

 「自分たちは経済的痛みを引き受けたくないから、新しい生活様式に準じた働き方を適用しません」というのが許されるのであれば、いままで自粛や短縮に否応なしに協力してきた人びとの努力はいったいなんだったのだろうか。「一挙に恒久化するのではなく、できるものからひとつずつ進めていくべきだ」と日医会長は述べる。一見してもっともらしい意見だが、一挙に恒久化された全国の飲食店従事者たちがそれを聞いたらどう思うだろうか。

 「収入減は医療体制の維持に影響をもたらし、多くの人命にリスクを晒すことになるから」といった口実があるのかもしれないが。だがそれは、以前にもBLOGOSの記事で述べたように、「街の経済」に従事する人であっても同じことだ。人は金を稼いで食わなければ死ぬ。「医療は命を守るためのセクションだから別だ」という言い訳は成り立たない。社会経済も大勢の生活と人生と、そして命を守っていることには変わりないからだ。これは「命 vs. 命」のトレードオフ構造なのだ。

 医師会には、医療費の抑制――究極的には医師の賃金カットを含めた大規模なコスト削減――を目指して政権に働きかける財務省の政治的思惑に抵抗したいという考えもあるだろう。また、診断で得られる情報の正確性の問題や保険の不正使用などといったリスクもあり、整備されなければならない課題がほかにもあることはたしかだ。だからといって自分たちが新しい生活様式の「適応外」になることを正当化する理由にはあたらないはずだ。

「一般市民の暮らし」への想像

 今回の日本医師会の「言行不一致」的な言明は、「新しい生活様式」あるいは「コロナショック」にともなう痛みによって、市民社会がいまどのような状況に陥っているのかを、彼らが具体的に想像することができない様子を端的に示している。

 もっとも、医師たちが苦労に苦労を重ねて医学部に合格し、また医学部でも多大な努力を費やし、医師免許を取得したのだから、相応の報いがあってしかるべきと考えるのは当然だ。2019年の賃金構造基本統計調査 によれば、医師の平均年収は男性がおよそ1200万円、女性が1000万円である。10代の貴重な歳月の多くを受験勉強に費やした分、十分な「リターン」を求めるのは、心情的には無理からぬことだ。

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 だが、皮肉にもその圧倒的な経済的優位性が、市民社会の平凡な生活者たちの現実を想像できなくなってしまったのではないか。街にある商店や飲食店は、1~2か月の休業によって簡単に潰れてしまうのである。

 できたばかりの店であろうが、地域に長年愛されてきた名店であろうが同じだ。月収が100万円近く、またその単価が国によって保障されている立場であれば、多少の収入が途絶えても問題ない程度の「貯め」を作るのは比較的容易かもしれない。だが、たとえば実店舗を営む人びとにはそのような貯えなどないし、あったとしても1~2か月の休業で発生するランニングコストをまかなうことで軽く吹き飛んでしまう。

 「一時的に経済を犠牲にしても、生きていればあとからいくらでも取り返しがつく」というのは、新しい生活様式を推進する方便としてもたしかにもっともである。もっとも、この国における最強の国家資格のひとつである医師免許があればの話だが……。

 もし「あとからいくらでも取り返しがつく」のが本当なら「氷河期世代」などというワードや社会問題など存在しえないだろう。残念ながら、2020年以降に大学を卒業する若者はほぼ確実に「三代目・氷河期世代」になる。この国において新卒時の挫折は「あとから挽回できる」ようなシステムにはなっていない。生涯にわたって暗い影を落とす。大半の一般市民は、経済による犠牲や後遺症からそう簡単に立ち直ることはできない。

それでもやはり「隗より始めよ」

 日本医師会が「隗より始め」られなかったことは、あまりにも残念だ。

 「経済よりも人命優先」というこれまでの方向性自体の是非の評価は別としても、しかしながら「新しい生活様式」の提唱とこれらの普及に少なからず責任を負ってきた立場としては、せめて多少は通すべき筋、張るべき意地があったのではないだろうか。

私のように「命と命のコンフリクトだ」と最初期から言い続けていた立場の人間ならともかくとして、医師たちの言葉を信じて「新しい生活様式」の実践にともなう痛みに歯を食いしばって耐えてきた人びとにはまるで示しがつかない。

 これでは「自分たちは特別な立場だから、庶民とは別待遇でもかまわない」という、いわゆる「上級国民的ムーブ」であるという評価を下されても仕方ないように見える。菅政権はそのような大衆感情の反発をおそらくは見逃さないだろう。菅義偉はこうした「風読み」に長けた危険な政治家である。「自分たちだけ痛みを回避しようとする既得権益者」という物語を世間に印象付けることによって世論を味方につけ、改革をゴリ押しするはずだ。

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