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【映画感想】星の子

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父(永瀬正敏)と母(原田知世)から惜しみない愛情を注がれて育ってきた、中学3年生のちひろ(芦田愛菜)。両親は病弱だった幼少期の彼女の体を海路(高良健吾)と昇子(黒木華)が幹部を務める怪しげな宗教が治してくれたと信じて、深く信仰するようになっていた。ある日、ちひろは新任の教師・南(岡田将生)に心を奪われてしまう。

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2020年、映画館での10作目。平日の夜からの回で、観客は僕ひとりでした。
芦田愛菜さん出てるのに!
良い映画なのに!
まあでも、観る人が少ない理由も、わかるような気がします。
世の中で「バズる」ものの多くは「面白い」か「役に立つ」もので、映画やドラマの場合は「泣いてスッキリできる」というのもあるのだけれど、この『星の子』は、「えっ、これで終わり?」って感じだし、観終えてもモヤモヤしっぱなしだし。
「2時間観ることで、世界の見え方が少しでも変化する」という意味では、本当に「素晴らしい映画」だと思うのだけれども。

主人公・林ちひろは子供の頃から身体が弱くて、両親はちひろのためにあらゆる手を尽くすのです。その「手段」のなかに、宇宙のパワーを込めた(自称)「金星のめぐみ」という水を勧める新興宗教があって、それが、ちひろに「効いて」しまった。客観的にみれば、その水の効果というよりは、成長とともにアレルギー体質がおさまってきただけではないか、とも思うのだけれど、我が子の皮膚がどんどんつるつる、すべすべになっていくのを目の当たりにしたら、それを親が「信じる」のもわかるのです。

うちも、下の子が生まれてすぐに黄疸が出て、しばらく入院したときは、不安で仕方がなかったし、代われるものなら、代わりたい、と真剣に思ったから。医学とか科学に対しては、それなりの知識と経験を持っているはずなのに、自分のこととなると、冷静ではいられない。

「お金のために誰かを騙そうとしているニセ宗教家は悪だ」という考えには、みんな共感できると思うんですよ。

この映画をみていて困惑してしまうのは、教祖も信者も、みんな本気で「信じている」ということに対してなのです。

頭に「金星のめぐみ」をひたした白い手ぬぐいみたいなものを乗せて生活している、ちひろの両親に対して、登場人物のひとりが「河童みたい」と言うシーンがあるのですが、僕はその言葉に、ちょっとホッとしたのです。ああ、そう言っちゃっても良いんだ、って。

いまの日本では「宗教」というのがあまりにも特別な存在になってしまっているから、ある人の全体像を「あの人は〇〇の信者だから」と総括してしまいがちですよね。

実際は、「何を信仰しているか」というのは、その人の一面でしかないはずなのに。

少なくとも、いまの日本では、尊重はするけれど、同調する必要はないはずなのに。

この『星の子』では、信者たちは「河童」みたいな恰好をしていたり、「金星のめぐみ」という水を持ち歩いていたりという、わかりやすいアイコンで示されているのだけれど、これまでの僕の人生にも、さまざまな「信仰」を持っている人はいたのです。でも、彼らのほとんどは、「ちょっと真面目で融通がききにくいかな、というくらいの『普通の人』」だったのです。

外見や薄い付き合いではわからなかった、「新興宗教を信じている人」にも、たくさん接してきたはずです。

基本的に「迷惑なくらい積極的に布教」してこなければ、あるいは、あまりにも常軌を逸した制限を子どもたちに強要しなければ、問題はない。

 ……と言いたいところではありますが、宗教というのは、一般的に「戒律」を持つものではありますしね……「豚肉、美味しいのになんで食べないの?」とムスリムを問い詰めても、どうしようもない。

ある宗教の熱心な信者である、という人に対して、とくに新興宗教に対しては「カルト」とか、「勧誘されそう」というイメージから、敬遠したくなる気持ちが僕にもあります。

僕は基本的には無宗教だけれど、身内の葬儀ではお寺にお経をあげてもらうし、結婚式はチャペルでした。ただ、「無宗教」というのは、世界標準ではなくて、「どの宗教も信じていない人間」は、不審、あるいは理解不能な存在だとみられる国も多いのです。

僕自身は「無宗教」というか「死んだら神の国に行くよりも、壊れた家電みたいになるんだろうな」としか思えないのですが、だからこそ、「信仰」に惹かれるところもあるのです。

隠れキリシタンが、酷い拷問を受けても棄教せずに殉教を選んだ、ということに、子どもの頃は「なんて残酷な話なんだ。そこまでして信仰を貫くなんて狂っている」と思っていたのです。

でも、今は「あんな苦しい目にあっても、『信じ抜く』ことができて、死ぬことさえ恐れないで済むというのは、本当に『不幸』なのだろうか?」と、「死ねばそれでおしまい」派の僕は考えずにはいられないのです。

だからといって、いまさら「信仰に目覚める」なんてことは無さそうだけれど。

ちひろにとっては「きっかけは自分の病気を治すためだった」という両親の信仰を否定はできない。でも、ちひろのお姉さんは、自分の家の「特殊性」にうんざりし、妹のことばかり両親が考えているようにもみえて、家から離れる選択をしてしまった。

信仰によって、林家は、周囲の人々から白眼視されているし、ちひろも「親の信仰を強要されている、かわいそうな子」と見なされている。

ただ、ちひろ本人は、ずっとそういう環境のなかで生きてきたし、姉の家出、という大きな転機はあったけれど、両親の仲は良いし、親子の関係も悪くはない。「もともとは自分のためにやってきてくれたこと」だという「負い目」みたいなものもある。

オウム真理教が陥ってしまったような、他者を傷つけたり、社会を破壊したりする宗教は、許容できない。

ショッカーの改造手術みたいな、明らかな「洗脳」も認められない。

でも、こんなふうに「信者の二世」が、自分が置かれた環境によって染まっていくのは、どう考えれば良いのだろうか?

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